見出し画像

好きなことを、好きなままで 2022/12/31

私の右手中指は、すこし変形しています。年月もののペンだこがあるからです。

今年は、人生の24年目。相変わらずたくさん、文章を書いた年でした。でも、一番変わったのは、仕事として文章を書かせてもらえるようになったこと。人生で一番「誰かの思いを伝えるために書く」ことに、心を尽くした一年でした。

年末くらいは文章から離れようかと思っていたのですが、どうしても、大切な一年のことを書き残したくなってしまった。普段このnoteでは、限りなく脳内ひとりごとに近い文章を備忘録的に残していますが、今回はちゃんと記事にしてまとめてみました。
 
年末の時間を、すこしだけ私にください。

幼い頃の私

昔から、常に考え事をしているタイプでした。想像力が止まらなくて、頭の中には常に文章が流れていた。それを、自由帳やティッシュ箱の裏やチラシの裏、あらゆる真っ白な場所に書き綴っていました。私のなかで書くことは、衣食住と同じくらい、人生に必要なものだったのだと思います。

今でこそ文章を主に書いていますが、はじまりは、「絵+文章」でした。実家の押し入れには、幼い頃書いた漫画が、自由帳何冊分も積み上がっています。それが次第に、文章だけになっていく。絵が嫌いになったというわけではなく(もっと描いておけばよかった)、ただ、私に残ったのは文章でした。

よく覚えているのは、小学生の頃、ひとりで雑誌をつくっていたこと。自由帳一冊のなかに「恋愛系」「ファンタジー系」「日常系」「4コマ」といったいろいろなジャンルの物語を書き、架空の月刊誌をつくっていました。ただ、考えて書くことが楽しくて仕方なかった。暇さえあれば机に向かい、何時間でも書いていました。
ある日、右手の中指に激痛を感じ、そこから血が出ていたことがありました。ボールペンの握りすぎでした。それくらい、書くことが好きでした。

小学校の国語の時間、「自由にお話をつくる」授業があったとき、鳥肌がぶわっと立つくらいのわくわく感を抱いたことを、今でも覚えています。

それは、自由帳のまっさらな1ページ目を広げたときの感覚と似ていました。そして今、真っ白な紙と向かい合うときも、そのときと似た感覚を抱きます。

社会人前夜

大学3年の春。就活を目前にした私は、「社会に出たら、書くのはやめにしよう。だから学生の限られた時間で、悔いのないようたくさん書こう」と決めました。書くことは大好きで大切だけど、それをどうやってお金にして生活していけばいいか、当時の私にはわかりませんでした。物書きは霞を食べて生きているわけではなく、生活するためには働かなければならない。それだけは深く理解していました。だから、悔いの残らないようひたすら、書き狂っていました。

幸いなことに、文章を読んでくれる友人や教授がいました。読んで、感想をくれる人がたくさんいました。そのひとつひとつが、とても、ありがたかった。自分にはない視点で文章を読んでもらう経験を、学生の時期にできたことは本当に大きかったです。
書いては朱入れし、悩み、練り、書き、削り、の繰り返し。公募の選考が通ったときは喜び、落ちたときはひとりで泣きました。どんなに忙しいときも、つらいことがあった日も、文章だけは書き続けました。

「ぜひ書き続けてください」

親愛なる教授からそう言ってもらったとき、私は、書くことをやめたくない、書きたいのだ、と実感せざるを得ませんでした。

そして、社会に出てからも書き続けることになりました。文章を書いている人、として認知してもらうことが多くなり、依頼を受けて書くことが増えました。それは私にとって、新しい問いかけでもありました。

好きなこととどう付き合って生きていくか?
好きなことを仕事にする覚悟はあるか?

