12月のかけらたち
会社帰り、電車が遅延していた。申し訳ありません、と駅員さん。あなたのせいじゃない。誰も悪くない。そう思えるくらい穏やかでいられる日が、すこしでも多い人生がいい。
待合室で吐く息が白い。降ってはいないのに、雪の匂いがする夜。
毎月の断片日記も、気づけば6回目。エッセイを書くのがこわいくせに、よく続いたものだ。
かつて、5年間毎日小説を投稿していた。今はお休みしているが、今年は久しぶりに長編を書き上げることができた。周りも私も変わり続けている。どんなかたちであれ、書き続けている。長所なんていいものじゃないな、癖というか病というか習慣というか
、息継ぎというかそうしなきゃ生きられないというか。来年からは、どんな方法で自分に立ち返ろうか。
でも、とりあえず来年のことは来年の私に任せるとして。12月はいろいろなことがあった。文字通り師走で、日々はせわしなく過ぎて、あの頃憧れていた大人には追いつけないまま、それでもいくらかは大人になって、また年の瀬を迎えている。
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12月生まれたての日。上京。クリエイターが集まる忘年会に参加した。久しぶりの東京は、クリスマス仕様できらきらしていた。
一生分、人と話した気がした。出会った人みんな、ほんとうにまぶしくてかっこよかった。はじめましての人にも、概念だけ知っていた人にも会えてうれしかった。概念じゃない。みんな、大切にしたいものを持ってなにかを作り続けている人間だ。こんなかっこいい大人がたくさんいるって希望だ。進もうとしている道の先は明るいと信じられる。
たくさんのざわめきのなかでは、声を大きく張らなければ声が届かなかった。それでも聞こうとしてくれる人がいた。私も必死で聞こうとした。この人たちとまた再会できるように、がんばりたいと思った。
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間を置かずにまた上京。マギーさん脚本の『OUT OF ORDER』、よく晴れた日のマチネ。下半期は、この日のために生きていたと言っても過言ではなかった。
私はこの作品に出演している、中村倫也さんが大好きだ。今流行りの概念に当てはめるなら「推し」なんだろう。
私は、倫也さんの言葉に救われたことがある。気づけばいつしか、勝手に彼を神様にしてしまっていた。人生のくるしさから目を背けるために、彼を推していた。
でも、ほんとうにこんな推し方でいいのか、と思ってもいた。
彼には彼の人生がある。俳優として、人として、幸せを目指して生きている。その姿を、私たちに見せていてくれる。だったら私も、幸せを目指して生きるべきじゃないのか。
彼は私に、人生を見つめ直すきっかけを与えてくれた。いや、与えられたなんて烏滸がましい。勝手に、私がもらったんだ。
人生から目を背けるために推しを推すのではなく、人生と向き合いながら推しを推したかった。ひとりの人間として、生きていてくれる倫也さんに会いたかった。概念でも神様でもない、ひとりの人間としてそこにいる倫也さんに会いたかった。推し、という言葉ひとつに、この感情は任せられない。
倫也さんは「居た」。居てくれた。それだけで感動して泣き崩れそうになった。劇は最高だった。素晴らしい喜劇で、ずーっと笑っていた。スタンディングオベーションしてしまった。手が痛くなるくらい拍手した。もうほんとうによかった、すっごくよかった。息の通りがよくなった気がした。
私は長らく、自分が幸せになることはゆるされないと思っていたが、そう思っていたのは結局のところ、自分自身だった。私は彼を推すことで、幸せな人生を目指していいのだと思えた。ずっと救われっぱなしだ。いつか、ありがとうと伝えたい。
好きな人と仕事がしたい。そうするには、好きな人と仕事をするに恥じない自分でいなければならない。もらってばかりじゃ嫌だ。ありがとうを返したい。これはとんだエゴです、でも本気で思っている。
私は好きだ、と思う人と出会うと、いつも「一緒になにかつくりたい」と思う。学生の頃からそうだった。たぶんそれが、私なりの最大限の好き!!なんだろう。
私は今、周りにいてくれる人たちのことがとても好きで、そう思える人たちと一緒になにかをつくれることがうれしい。私も、好きな人たちから「一緒につくろう」と言ってもらえる存在でありたい。ひとり決意を新たにした東京徘徊だった。
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朝井リョウさんの『どうしても生きてる』を読んだ。優しくぶん殴られた。『正欲』といい、最近朝井リョウさんに殴られっぱなしだ。世界のすべてが敵に回っても、朝井リョウさんだけは最後まで味方でいてくれるんじゃないかと信じてしまいたくなる。そう思うことさえ浅ましいんじゃないかと思う。
朝井リョウさんに殴られたあとの世界は、見たくないものも見えるけど、希望もクリアになっている。まだこの世界に希望はあると思える。感想は自分のなかだけにとどめた。言葉にしない感情があったっていい。寝かせて熟成したっていい。いつかしかるべきかたちで現れてくれるはずだから。
