代謝

面白いことをしたい。

面白いとはなんだろうか。
少なくとも私自身が面白いと感じることであり、また、集客し観測者を増やしたいと考えている。
例えば動画配信であったり、何か創作の企画をしてみたり、独自のコンテンツを考えてみたり。
何らかの形で交流を広げたい。
それは私が独断でのインプット・アウトプットに対してあまり積極的ではないからである。
というか、他者に理解できないものを作りたくはないので、どのくらいが理解足りえる塩梅なのかを把握したいというのが主だろう。

現在、制作中の作品に登場する要素に「好感記憶」というものがある。これは機械人形に備わっている記憶の構造の名称である。
簡単に言えば状況の「好感度」を判断し、それが一定以上を超えた時のみ情報を記憶するというもの。
これにより記憶容量を大幅に削減しているのだが、メタ的な視点で言えばそれ以上に革命的な発明である。
しかし、それが一体なぜ革命的なのか、どう説明すれば感動してもらえるのか私には分からない。

好感記憶を備えた機械人形「シルフィードール(仮)」は記憶も殆ど持たず、感情や意思は備わっていない。
相手の行動に対して好感度を判定し反応を示す。
それら全ては「それらしい仕草」でしかなく、本質的にそこに感情などはないのだが、人間というものは想像を膨らませるもので、自身の行動に対して相応の反応があれば感情や意志を勝手に見出す。

何が革新的なのか。この機械人形は「機械」ではなく「人形」であり、
「人形が人形として扱われる作品」「想いを伝える人形」といった創作を始めた時に志した目標に対するひとつの回答なのである。

果たしてこの感動を共感できる人がいるのだろうか。
そう考えてしまうとまた孤独を感じてしまう。

そうだな。簡潔に言えば褒められたいのだろう。
けれど、まあ、それは簡単なことではないということだろう。

底なしの傲慢さ故、これほど素晴らしいことをしてなぜ褒められないのかと思ってしまうが、他者にとってこの発明はどうでもいい騒音でしかないのだろう。

興奮と優越の中、寂しさを食む。

good night...

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