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定性的な努力、定量的な貢献

こんなに頑張っているのにどうして評価してもらえないんですか?
自分で思うこともあれば、部下から泣きつかれることもあります。
性善説で考えるなら、頑張っていない人などいません。
誰もが頑張っているのに、評価されるのはそのうちの一部でしかありません。

努力ではなく、貢献に目を向けるべきだ。

マネジメントの父と呼ばれたドラッカー氏の言葉です。
なるほど、確かにその通りだと合点が行く人がいる一方で、それでも頑張りを認めて欲しいと頑として譲らない人もいます。
何故努力は評価すべき対象ではないのでしょうか。

努力は定性的、貢献は定量的。
それが理由です。
頑張って考えたけど思いつきませんでした。
その頑張りを客観的に評価する方法はあるでしょうか。
頑張った時間が8時間でアウトプット0の場合と、8時間昼寝してアウトプット0の場合と、その8時間の差を自己申告以外で評価する方法はありません。
例えば100個のアウトプットを出したけど良い答えがないというのであれば、その100は次に進む為の議論に貢献することができます。
それは努力でありながら貢献でもあります。

売上の拡大、企画の提出、コストダウン…貢献は数字に置き換えることができます。
売上は拡大していないけれども商談を前月に比べて130%に増やした、企画の提出はしていないけれども叩きとなるアイデアを5件まとめた。
直接的な貢献でないとしても、努力の結果をアウトプットすれば定量的に評価できますし、次の貢献に繋がります。

端的に言うならば、定量的に評価できない活動は何もしていないのと変わらない、と言うことになるのです。
努力は大事です。
より良い成果を出すには努力が必要です。
ただ、その努力が評価対象にならないことについて嘆くなら、一つ一つの努力に定量的なアウトプットを出す必要があるのです。


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