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「わがままな性格がなおさら愛しくさせた」は本当のことなのか?

この曲を聴いてほしい。

山崎まさよしの「One more time,One more chance」!名曲!
繊細な旋律、切ないギター、哀しい歌詞。なんて美しい曲。お別れした彼女を愛おしく想う失恋ソング。

紅白で歌う山崎さんの白い吐息の鮮明な記憶(2005)、バイト先に撮影に来て本人に遭遇したこと。山崎まさよしさんは、時折人生に現れる。

この曲に次のような歌詞がある。

食い違う時はいつも 僕が先に折れたね
わがままな性格が なおさら愛しくさせた

ん?

「わがまま」が人を愛おしくさせた?
「愛おしくさせたわがまま」って何?!
wagamama…?

私がこう思ったのには二つ理由がある。

①自分を貫いた言動をできないことがあるから。
②わがままは悪いことだと信じていたから。

命が繰り返しても会いたい彼女の言った「わがまま」が本日も頭を離れません。

「かわいいわがまま」と「うざいわがまま」

Instagramで「彼ピ、わがままをいつも聞いてくれてありがとぅ💓」と書き連ねた挙句、数ヶ月後に結婚報告とかをしていたりする人をたまに目にする。一方、この数年周囲で「迷惑かけるかもしれない」と悩んだ挙句、小さなわがまましか言えず恋人と別れてしまった…という友人らの事例も後を絶たない。後者に属する私も、夜な夜な枕を濡らしてきた。

わがままが通じる人と、通じない人。
そこにどんな違いがあるんだろう?その考察結果が2つ挙げられた。

①「わがまま」にかわいい/うざい などの差はない。言う・言われる側の心が勝手に決めている。

咲き乱れる花を「きれい」と感じるのは人間の勝手なフィルターで、花はただそこに咲いているだけ。それに似ていて、「ああしたい」「こうしたい」というわがままは、ただそこにある現象で、それをどう思うかは、言った本人とその周りの判断による。

人は、人生のどこかで「私の言うことは素晴らしい/私の言うことはおかしい」と、言動を肯定できる/できない、と、勝手に決めてしまうのかもしれない。そして友人らや私は後者に傾きがちだ。

皆がラーメンと言っても、焼肉!と自己主張できる人は「否定されない」という宝の経験を持っている。「否定されない世界」に住む人は、「否定された!」とまっぴら思わないから、後日多分また焼肉!と言える。

かたや、酢豚が食べたい…と思いつつも言えない人は「否定された」という経験の持ち主かもしれない。一度「酢豚食べたい」と言ったら「酢豚ウケるw」などと言われて自己主張を辞めたタイプだ。「否定される世界」に住む人は、みんな敵に見えるから明日も明後日も酢豚欲求を公言できない。

自分の信じている世界で物事は動く。

きっと山崎まさよしの元カノは、ラーメン派のまさよしを折れさせ、焼肉を貫けるのだろう(山崎さんが優しいからというのもありそう)。それでも網をつつく姿を愛おしいと思ってもらえるなんて、うぅ…世界は不平等だ。(は?)

わがままを言えないのは「彼氏」だけ?

考察二つ目。

②わがままをいえないのは「彼氏」だけ?わがままを言えなかった人が他にいるかもしれない。そこが根本的が原因なのではないか?

昔、恋人のことを「パパ」と間違えて言ってしまった懺悔をここでしたい。決してパパ活をしていたのではない。魂の底から、間違えてしまったのだ。「パパ…パンパカパーン」と濁した記憶がある。

数ヶ月後、その恋人と別れることになった。

「パパ事件」が原因ではない。ただいつもどこかで「この人との関係は、父親との関係性に似ている」と思っており、びくびくするする毎日の垣根から「終わり」が見えていたような気がする。

私は父に一度も自己主張をしたことがないまま、会えていない。



うまくいかなかったことを、別の形でやり直そうとするのが人の性。恋人を通して心の中で父とやり直す。でも、自己主張の仕方を知らないから、恋人にも主張できない。わがままを言えないのは、彼氏より前に、親だったのかもしれない。

「酢豚食べたい」どころか、主張すらままならない空気の中で育った人は「わがまま」を知らない。だから学校や社会でも、皆がみんな家族と同じように「自分を軽んじる前提」で世の中を読む。否定されたらまた「やっぱりダメだ~…」と証拠を集める。ループの鬼。予防線を張らないと、否定された時の傷がさらに深まってしまうからだ。

それでも私は言う。

今日からあなたは酢豚宣言をしてもいい。親と世間は別物なのだから。あなたを縛る「わがままを言ってはいけないルール」は親だけに適用され、世間では通用しない。その優しさを信じてみてもいいかもしれない。

わがままを言えない世界から抜け出して、酢豚宣言をしていいのだ。

酢豚宣言を始める人は次のことに挑戦してほしい。

・「自分は軽んじられる前提」を疑ってみる。
・「親と世間は別」と何度も何度も唱えてみる。
・一人で酢豚食べて、願いを叶える。
・頑張って信頼できる人に酢豚を誘ってみる。

これは勝手に作った作戦だが、とても効く。
信じる価値観を覆すのは大変だが、身に付いたルールを外すのは自分しかいない。あなたの主人は、親でも彼氏でもなく、あなた自身。

薬も飲んだし、眠れなかったし、カウンセリングに通いつめた。でも最後の縛りを取るのは私自身だと気付いた時には、食べたいものを「食べたい」と言えていた。「わがままを言えない」あなたのルールを、一度疑ってみてほしい。

控えめなあなたの努力は

「焼肉食べたい」と店の前で喚き散らかすようなわがままは、さすがに山崎まさよしもゴメンだろう。たまに「ほんとに君はわがまま…ってか意地悪か?」という輩もいるし、「”我がまま”に生きよう」という自己啓発系の文言も見飽きた。社会には、わがままの限度がある。

散々我慢してきた酢豚派の人間は、その限度を重々承知のはずだ。「わがまま限度検定」があれば1級を取得可能です。だから、あなたが「酢豚食べたいな」「浅草行きたいな」「海見たいな」「返信欲しいな」などと言ったところで「黙れ!」なんて、思われない。大概の人が「珍しいね!はーい!」と言ってくれると思う。もっといい人に会えば「決めてくれてありがとう」というプライスレスな言葉すらいただけることもある。

控えめに生きてきた人の「わがまま」は、他人からしたら「それいいね!」にも変わり得る。わがままのB面を、信じてみてもいいかもしれない。我慢し続けてきた努力は、否定されるためだけにあるのではない。

あなたは、山崎まさよしが折れ、愛おしく思うようなわがままを言ってもいいのだ!


そして、散々書いたが私は酢豚を一口も食べたことがない。すみません。


🍍酢豚の部分は好きな食べ物に変えて読んでください。話題が飛びすぎましたが、「One more time,One more chance」は本当にいい曲です。たまに、父と桜木町に行ったことを思い出します。


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