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想い想われ、愛し愛される。そんな人になりたいんだ

『葬送のフリーレン』の最終回を前に、また1話から見直しを始めました。フリーレンを愛するみずです。

終わっちゃうことが悲しすぎて、卒業研究が辛い時期は私の生きがいポジションにもいて、毎週あたたかいストーリーに胸打たれていました。本当に悲しい…。


フリーレンは人間の感覚が分かりません。勇者一行の旅を終え、勇者ヒンメルが亡くなった時に「人間の寿命は短いって分かっていたのに」と後悔したことを機に、人間への理解を深める旅に出る。葬送のフリーレンは、そんな “想いは言葉にしないと伝わらないよね” ってことをフリーレンを通して教えてくれているような気がします。

それをしみじみ感じ、私も受け取ったものをnoteに書いてきました。メッセージの伝え方もまた、あったかくて、相手を想う気遣いを感じて、いちいち嬉しくなります。本当にほっとする。


『葬送のフリーレン』を見て、みなさんこう感じることはありませんか?

ヒンメルになりたい

イケメンになりたいじゃなくて。ヒンメルという人がとても魅力溢れる人で、ヒンメルとフリーレンの関係もまたなんとも言えないあたたかさありますよね。

フリーレンがいろんなことを感じ取って学んでいくことも、この物語を見る中でとても楽しい部分です。でもそれ以上に、ヒンメルに憧れてしまうのです。言動がカッコイイ。きっとみんなも大好きなセリフだと思うんだけれど、これが好きすぎるんです。

生きているということは誰かに知ってもらって覚えていてもらうことだ。ほんの少しでいい。誰かの人生を変えてあげればいい。きっとそれだけで十分なんだ。

やっぱり生きている以上、誰かに覚えておいて欲しいと思うのは人間の性なような気がします。でもそれってとても難しい。どうしたら覚えておいてもらえるんだろうと思う。その答えがきっとこれ。

ヒンメルは、人助けを率先して行います。「なぜ、人助けするのか」それをヒンメルはこういうのです。

確かに小さな人助けだ。きっとこんなことをしたって世界は変わらない。でも僕は目の前で困っている人を見捨てるつもりはないよ。

世界平和を願うヒンメルだからこそ、このセリフは意味があると思います。世界平和なんて大きなことも、こういった小さな人助けの積み重ねなんだなと感じさせられます。小さな人助けだけれども、目の前の人を想い、助ける姿に惚れない人いないと思います。


そして、象徴するセリフは無いけれどヒンメルがフリーレンを想うシーンはとても多いです。

・フリーレンに寂しい思いをさせないための銅像たち
・未来でひとりぼっちになることを危惧して想いは伝えず、渡しただけの鏡蓮華のゆびわ

そして私たちが目にするこれらのシーンはフリーレンの回想によるもの。ここでフリーレンは数十年越しにヒンメルからの愛を感じています。

直接伝え、伝わったわけではない。人間にとっては長い時間をかけて少しずつフリーレンに伝わっていく。それすらもヒンメルは考えているような、そんなフリーレンを想う愛に憧れない人もいないでしょつ。


そんな場面を何度も見せられたら、ヒンメルに恋してしまうではありませんか!そしてフリーレンが羨ましくなってしまうでは無いか!!

それ以上にフリーレンのように愛されたいって思う。ヒンメルのように愛してみたいって思う。

そしてヒンメルとフリーレンのような、想い想われ、愛し愛される人になりたいなって思ずにはいられない。そうは思いませんか?

私はそう、思ってしまいました。


ああ、フリーレンが終わってしまうのがさみしい。
たかがアニメにこんなに感情を動かされ、揺さぶられ、「終わるのがさみしい」なんて思う日が来るとは思わなかった。フリーレンのあった毎日は些細な幸せにも気づけるような、そんな日々でした。

フリーレン大好き!!!


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