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身体の声を聞く。肉食への罪悪感から救われた、ベジタリアンの友人から教わったこと。

ニュージーランドは、多様性の国。そしてナチュラリストが多い。
食も多様性が進んでいて、ビーガン・ベジタリアンが結構当たり前の社会。
環境の視点から、また倫理的観点から、健康のため、さまざまな目的で「肉を食べない」という人が本当に多い社会であるなと感じます。
体感的に、5人に1人がベジタリアン、3人に1人がグルテンフリー、デイリーフリーなど何かしらの基準を持っていると思います。

そんなニュージランドに来てやりかったことの一つ、菜食への移行。
自分の体やメンタルにまで影響を及ぼす”食”について、きちんと一から見直してみたかった。
日本で菜食を実践するよりも、ニュージランドの方が選択肢が多く、始めやすいと思います。

そんなビーガン・ベジタリアンの食生活へ徐々に移行し始めた頃、ある日から突然、肉が食べたくなりました。

それは突然やってきて、無性に無性に肉が食べたくなる。
一度食べるとまたもう一度、ある時は毎日食べたいと思うようになりました。

「きっと身体が疲れているのかな?」
「タンパク質不足なのかな?」
とブロッコリーなどの野菜を多めに取るようにしていましたが、
やっぱり肉が食べたい!そんな状況が続き、
それと同時になんとなく罪悪感も生まれていました。

なぜ罪悪感を感じるのかというと、
肉食が地球環境にとっても、そして人間の身体にとっても良い影響を与えないことを頭ではよく知っていたから。

世界で排出される温室効果ガスの約20%以上は畜産が原因と言われています。(輸送や保存などの産業全体で見ると、それ以上とも言われている)
家畜のために森林は破壊され、それによって食べるものがなくなり、飢餓に苦しむ国がある。
一部の人間の肉食のために、貧困国の飢餓進むというおかしな構造が実際に起きています。

また身体への影響。肉食からしか得られない栄養は存在しない。
腸内環境も荒れるし、翌日なんだかスッキリしないなあと感じてまでも、
肉を食べる理由ってなんでしょう。

数年前から食や環境問題について学んでいく中で、私の理性はとっくに、
肉食がもう身体に必要ないこと、嗜好品として楽しむので十分と分かってはいたもの、なぜか、食べたくって食べたくって。

それと同時に、最近の私は、心身共に心地よくありませんでした。
というのも、日々のカフェでの労働が思った以上に体力勝負で、
身体はいつもぐったりと疲れている。
私が働くカフェは、ニュージーランドで一番の規模を持つ大きな会社で、
その中の空港にある店舗で働かせてもらっていて、朝はフライトに合わせて早朝3:30から、夜は18:30まで営業が続くので、思った以上に体にくる。

肉を食べることへの罪悪感を感じてまでも、
肉が食べたい!そんな心の矛盾があり、生活に必ず必要な「食」というカテゴリーにおける私の満足度は、正直居心地が良くなかったです。

そんな中、ある友人をきっかけに物事が好転し始めました。
私が働くカフェには、18歳から菜食に目覚め、15年以上ベジタリアン生活を続けている同僚であり友人がいます。
2人でビーガンピザを食べながら、
私が最近無性に肉を食べたくなってそれが止められないこと、そしてそれに対して罪悪感を覚えてしまうことを相談しました。

すると彼女は、
「ミク、それは身体が欲しているんだと思う。あなたはもちろん、それを喜んで受け入れていい」
「肉を食べることは、何にも悪いことではないよ」

さらにこう続けました。

「ミク、日本と全く違う環境で、仕事も英語で何もかも正反対な環境に身を置いて、身体が反応しないわけがなくない?」
「あなたの体は、急速にエネルギーを欲しているのだと思う。だから、素直に受け取って大丈夫。身体の声を聞いてあげて。」

それを聞いて私の心が救われたかのようにホッと軽くなり、目がうるうるとしてきました。

確かに、慣れない肉体労働。
毎日何百杯ものコーヒーを作っては運んで作っては運んで。
コミュニケーションは英語。
私、そりゃ疲れるわ。と腑に落ちたのでした。

私のルームメイトも実際、数年前に事故で脳震盪を起こし、その後狂ったように肉を食べたくなったと言っていました。
一年くらい毎日のように肉中心の生活をしてから、「今はもう十分。No more ミート。」と言って彼はいつも豆と豆腐を食べている。
彼曰く、身体が回復のために肉を欲していたとのこと。

やはり、急激な環境の変化というのは、体にとってとってもストレスがかかるもの。それだけエネルギーも必要になるのでしょう。

そして友人はさらにこう言いました。

でもねミク、肉がタンパク質不足の救世主になることはないよ。」と。

「動物だって、牧草や穀物を食べる。肉食動物も、草食動物を食べることによって彼らが食べた栄養を取り入れているだけ。
「動物というフィルターを通して食べる栄養と、栄養豊富な野菜や果物を直接食べることは、違うものだよ
」と。


