見出し画像

自己紹介noteが人気な理由を考える

自分の書いたnoteが誰かに読んでもらえたならそれは嬉しいことだけど、もし誰にも読まれなかったとしてもそれでいい。私はそういう気持ちでnoteを始めた。
「誰かに読んでもらうこと」に囚われすぎて自分の色が出せなかったら元も子もないし。


その気持ちは今も変わっていないけれど、やっぱり私の書いたものにいいね(ツイッターやインスタの感覚でいいねと呼んでるけど合っているのかは不明)が来るとなんとなく気分が上がるし、全然来なかったらちょっと気分が下がる。
こういう思いが芽生えている時点で、私はすでに「誰かに読んでもらうこと」に囚われているのかもしれないという気持ちは正直なくはない。
ただ、そのせいで書きたいことを曲げているわけではないから自分的にはまあ許容範囲。


そういうことを時折考えつつ、ハッシュタグから飛んでいろんな人のnoteを拝見しているうちに最近気付いたことがある。

それは「自己紹介」や「はじめまして」といったnoteはフォロワー数や投稿数などに関係なくいいねの数が多くなりやすいということ。
中にはライフハックやお役立ち情報を載せている記事よりも、個人の趣味嗜好や考え方、ものの見方などを綴った文章の方が人気になっていることさえある。普通は逆かと思っていたのでこれにはかなり驚いた。


でも実際私もそうかもしれない。
誰かのパーソナリティーとか価値観に触れられる内容の投稿は読んでいて興味深いし、とても面白いと感じる。
リアルでは全く知らないしこれからも知ることはないであろう、交わるはずのない存在。そういう人たちの頭の中をnoteを通して垣間見させてもらえることは、ものすごく貴重な体験だと思う。身近な人だったら、その人が何を考えていてどんな思考をしているのか、その気になれば聞くことができるけれど、それ以外の人に対してはなかなかそうもいかないから。
この事象を踏まえてみると、みんなはみんなが思っているよりも赤の他人に興味があるんじゃないかな、と勝手に思った。知らんけど。


これからも私はnoteを書くたびに、

「たくさんの人に読んでほしい!あといいねが貰えればもっとハッピー!」
「いや所詮ひとりごとの世界だから別にいい!気にならない!」

という相反する気持ちに揉まれるんだろうなと想像がつく。
こういうの、承認欲求っていうのかな~
でも裏を返せば、承認されたい欲が生まれるのは自分がそれにいくらかの自信があるからで、だからこそ他人から認めてほしくなるのかもしれない。


小さい子が、上手くかけた絵を「見て見て!」ってしたくなるのと似たようなものなような気がする。例えがちょっと幼稚すぎたかもしれないけど。
だってもし、自分の中で自信のないものだったり自分は良いと思わないものだったら、他者にそれを見せびらかしたい、称賛してほしいなんて発想にはならないはずだから。上手くいった、頑張った、お気に入り、こういうものだからこそ多くの人に見てほしくなるんじゃないか。


まあこんなことを言ってはいるけど、私は自分の書くものに特別自信があるわけじゃないし、自分の考えが正しいものだなんてもちろん思ってない。文章を書くことは競争ではないとわかってはいるけど、他の人のnoteを読めば読むほどみんなすごいなあという気持ちになるし、素敵な文才や発想が羨ましくもなる。
でもそういうのは置いておいて、私の考えを知るだけ知ってみてほしいっていう気持ちは少しある。


今回私が気が付いたことは2つ。
まず、拗らせすぎない程度に自分の中の承認欲求と仲良くしていくのも悪くないってこと。もう1つは、なりふり構わず自分をさらけだした文章が、意外と「赤の他人に興味があるみんな」に刺さるのかもしれないってこと。



この記事が参加している募集

#とは

57,900件

#自己紹介

228,323件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?