月光と紅茶

ムーンライトティーです

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マガジン

  • 思考の代謝

    メモ、思考、想起、追憶、またそれらの単語の羅列と連なり

  • 人形劇記

    人形と自創作に対する様々な解釈と見解を綴ったもの。厳密さなどは求めず肩の力を抜いて見てください。

  • セルフレビュー

    自分の創作のレビューを書いてみる。

最近の記事

感想

思考の代謝として思い付きをただ書いてみたがいいのだろうか。 特に何か晴れるわけでもなかったが、それでもまあ、文字を書く時間が増えるのはいいことだろう。 最近はどうにも文字を書くことに消極的だった気がするのでこういった行動はいい結果になりそうである。 しかし、私は継続力のない人間であるから、三日後には飽きてしまっているかもしれない。 まあでも何かを話していると少しだけ落ち着くかも知れない。思考の中で作品に昇華できず書き倦ねているものも多くある。それを多少発散するのも悪くない

    • 代謝

      面白いことをしたい。 面白いとはなんだろうか。 少なくとも私自身が面白いと感じることであり、また、集客し観測者を増やしたいと考えている。 例えば動画配信であったり、何か創作の企画をしてみたり、独自のコンテンツを考えてみたり。 何らかの形で交流を広げたい。 それは私が独断でのインプット・アウトプットに対してあまり積極的ではないからである。 というか、他者に理解できないものを作りたくはないので、どのくらいが理解足りえる塩梅なのかを把握したいというのが主だろう。 現在、制作中の

      • 問題

        「問題が解決して欲しい」そういった感情は概ねどの人間にも備わっているだろう。 だがその内の多くの人間は問題を解決することに積極的ではないように見える。 そこから導き出される推測は「人間は問題に対して超自然的な力で解決して欲しいと望んでいる」ということだ。 責任を誰かや何か、不特定な概念の所為にして問題が能動的に解決出来るものだという事実から目を背けている。 目の前の問題を解決したいと思ったなら行動するべきである。 上手くいくことなんてないのだと、そう思って生きるべきである

        • 象徴

          デ・キリコ 塔 三角定規 オブジェクト 象徴 概念 実像と認知。そらから魂 右目 或いは孤独 或いは出会い 雪 創造

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        • 思考の代謝
          5本
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          2本

        記事

          似と

          似という概念。人形という単語。 ドール、ドール、ドール。 dor、dhole、Dole. カリオストロはどの時点で何をもって人になるのか。 オーキスが人形からオーキスになるまで。 非選択性。 人形の性、故に。 人形は選ばない。 人間の性、選択。 それ故、人と似を切り離すことはできない。 train、連なり、選択、放棄 電車、シルフィードール 好感記憶。 印象記憶。そこから考えついたものなのかもしれない。 シルフィードールはその殆どを覚えない。 しかし人間にとって

          操り人形で見る人形の自由

           「人形」「人形のよう」という表現はときに、他者に操作されてるものや誰かの支配下にあるものに対して使われる。 それは人形の無抵抗な様子や、操り人形などの不自由なイメージからだろう。 だが、操り人形はむしろ自由な人形なのでは? という話をしたい。 「操り人形などまさしく人の手で操作されていて、不自由の象徴的なものじゃないか」 そう思うかもしれない。いや、殆どの人がそう思うだろう。たしかに、操り人形はそういった不自由の代名詞として扱われることの多い概念だ。 じゃあなぜ操り人形が

          操り人形で見る人形の自由

          人形劇-monologue-「ダイヤモンド×ダスト」

           初めに言っておくと、この話は文章の接続が上手くできておらず読みにくい箇所がかなり見受けられる。  少し落ち着いた語り口で進んでいくこの話は「人形(機械人形)とは全く関わりを持っていなかった人間が『運命の悪戯』によって人形に触れ、そして——」と要約できる。 『運命の悪戯』によって物語は人間と人形のすれ違い、その先にあるものを描いていく。  運命の中心となる人形(キャロル・ダイヤモンド)は個性的で、それが少しの情報で表現されている。 (彼女の少しの意地らしさと不器用さには愛

          人形劇-monologue-「ダイヤモンド×ダスト」

          試しに「初恋」のセルフレビュー。 元々内容の薄いものだったので、あまり書くことがなかった…

          試しに「初恋」のセルフレビュー。 元々内容の薄いものだったので、あまり書くことがなかった…

          人形劇-monologue-プロローグ「初恋」

          はじめに  書き始めの頃のものなので文章の拙さは多少大目に見るとして…それ以外の演出などに注目していきたい。 焦点が定まっておらず、主張が分からない。  「プロローグ」ということになっているが書きたいものが世界観なのか、劇的な出会いなのか、少年の人間性なのか、どれをとっても全く足りておらず、結局なにも演出できていない。 読者への歩み寄りが足りていない  言葉のチョイスにおいて、かなり主観的な表現が多い。  少年の感性に合致する人間なら(その文章の拙さ除けば)あるいは

          人形劇-monologue-プロローグ「初恋」

          擬人化と人間の自己崇拝について。心理的、本能的見解。

          擬人化と人間の自己崇拝について。心理的、本能的見解。

          人形の卒業

          人形は卒業するもの? 「人形を卒業した」という言葉を目にした。 大衆の中では人形は卒業するものという考えがあるようだ。 (偏った捉え方かもしれないが) 卒業という表現には、ある過程において特定の段階を終えること、生涯においての決別、そんな成長的かつ不可逆的な意味がある気がする。 今回はそんな卒業という表現の中の「成長の過程で通り過ぎる段階」という解釈において現れる人形の幼稚さと人形の卒業について話したい 人形は幼稚? そもそも人形にそれを好きな人を未成熟だとするような

          マクロ的/ミクロ的}改め、創造物的/所有物的}役割、解釈。

          マクロ的/ミクロ的}改め、創造物的/所有物的}役割、解釈。

          マクロ解釈とミクロ解釈。 実像派と虚像派。

          マクロ解釈とミクロ解釈。 実像派と虚像派。

          人形の愛し方

          人形の愛し方というのも様々だろう。 そもそも人形というものが様々なのだからそれも当然だが… そんな様々な人形の愛し方と、それを知ってしまってそれは正しい愛なのか。 そもそも正しい愛とはなんなのかという、そんな正解の無い問に自分の納得のいく答えを考えていこうと思う。 例えば愛玩対象だったり、例えば鑑賞物だったり。玩具か依代か道具なのか作品なのか。 それらの愛し方を語る上で、まず物におけるマクロ的役割とミクロ的役割を理解してもらいたい。 その物を作った者の想定した役割がマクロ

          人形の愛し方

          大きさや重さからくる“格”について

          大きさや重さからくる“格”について