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自分を壊したくない

無理して頑張ることを当たり前と思いすぎて、無理していたことも分からなくなっていたことに気づいた。


私は何度か自分をボロボロにしたことがあります。
最も記憶に濃い出来事があった時は、本当に死んでしまいそうでした。生まれて初めて「死にたい」と自然に思ってしまうくらいには、ボロボロになっていました。

その時の1番の教訓が「辞めることは逃げじゃない」

◇❖◇

その出来事は高3の吹奏楽部でのことでした。
地区大会コンクールの5日前のこと。
一年以上も積もらせた人間関係や実力などのストレスから過呼吸を起こして倒れた。しんどいのはここから。助けを求められる人が私にはいなかった。部活の人みんなが敵に見えていた。誰も探しに来てくれなかった。私は必要のない人だと思った。
倒れて1時間以上が経ち、全体練習が始まる時、やっと見つけてもらった。過呼吸からくる手足のしびれに加え、熱中症にもなっていた。その日はそのまま帰宅した。
次の日、パートの人vs私の構図でひたすらに責められ続けた。そんな機会作った人を私は一生恨むだろう。心はもうボロボロだった。
部活に行きたくない
でも、コンクールメンバーが休む訳にはいかない責任感から、熱を抱えたまま練習に行った。
終わって欲しい願いは届かず、上の大会に進み、辛い日々は続いた。その時まで何度、車通りの帰り道で「飛び込んだらどうなるかな」と思ったことか。
合宿も行かされた。歩くのもやっとだったのに。楽器を口にくわえるだけで吐き気がした。
やっと、コンクールが終わった。


この時、どこかのタイミングで逃げていたら、私はここまでボロボロになんてならなかったし、吹奏楽は好きなまま、終わることができただろう。
でも、できなかった私は吹奏楽の曲はもう一生聞かない気もする。部活の人とも会わないだろう。

◇❖◇


「辞めることは逃げじゃない」教訓を得ていたのに、また同じことをしようとしていた。逃げたい・辞めたいと思ってもそんな決断を私にはできない。
そんな時、思い出さしてくれる言葉に出会った。

 楽に生きて、長生きをする。必要なのはそれだけだ。
 最悪な環境から逃げると決めた時は、最高速度で逃げるべきだと思う。
 逃げるべき方角は、楽しいもの、愛おしい人、得意なこと。あるいは、その全部。いつも選んでいた方角とは正反対の方角である。

いつか別れる。でもそれは今日ではない
035 壊れないで生きるために


今まで無理してたから辛かったんだ。
それに気づいてしまったら、辛かったら、辞めてもいいんだと思う。
続けることだけが正義じゃない。
それに、正義をいくら掲げても生きていけないなら意味は無い。


それに「行きたくない」って
「生きたくない」みたい。

そう思ってしまったのなら、正反対の方向に逃げてもいいよねと思えるようになった。

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