毎晩悩みました。でも、答えを出すのは自分しかいない。選んだほうを、正解にしていく覚悟を持たなければ。

私は文章を、人生から排除することはできない。
とことん付き合おう。
好きなことを活かして誰かの役に立てるのなら、それはすごく、幸せだ。

そして紆余曲折あり、いろいろな出会いがあり、私はライターになりました。ライターとしての私を認めてくれた人たちと一緒に、日々、「つくる」に励むようになりました。

「一緒につくる」日々の中

先輩たちといて一番感じたのは、「いいものをつくりたい」という眼差しでした。相手にとって何がいいものなのかを真剣に考えながら、持てる技術を最大限に使って「思いをデザインする」、その姿勢や眼差しに、私は感銘を受け、勝手に救われていました。
こんな思いで、何かをつくっている人がいるんだ。私もこの中の一員として、同じ未来を見ていたい。強く、そう思えるようになりました。

文章を書くことは孤独だと思っていました。実際、孤独な時間を要することもあります。
でも、今年は一緒に書いてくれる人がいて、一人では書けなかった文章をたくさん書くことができました。自分の思いだけでなく、誰かの思いをかたちにして、届けることができました。

文章を人に見せるのは勇気が要ります。その感覚は、昔からずっとあります。どこの誰に、どんなふうに受け取られるんだろう。どんなふうに思われるだろう。こちらが思っていることが、ただしく伝わるだろうか。
それが、誰かの思いであればなおさら考えます。悩むし、責任が伴うし、覚悟が要ります。でも、そうやって綴ったことばにこそ、温度が生じるのだと思います。

それでも悩んでしまったとき、「楽しんでいきましょう」ということばに救われました。大切な人が周りにいる環境だからこそ、期待に応えたくて、迷惑をかけたくなくて、どうすればいいかわからなくなっていた私にとって、そのことばはとても軽やかで芯があり、つい忘れがちだけどすごく大切なことだ、と実感させてくれました。

大人になると、公私ともに考えなければならないことが増えます。でも最初は、「楽しい」が原動力だったはず。出来事は出来事として受け入れながら、できるだけ、楽しむ。その姿勢で生きている大人の先輩が近くにいることは、こんなにも心強いのか。

私もそんな大人に、なりたい。そしていつかこのことばを、誰かに引き継げるようになりたい。

書いていて指先に力がこもるくらい、そう思っています。

まとまらない私の、今年最後のまとめ

結局、たくさん書いてしまいました…。
私は書きたいことがなくて悩むのではなく、書きたいことがありすぎて、まとまらなくて悩むタイプなのかもしれません。

だから、
来年の目標は「シンプルにする」にします。 
生活も、考え方も。 

つい、物事を複雑に考えがちですが、複雑に考えることと、深く考えることは、似ているようで異なります。
シンプルに生きることで、落ち着いて、深い思考ができる大人で在りたいです。

具体的に何をやりたい?と聞かれたら、そりゃあもうたくさんあります。
プライベートだけでいえば、小説はひとつくらい書き上げたいし、短歌集や詩集もつくりたいし、脚本も書きたいし作詞もしたい。漫才やコントも書いてみたいし、友人とはいつか映画をつくろうねと話をしています。ああカメラもがんばりたい。いろんな瞬間を切り取りたい。これにプラス、仕事で頑張りたいことが加わると、それだけで一つ分の記事になってしまう……

と、ここまで書いてみて、やっぱり私の根底にあるのは、「伝えたい」なんだなあと思いました。そのための手段を探して試行錯誤してくるなかで、残ったのが文章だったのだな、と。

かたちになっていない思いが、この世にはたくさんあります。自分の中にも、相手の中にも、今すれ違ったあの人の中にも。
人に何かを伝えるのはこわい。それでも、大切な人に思いを伝えるために、届けたい人に思いを届けるために、ことばはあります。

今までよりも「ことば」の意義について真剣に向き合い、その限界も理解したうえで、大切に、ことばを編める人でありたいと思いながら、日々、文章を書いていたい。

それが、2022年最終日段階の、私の思いです。

上記のことをすべてこなすには、あまりに人生は短すぎます。でも、結局はひとつひとつ、一日一日の積み重ね。目の前の相手や仕事を大切にしながら、日々を丁寧に重ねていきたい所存です。
何かつくりたい、と思ってくださったら、ぜひ声をかけてください。喜んでちょっとだけ踊ります。るん。

ここまで読んでくださった方、今年最後の日の大切な時間を私の文章に割いていただき、本当にありがとうございました。口にしすぎると純度が落ちてしまうのでなかなか言えませんが、いつもそばにいて見守ってくれるみなさんのことが、私は大好きです。

どうか、よいお年を。
来年もよろしくお願いいたします。


***

2023年のキャッチコピー

好きなことを好きなままで、
好きな人たちと、一緒に。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?