なるほどなあと思った。
確かに昔読んだ本で、ライオンやチーターなどの肉食動物は、実際肉を食べているのではなく、草食動物の内臓を食べていると書いてあった。
草食動物が牧草などを食べた栄養を含んでいるところが内臓だからであるそう。
だから途中でお腹いっぱいになって肉を食べの残す動物はいるけれど、内臓だけを残す動物はいないんだって。
見たことがないので本当かどうかはわからないけれど、そんな説もある。


ベジタリアンの友人は、その後もさらに私を癒してくれました。
彼女はまさに、天性のヒーラーの役目があると思う。

考え方や思考がいつもシンプルで深く、核心をついてくる。
ネガティブなことを言っているところを見たことがないし、
自由で、いつも自分基準で人生を選んでいる強さと、
「やりたいならやったらいいよ」と何事にも肯定的で軽やかなマインドを彼女から感じる。

彼女の出身はチリで、いろんな国に旅をしていて来年もカナダへ9ヶ月行くのだそう。カナダは何度も訪れていて、大好きな国なのだとか。
でもやっぱりニュージーランドに何かを感じるらしく、その後はニュージーランドに市民として帰ってくるのが計画だそう。聞いてるこっちもわくわくしちゃう。



私が菜食を目指そうとしている理由はまさにここだ。


食生活が整っている人は気が高い。
科学的で測れるものはまだないけれど、そう言った人たちを見ると不思議と、頭のてっぺんからつま先までスーッと水が流れているような清らかさを感じる。
まさに体もみずみずしく、心も滞りがなく濁りがない。
マインドもクリアで、さっぱりしていて、
雑味がないように感じる。そんな人たちと接するのが私は好きだ。

実際に菜食は人間の精神性(スピリチュアリティ)をより活性化させるとも言われている。悟りを開いたブッタや僧侶など、ちょっと次元が超越しているような人々の中で好んで肉を食べている人は聞いたことがないのも面白い。

反対に普段からコッテリとしたもの、肉食中心の生活や、特にそこまで気を遣っていない人は、身体が詰まっているな、と感じる。
自分で書いていてすごく変だなと感じるのだけど、頭からの流れがおしりでストップしているような、つまりがあるように感じる。

私もなんだか不調だった最近、心も体も詰まりを感じていた。
実際に便秘だったり寝つきが悪かったり、胸の心地が悪かったりする。
ニキビもできたり、体が痒くなったりしてきて、「なんだか不調」という原因はまさに気の流れ。主に食生活。
詰まりを感じると、「デトックス」という言葉があるように、毒素を抜く必要がある。全身を水で洗い流すように。

ただ、毒を持って毒を制す、という言葉があるように、
そんな体の状態になると、体が勘違いをして逆に味の濃い食べ物だったり、肉だったりを摂取させようと信号を出して、無性に食べたくなるのではないかなと。脳が間違えて信号を出してしまう、要はエラーなのかなと。推測ですが。


そんなこんなで、友人と食事をしたその日から、心が一気に軽くなった。
それから不思議なことに、
「肉、いいよ食べても。」と自分に許すことで、「わかった!」と体が喜び、それに満足したのか不思議なことに、急に肉を欲しなくなりました。


ダメって言われるとやりたくなる、そうだねと肯定してあげると静かになる。そんな子どもみたいな性質が私の心にはあったみたいで、あれだけ「肉が食べたい!」と叫んでいたエラー信号は、急に静かになりました。
きっと、肉を欲する自分を許せたからだと思う。

私の不調への解決策は、
「そんな自分を許すこと」と「身体の声を聞くこと」でした。
そして時間があるときは、早めに電気を消してぼーっとすること(瞑想に近いのかも?)と、ヨガやストレッチなどの運動をすることも、多少救済に繋がったと思っている。


そして、今朝、毎週日曜の市場で新鮮な野菜をたっぷりと手に入れ、
玉ねぎドレッシングを作ってサラダを作ったら、それが本当に美味しくて美味しくて。


食事って、お腹を満たすだけが目的ではなくて、食物からのエネルギーを摂取するためのものでもあると思う。
カップラーメンいっぱいでお腹はいっぱいでも心は満足しないように、
人の愛情がこもったご飯、生産者の思いがこもった新鮮な野菜を食べることによって、
心まで満腹になって自然と活力が湧いてくる。
そんなパワーが食事にはあると思います。


そして一番大事なこと。
食にいいも悪いもない。
食べ物があること、頂くことにまずは感謝することを忘れたくない。


長くなりました。
きっとこれからも私と私の食に対しての紆余曲折は続きそうですが、
今の時代、食べ物があることに感謝して、
そんな有難い環境が私の孫の時代になっても続くように願います。
そしてそんな未来への投資の第一歩である食の選択は、今後も大切にしていきたいと思います。




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