ドキュメンタリー映画「山谷(やま)やられたらやりかえせ」上映会
佐藤満夫監督、山岡強一監督による、山谷日雇労働者闘争のドキュメンタリー映画「山谷(やま)やられたらやりかえせ」の上映会が、正に舞台となった山谷ドヤ街の中心にある、泪橋ホールで開催!
以前から観ようと思いながらなかなか日程が合わなかったのですが、やっと今回、観に行って参りました!
命を懸けて描いたドキュメンタリー
山谷の日雇い労働者を支援する佐藤満夫監督によって、映画が製作開始された直後の1984年、労働者を支配し搾取する側の右翼暴力団員によって、佐藤監督が刺殺され、その遺志を受け継いだ山岡監督も、映画完成後の1986年、同じく労働者を搾取する右翼暴力団国粋会金町一家に銃撃され、亡くなってしまうという、何とも、監督がまさに命を張って制作し続けた、渾身のドキュメンタリー作品である。
とはいえ、ボクが非常に印象に残ったのは、「右翼暴力団と労働者の闘いの記録」という暴力的な描写にそれほど時間を割いているわけではない。
淡々と労働者搾取の実情や事件を羅列しながら、それに対して、労働者を支援する山谷争議団の、建設業者を中心とする雇用主や、都庁団交として、行政に対して、待遇と労働環境改善のために、言葉は荒いが、非暴力的に、理論詰めで争議を行う様子が、克明に記録されている。
加えて、山谷で生活する労働者たちの、日常の姿を生き生きと捉えている。
居酒屋での談笑、労働センターに並ぶ様子などの日常の生活から、労働現場に潜入しての記録、それに、みんなの顔がほころぶ玉姫公園での夏祭りの様子・・・
正直なところ、ボクはもっと「闘争」の激しい暴力的な描写の映画を想像していたので、拍子抜けした部分もあるのだが、改めて思い返すと、ボクの考えが浅はかだったと思い直した。
監督は、命を張って、そして殺されてもなお、労働者を守るために「民主主義的、非暴力の労働争議」を絶やさず継続していくことを重視し、そして、人権を尊重されるべき労働者たち一人一人の「人間」としての姿を、我々に伝えたかったのだな、と改めて感じ入った。
とはいえ、春闘において「新聞に募集広告出してんだよ!」などと、見当違いな回答をして逃げまくる雇用主を追い詰めていく様子や、精神病院に収容された労働者のリンチに対する抗議デモ、「野たれ死に」した労働者の記録、目が死んでいる都の福祉担当者への糾弾、手配師を土下座させて条件を認めさせる描写など、かなり強烈な映像記録のオンパレードで、ホントよくここでカメラを回していたな、と、制作陣には頭が下がります。
日本の労働問題の歴史を俯瞰する映画
以前に拙作ムーニー劇場「炭坑の唄が聞こえる」を制作した時にかなり勉強させてもらったのだが、
明治以降、近代日本の「富国強兵」政策の下、産業発展と共に、石炭エネルギーの増産、筑豊の炭坑労働者や石炭の船積み労働者を対象とする「飯場」が作られ、労働者搾取の構造が体系作られていく。
労働者を直接管理支配するのは、地元の極道とも繋がる「手配師」や中小業者の暗躍があったが、その元請け、大元の親は、三井、三菱などの財閥系企業であり、日本政府と完全に癒着している。
大阪釜ヶ崎、横浜寿町、名古屋笹島、九州戸畑、そして、山谷・・・日雇労働者の「寄せ場」は、近世以前からの被差別部落の人々や、朝鮮併合後日本に連れてこられた強制労働者も複雑に絡み合いながら、港湾荷役、石炭産業、製鉄など、鉱工業の発展と共に労働者の数は膨れ上がった。
戦後、GHQの占領下で形式上財閥は解体されたが、その系列企業は現在まで命脈を保っているのは承知のとおりである。
そして、高度経済成長の中で、建設業、大手ゼネコンが隆盛を極め、下請け、孫請け企業が「飯場」の日雇労働者を搾取する構造に、日本の経済は脈々と支えられて発展してきた系譜が事実としてあるのだ。
今回、「山谷やられたらやりかえせ」の映画を観て、その全てを語り尽くせているわけではない。
ナレーションで補ってはいたが、事前知識が無いと、後半の九州、筑豊のロケについて、たとえば、あの灰色の「山」を見て、すぐに石炭の「ボタ山」(石炭を採掘した際に、石炭以外の土砂を捨ててできる山)だと気付ける人は、少ないのかもしれない。
しかし、佐藤監督、山岡監督両監督をはじめ、この映画の製作陣に、労働問題を「山谷」だけでは終わらせない、という、強い気概を感じる。
目の前の問題をまずしっかりと捉えながら、それだけでは済まされない、そんな俯瞰的な視点も持ったドキュメンタリーであることを強く感じた。
観客は、この映画の後を考えることこそ重要なのではないか?
