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この曲の気持ちを知らなくても良い気がする―『喝采』

生死の表現がある記事です。

『喝采』という楽曲をご存知でしょうか?

昭和を代表する歌手・ちあきなおみさんによって歌われた、有名な悲しい失恋の曲です。

平成生まれの私ですが、この『喝采』にちょっとした思い出があります。

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六年ほど前、ある「ドヤ街」と呼ばれる場所へ、ボランティアとして働いている時期がありました。

そこには、家がなく道端で衣食住を行う人、病気を患っても必要な治療を受けられない人、そのまま亡くなっていく人が無数にいました。

ケアを学んでいた私でしたが、ここでできることと言えば、小さな施設病院での皿洗いや、皆さんと一緒におやつを食べてお話するだけ。

そこで出会ったのが、Iさんという方、そして『喝采』という曲でした。

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Iさんに残された日々は多くはありませんでした。

それでもIさんは毎日懸命に生きていました。

当時の私は、まだ傷だらけのまま実家を出てきたばかりで、生きるのに疲れていました。

そんな思いを、身を持って消してくれたのがIさんだったように思います。

生きることが全てではない。生きたくない気持ちが間違っているわけではない。

けれど、生きたいと思う人を前に「死にたい」とは、決して思えませんでした。

それが、私の心の底からうわっと沸き上がって気持ちでした。

Iさんが少しでも長く生きられるように、「あと何日」と決まっていてもIさんの想いが全うできるように。

そう願うしかありませんでした。

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ある日、Iさんが声を掛けてきました。

あと数日の命を前に怒りを隠せなくなったIさんは、投げやりになって外出した勢いで道端で転び、血だらけになっていました。

細く、グレー色になっている脚。そこに包帯を巻いている時でした。


「君、『喝采』知ってるかいね?」

「ごめんない。分からないです。どんな曲ですか?今日帰ったら聞いてみます!」

「これ、いい曲なんだよ。僕たちの青春だよ。でもこの曲の気持ちを、知らなくても良い気もするよ。」

「一緒に歌えるように練習しときますね。」


Iさんと交わした言葉は、これが最後でした。

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次の週、施設に向かうと、Iさんはあっという間に小さな箱の中に入っていました。

Iさんは、その命を最後まで全うしました。

あの包帯も、あの血の色も、あのしわがれた声も、大空の空気の中に吸い込まれてしまっていました。

それは悲しいお別れでした。

私の20年に一瞬だけ登場したIさん。

Iさんの死が私にもたらした命の重みはとてつもなく大きく、生きるのがしんどいと思っていた私から、鉛のような悲しみをどかしてくれた存在でした。

その時、ふと思い出したのが『喝采』でした。



実はあの日、「聞きますね」と言いながらも忙しさのあまり、歌詞をしっかり読まなかったのです。

『喝采』というにぎやかな単語から、大変に高揚感のある楽曲かと予想していました。

スターの苦労とか、叶わなかった夢追い人への応援歌とか、そのような明るさが含まれていると思っていたのです。

でも歌詞をしっかり読むと、本当に取り返しのつかない悲しみが綴られた曲だと、分かりました。

***

Iさんは、高度経済成長期にかけて東京タワーを作ったり、道路工事をしたり、いわば戦後日本の土台を作った人でした。

しかし時が経つに連れて仕事と家族と家を失い、道を彷徨うようになったのだそうです。

その時代にそういう人はたくさんいた、自分だけではない、とも教えてくれました。

自分の努力を誇示せず、現実を憂うこともなく、ひたすらに真っ直ぐ生きてきた人なのだと思います。

ちょっとだけ失ったものが多かったのかもしれません。

だからこそ痛みの分かる人で、こんな何もできない若輩者の私を当然のように受け入れ、「役に立たせて」くれたのだと思います。

「でもこの曲の気持ちを、知らなくても良い気もするよ。」

良い歌なのに「知らなくてもいい」と言ってくれたIさんの静かな優しさ。



皮肉にもIさんの死を通して、私は『喝采』の良さを知ってしまいました。

大切な人を失うのはとても悲しい。

そして、何も無かったかのように日常が続き、時に幸せを感じ、賞賛を浴び、悲しかった思い出を忘れる瞬間が存在するのも悲しい。

でも、ただひとつ、Iさんへ訂正するとするならば、「この曲の気持ちを、知って良かったよ」ということかもしれません。

どうしたって、あなたがいたことで、私は生きるのを軽んじなくなったからです。



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