★映画鑑賞★『勝手にふるえてろ』
笑える度:★★★★★
犬のフン踏んでも頑張れる度:★★★★★
昔から「私は存在してもいいのか?」と思ってきた。
「私存在していいのか説」は頭から離れることなく、接する人や対応する仕事に大きな影響を及ぼす。「私がこんなことしたら駄目なのでは…」と。
いつからか音楽や文学に親しむようになってから、このじめっとした苦しい思いは「センチメンタル」へと昇華されて、同じ思いを持つ人への「共感」となり、私のアイデンティティになった。どうやら私は存在して良いらしい。
そういう思いをすべて反映してくれてありがとうこの野郎と思わせてくれた映画があった。『勝手にふるえてろ』。綿矢りさの小説である。
原作の小説は、「真っ直ぐな女性の悩み」という感じで溌剌とした感覚を覚えていたが、映画は少し違って、観たら胸の奥から嗚咽してしまい、帰り道、なんかすごく走った。とにかく走った。2017年12月30日の夕方のことである。
べそかいた私を2kmも走らせたこの『勝手にふるえてろ』は、主人公・ヨシカ(松岡茉優)の恋愛模様を描いた作品だ。10年も片思いしているイチ(北村匠海)と、会社の同期・ニ(渡辺大知)の間で揺れ動くドタバタコメディだ。
※ ネタバレしたくないので感想だけ書きます。
正直、ヨシカは馬鹿だ。片思いの相手を脳内で召喚することや、誰にも気付かれないように好きな人を見る「視野見」の実行、……全部私と同じだった。(タモリ倶楽部を生きがいにしていることも。)
そんな彼女の中心にある「自己存在意義へのギモン」は、恋愛を通して如実に表れる。それが鑑賞者の私を苦しめた。カタルシス。
この時私には、一方的にめちゃくちゃ好きな人がいた。ただ、その人の「1mmも存在意義とかを気にしたことのない屈託のなさ」に完全に敗北していた。
きっとあなたは私を見ないよね、と。キラキラしすぎて己の泥水感が苦しすぎて死にそうだった。
自分の欲求に従い、「これしたい」「これしてほしい」という衒いの無い女性の輝きが羨ましい。
ましてや、「あなたが好き」「付き合って欲しい」というLove的なアレを直球で投げる女性に対しては、もう拝むしかない。
こういう素直さを私は、幼稚園の砂場あたりに置いてきたらしい。
ヨシカも、イチやニへの恋心に翻弄されていくたびに「私は、誰にも見られてない」と気付く。
(その時のどんでん返しミュージカルは圧巻が過ぎる。)
中でも印象的だったのが、10年も恋したイチと再会した時に「キミ」と呼ばれ続けたヨシカが「私の名前、呼んでくれないんだね。」と怒り嘆いたシーンである。
ここにいるのに、忘れられてしまうこと。
ここにいるのに、気にかけてもらえないこと。
「私は空気じゃないんです」という、魂からの叫びが、産まれたての赤ちゃんの雄叫びにみたいにあふれてきた。誰だってちゃんと存在して、認められるべきなんだから。そのための「名前」なんだから。
誰にも見られてなかったヨシカが、愚直で真っ直ぐな男・ニ に見つめられることで、やっと「存在化」するあたりなんかは、実存哲学そのものだ。「実存は本質に先立つ」(サルトル)の難しさでテスト用紙を破るよりも、この映画見た方がよっぽど実存哲学を学ぶことができる。
「私存在していいのか説」を抱いている人には、どうしても見て欲しい映画だ。「あなたは必要よ」という生易しい言葉よりも、うんと心に効く。外側からではなく、内側から救いをもたらす。
「存在していいんだ!」って自分が自分を認める作業を完了すらできるから。
あとひたすらに松岡茉優さんがかわいいです。
松岡茉優さんじゃなきゃ、この映画は成り立たないです。主題歌・黒猫チェルシーの『ベイビーユー』も完璧です。
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