今回会場となった「泪橋ホール」を出ると、まさにそこは映画の舞台となった「山谷」。
映画の後のトークショーで、写真を担当した大島俊一さんと、飛び入りで、当時その隣で喫茶店を経営していたマダムのお話を聞くことができた。
当時の状況をリアルに語っていただき、そして、何より、一歩外に出るとその舞台となった街が広がっている状況は、本当に貴重な体験だった。
ボクは、山谷の中心地に来たのは初めてだった。
20年以上前に、大阪西成の釜ヶ崎に足を踏み入れたことはあったし、横浜に住んでいた頃、寿町に行ったことはあった。
泪橋ホールから映画で夏祭りの会場となっていた玉姫公園までを散策してみる。
多少近代化されてはいるが、簡易宿泊所や安いビジネスホテルが点在している。
玉姫公園は、不自然に厳重過ぎるとも思える高いフェンスに囲まれながら、中には高齢の路上生活者の人々が垣間見える。
日曜日ということもあるのだが、現在、山谷の一帯は、多少の名残はあるものの、非常に平穏である。
しかし、よく考えてみて欲しい。
約40年前、この「山谷やられたらやりかえせ」のドキュメンタリーが撮られていた時代にそこに映っている人々は、その後、どうなったのか?
現在でももちろん、大規模建築事業は行われている。
ご存じの通り、東京都市圏では、際限ないスクラップアンドビルドによる再開発超高層建築ラッシュも未だに継続されている。
大阪万博や、東京五輪なども、政府による建設、不動産業界への雇用創生政策の一環とも言える。
そして、二度と起こしてはならない事故ではあるが、東日本大震災による福島第一原発事故も、その廃炉に向けた事業に対して、非常に多くの労働者の雇用を創出している。
現代の日本において、「山谷やられたらやりかえせ」の映画が製作されていた当時と比較すれば、労働問題がニュースになることは非常に少なくなったし、山谷をはじめ、日本各地の「寄せ場」で日雇労働者を目にすることも少なくなった。
もちろん、約40年前と比較して、改善された部分も大いにあると思う。
しかし、本当に、根本的に労働問題が無くなったのか、改めて、よく見て欲しい。
現在でも、大手ゼネコンをはじめ、建設業界の労働者は、下請け孫請け、何重ものピラミッド構造の雇用形態の中で働いている。
そして、日本はその構造にどっぷり浸りきっている。
多少は改善されたとはいえ、現代における労働問題は、問題を提起することが希薄になっただけで、「臭いものには蓋」の論理で、問題を見え辛くしているだけではないだろうか?
現代の工事現場は、堅牢な工事フェンスと、足場には安全ネット、中の労働状況を伺うことは困難である。
もちろん、それらの囲いは、労働者の安全のためであり、周囲への安全のため、防音ため、無くてはならないものであるが、その囲いの中で、本当に労働者の労働環境は守られてているのだろうか?
また、以前は都市部にあった大規模な工場についても、高度経済成長以降に制定された「工場三法」(工場等制限法、工業再配置促進法、工場立地法)によって、によって、地方や郊外への移転、分散が進んだ。
要は、都市部において、日雇労働者が集積する、大規模な「寄せ場」は作られにくくなった、というのが実態なのである。
ボクは以前に書いた通り、一時期看板業で大手ゼネコンの建設現場に入って働いていたこともある。
今回「山谷やられたらやりかえせ」を観て、改めて、心がざわつくものを感じた。
玉姫公園の高齢になった路上生活者の方を見て、現在の日本が、決して安穏としていられる状況ではないことを強く感じた。
例えば、高齢で働けなくなった、身寄りのない元日雇労働者の方に対して、本来は彼らを救済するための生活保護費を搾取するビジネスも存在すると聞く。
また、不足する労働力を補う、外国籍の方々。
昨今問題になった、技能実習生の問題や、大きく言えば、日本の移民政策にも関わってくる問題であろう。
映画「山谷(やま)やられたらやりかえせ」を観て、佐藤監督、山岡監督が命を呈して伝えたかったもの。
拙い言葉ではあるが、この映画を、その当時の問題としてだけではなく、見えにくくなった現代の労働問題に繋げて、しっかりと問題意識を持つことが、この映画を観たものに課せられた課題であると強く感じた。
今後も、ボクも自分の体験を踏まえながら、日本の労働問題について、しっかりと伝えて行きたいと思う。
ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!
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