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オフィスの工事が終わったので、3ヶ月ぶりに出社した。たった3ヶ月なのに、通勤路の景色がすこし変わっていた。元々建物があった場所が更地になっていたり、民家にイルミネーションがされていたりした。時折見かける猫は、変わらずそこにいた。川の水が凍っていてテンションが上がった。踏んでみたくなったが、びしょびしょで出勤するわけにはいかないので我慢した。私は大人である。
メンバーとは、離れていても離れている感じがしない。でも、時々こうやってみんなで立ち戻れる場所があるって、うれしい。
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江國香織さんの『東京タワー』に出てきた、グレアム・グリーンの『情事の終わり』を読んだ。こういう本の読み方をするから、本が無限に増える。仕方ない、本への出費は厭わない。この本もとてもよかった。いい出会いをした。
私は書簡体小説にめっぽう弱い。行間がもどかしく美しく、想像の余白が広い。学生時代を思い出す。故人の文学をみんなで読み解き、愛とはなにかを全力で討論したあの時間。まちがいなく、私の泉を深くしてくれた時間。あの頃の泉を、枯渇させずに生きたい。
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以前から激推しされていた映画『TAR』を観た。すごかった。静かに食らった。まだうまく感情を紐解けない。権力と能力と芸術と、様々な欲と世間体と。誰が悪いとか愚かとか、そういったことではないが、ただ人間のどうしようもなさと、芸術が持つ意味と、天才と呼ばれる人の圧倒的な孤独とが、どっと押し寄せて潰されそうになった。表現することはいのちがけなんだ。
そういえば最近、お世話になっている方々と「今年一番よかった映画」について話した。私はやっぱり『ザ・ホエール』だ。救いとはなにか、本気で考えざるを得ない物語。
自分好みのものばかりになってしまうから、誰かから作品を教えてもらうのが好きだ。最近はウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』を観始めた。美術館を歩いているような映画だと思った。絵画を見ているみたい。夢のなかみたいな世界。表現することはいのちがけだ。だから楽しくてくるしくて、やめられないんだ。
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突発的な胃炎になった。おろしりんごが食べたくなったが、おろす気力がなく、そもそもりんごが家になかった。私はもう大人だから、りんごを買うのもおろすのも、自分でやらなければならない。来年は体力と免疫力を強化したい。弱っている大人が、りんごをおろすのは大変だから。そう遠くない未来、AIがりんごをおろしてくれるようになるんだろうか。
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お世話になっている劇団の劇を観に行った。台本の段階からいつも楽しみで仕方ない。今回もとてもわくわくしていた。
喜劇を書ける人を、私は尊敬している。この世界の多くは悲劇だけど、それでも一筋の光を大切に見つけて、さらにそれを笑いに昇華するって、ほんとうにすごいことだ。
劇はすごくすごくよかった。途中、声を出して笑ってしまった。老若男女、みんな笑っていた。別の人生がひとつの空間に集って、ひとつの物語に身を委ねている。なんだこの空間は。あまりに素敵な午後じゃないか。劇場内では、社会で生きる上の仮面を取っ払われる。それが心地いい。
感想を書くとき、感情と言葉にはいつも距離があると感じる。でも、伝えたいと思う。私が文章を書く理由のひとつな気がする。この感情を、できるだけ純度の高いまま、あなたに伝えたいのだと。
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本を、
つくっている。
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まもなく27分遅れで電車が到着します。待合室を出る。線路の向こう側、夜を貫通する光がまぶしい。
健康で文化的な最高の生活を、持続可能に送りたい。人生は時々のっぴきならないが、それでも、今を楽しく踊れるような大人でいたい。大切にしたいことと人を大切に、今自分が感じていることに素直でありたい。幸せだと感じる瞬間は、全力で幸せを感じたい。来年の目標は「立ち戻る場所をつくり、立ち戻る習慣をつくる」こと。
電車が口を開く。人がたくさん乗っている。私もそのひとりになる。それぞれの人生へ帰りゆく人たちと一緒に、私もゆらゆらと揺られる。よいお年を、はもうすこし先だけど、誰もがきっと毎日、よい明日を願っている。
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