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「深い学び」をやわらかくとらえる

先日ある学習会で,「深い学び」を実現する授業づくりについてお話させていただく機会があったので,こちらに少しまとめます.


手段という位置付けだけれど誤解も多い?

現行の指導要領のキーワードの一つに「主体的・対話的で深い学び」があります.

アクティブ・ラーニングというワードが登場し,子供達が活発に学ぶイメージが広がり,その後,単なる活動を指すというわけではないことが伝わるように,そしてより具体的なイメージが伝わるようにと言葉や内容が吟味され,「主体的・対話的で深い学び」となりました.

この言葉は,ともすると授業における子供のゴールの姿になる場合があります.
ー 深い学びを実現する授業
ー 深い学びを目指す授業
などと聞くと,「そうか,子供が深く考える姿をねらうことが大切だ」と納得してしまうこともありそうです.

しかし,ゴールと捉えてしまうことには少し注意が必要です.
「主体的・対話的で深い学び」は,授業改善の視点であると示されています.教師が,授業を改善するための視点であり,手段であるといえます.

ゴールとはなにか.それは資質・能力の育成です.
授業を通じて,子供一人一人に確かに資質・能力が身に付くようにしていくための不断の営みが授業改善といえます.

「深い学び」はイメージしにくい?

主体的な姿,対話的な姿はなんとなくイメージができるけれど,深い学びの姿はイメージがしにくい,という声をよく耳にします.

なぜか.

その理由の一つとして,表に見えにくい,と考えている人は多いようです.
主体的に取り組んでいる姿,これは,意欲的な側面であったり,粘り強く取り組んでいる側面であったり,という姿で現れます.対話的に取り組んでいる姿,これは,目的を同じにして,課題を解決するために意見を出し合ったり,議論したりする姿で現れます.

しかし,深く学んでいるのかどうかは,一目子供を見ていても見えにくく,「今何を考えているのだろう」と想像するほかありません.第一,「深い」とは,何がどうなって深くなっているのか,定義が難しいところです.

・・・といった理由から,「深い学び」はイメージしにくいと考えている人が多いようです.

そこで,少し頭を柔らかくして「深い学び」とはどんな状態かを考えてみたいと思います.

例えば絵画鑑賞を例に

私の好きな絵画の一つに,パウル・クレー作の「ニーゼン山」という作品があります(作品は,リンクからご確認ください).

クレーは,抽象絵画の巨匠です.三角や四角の魔術師のような,形の面白さ溢れる作品が多数あります.
ニーゼン山という絵画と,実際の写真を見比べてみると,様々な気づきが生まれます.

例えば,絵画と写真で同じところ.
それは,山が尖っているところです.とても尖っています.きっと作者もこの尖り方が気に入っているのでしょう.

例えば,違うところ.
それは,街の様子が,絵画ではカラーブロックになっているところです.家のような形や色ではなく,カラフルな四角が置かれています.

同じところと違うところを探したら,例えば「なぜ,そんな表し方にしたのか」を考えてみましょう.

尖らせているのは,やはりニーゼン山の1番の特徴を伝えたかったのかもしれません.
カラフルブロックにしているのは,街の賑やかさや,営みの多様さを伝えたかったのかもしれません.

さて,ここまで考えた時に,もしもともとこの作品を知っていたのであれば,大きな発見はなかったかもしれません.
けれど,初めて作品を見て,同異やその意図を考えてみると,少しだけニーゼン山に対する知識が更新されたかと思います.

例えば,これを一つの「深い学び」の状態であると仮定します.
そうすると,何が深くなったのでしょう.
一つは,絵画作品への見方です.実際の山と比べることで,作者の意図を,深く考えられるようになっているかもしれません.
一つは,比べてみる考え方です.絵画と写真を比べてみる時に視点を得ることで,他の絵画作品を鑑賞する際に適用できる知識が深まりをみせているかもしれません.

このように,「深まっているかな」と捉えている状態について,振り返り,言語化してみると,深度の違いはあれど,深い学びが見つかりそうです.

また,見方や考え方といった,ものごとの捉え方のような文脈で考えると,「深い学び」の側面には,「広がり」も見出せそうです.

その他の教科ではどうでしょうか.何かしらの問題や課題を解決するために,ものの見方や考え方が広がったり深まったりする学びをしている子供の姿,これは様々イメージできるのではないでしょうか.
そしてこのような姿は,ゴールではなく,学ぶ過程にこそ現れます.
試行錯誤して考えている時に,「あ,そういうことか」と言っている姿.
調べ物をしている時に,「お,つながるじゃん」と言っている姿.
友達の意見を聞いて,「やっぱり,そうかー」と言っている姿.

これらも,「深い学び」が生まれているととらえることができそうです.振り返りの記述には,そういった学びを自覚させる手立てこそ大切なんだと思います.

ここまで書いて,「では『深さ』はどうだろう」という議論が起こるかもしれませんが,みなさんは,どう考えますか.
きっと,学習指導要領における各教科等の目標と照らし合わせ,学年の発達段階における到達目標を踏まえた時,何かしらの深い状態が見えてくるかと思います.ぜひ,指導要領の気になる部分を覗いてみてください.

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