大学院の合格通知を捨てた
長文です。
記事もたくさん載せてありますが、読まなくても大丈夫なようになっています。
私のこの選択の先を、これから見守っていただけると嬉しいです。
◇◆◇
大学2年生のときには「きっと私は大学院に進むだろう」と信じて疑わなかった。自分の勉強スタイルや性格からも研究職はどう考えてもピッタリだし、きっと研究生活は楽しい!とワクワクしていた。
大学3年生の春から、就職という選択を知るために就活をはじめた。授業にバイト、サークルで副部長をしながらも、時間をどうにか繕ってインターンにも参加しながら進む道を探し始めた。
でも、自己分析で躓いた。過去から今までの私が全然繋がらない。今やりたいことも分からない。
インターンに参加する中で「研究開発職に就くなら、やっぱり大学院に行かなければ」と思うようになった。
機械工学科の女子比率はわずか1%
わたしはその貴重な女子で、成績もかなりいい。研究職も向いてるし、どうにかなるさと、自分の置かれた立場に甘え、大学院に進んでから考えてみようと、2年生の夏が終わる頃に就活もやめた。
大学3年生の冬の期末テストが始まる頃、モヤモヤと漠然とした不安が自分の中から出てきているのを感じた。
「なんか、機械工という分野のまま進むのはいや」
そんな漠然とした思いを抱えつつ、研究職に憧れがあった私は、理系に進むきっかけとなった大好きな化学の大学院進学を目指すために、ちがう畑を耕し始めた。
化学は大好きだった。自ら進んでたくさん勉強していた過去があるし、どんなに辛くてもやっていけると思ってた。
でも、全然ダメだった。
1月の終わりから3月まで、自分なりに頑張ったつもりだ。化学科の友達に参考書を聞いたり、調べて、大学院の情報も調べて、
調べて、調べて調べて、勉強べんきょうべんきょ…
それ以上は続けられなかった。
4月には研究がはじまった。
身も心もクタクタでボロボロだった。朝起きて大学に行くのがやっとだった。大学の相談室へも通った。人と話して、無理やりにでも立ち直ろうと頑張って、5月にようやく人間の生活を取り戻した。
元気のチャージをすべく、はじめての一人旅
しかも弾丸で2日前に予定を立て、予約して、
そんなテンポ感で行ってきた長野。大好きな漫画の聖地巡りをしたり
5月には推しのライブもあって久しぶりに元気になれた。🐋 .
そこから、はじめて大学生らしく飲み歩き始めた。
もう、なにも考えたくなかった。
彼とよく話すようになったのはこの頃。
2人でいろんなところに遊びにも行った。
言葉を上手に使って、ちゃんと伝えてくれるところに惹かれた。人をよく見るひとだ、ということは感じ取っていた。
だから、そんな人からアプローチされたときは本当に嬉しくて。いろんなことを話した。
一方で、何もしていない、こんな自分が許せなくて、どんどん自分が嫌になった。
◇
私にとって忘れられない日
2023.07.10での電話
きっとここが私のスタートライン
長女で、割と器用で、努力家で
そんな私はどこへいっても「頼れる」人だった。
嬉しい反面、わたしには頼れる人、信頼できる人がいなかった。
だから、こんな言葉をかけてもらえるような日がくるなんて、思いもしなかった。声を出してこんなに泣いたのははじめてだった。生まれて初めて「頼ってもいいんだ」と思える人に出会えたと思う。
そして、「好きも嫌いも、やりたいことも偽ってない?」の一言。図星つかれたと思った。全くそんな自覚なかったのに。
しばらくはすごく落ち込んだ。
偽っていたなら、本当にやりたいことってなんだろう。
考えても考えても、全然分からなかった。辛かった。でも、これを考えないと私はここから先も苦しみ続ける、という直感から自分と向き合い始めた。
◇
いろいろと考えながらも何も見えてこない、そんな不安を抱えながら、夏休みも中盤。
彼が広島に帰省すると言った。
広島は私にとって、かなり憧れの地だった。
世界遺産検定2級をもってる私にとって、まず広島に行くだけで世界遺産2つも行けてしまうというお得感がある。
そして、先日彼と行った日本酒バーで飲んだ広島のお酒に感動した。海鮮とのマッチがすごくいい。飲みやすくて美味しい。この時に、「今年はぜっっったいに広島に行く!」と決めていた。
研究室の休みが決まってすぐ、「私も帰省について行きたい!」といって広島旅行に行くことに決めた。広島旅行まであと6日といったところ。
この時、現実の不安からの逃げもあったけど、きっとこれをきっかけに変われるんじゃないかと密かな期待も持っていた。
そうして帰ってきて、見事に予想的中。
すごく元気になった。久しぶりに自分のエネルギーを取り戻したような感じがした。
だから、まずは自分を見直そうと自己分析に取り掛かった。
◇
帰ってきてすぐは、都会とかっていう環境が嫌だから、広島に住みたい!なんて思った。
(そんな率直な感想はこちらの記事↓)
自己分析を通して、また広島旅行を振り返って、
彼の自由さやその生き方が、すごく羨ましくなってきた。その軽さ、いいなって。
それと同時に、なんで私はこんなに辛い場所に居続けているんだろうと疑問を抱くようになっていた。
このまま大学院には進みたくない。
それでも迫ってくる大学院入試
学内進学なので筆記試験免除の、ほぼ顔パス面接のみ。落ちるわけが無い。
とりあえずは流されるがまま、受けには行ったけど自分がさらに嫌になった。
“ また、わたしは偽った、仮面を被った自分でいる ”
面接が辛かった。恐ろしいことに理論立てることは得意なので、理屈ぽく、それなりの理由や言葉がさらさら〜っと出てくる。
◇
そんなこんなで、
自己分析やら黄昏れるやら、大学院の面接をしながら
noteに自分の気持ちや考えを書きながらも
自分ひとりでこの思いを抱えきれなくなってきた。
彼に話したい
進路の話なんて、他人にしたってどうにもならない。だから就活も周りの人は他人に話さないんだろう。SNSを使うんだろう。
それでも、これは身近な人にしないとたぶん意味ない。
いや、身近な人じゃなくて、彼に伝えないと意味が無い!と思った。
まだ帰省中の彼に、涙ながらなんとか思いを伝えた。
大学院に行きたくないこと
機械工という分野でわたしは、できるけれど向いてないこと
じゃあ、この先どうすればいいんだろうという不安
最初の一言がこれだった。
パートでもして、稼いでしあわせに暮らせればそれでいいじゃん。親とか周りの目を気にしているのなら、その考えは一旦捨てな。
Webデザインとかやってみたらいいじゃん。
その代わり、その選択をして、またしんどくて辛くて泣いてばっかりいるのは許さないからね。そうなる前に相談してね。
ちゃんと、しあわせに生きてね。
と、彼は言った。
Webデザインは正直ずっと前から気になっていた。私の好きなもののベクトル上にある気もする。だから、彼が言ってくれた選択は、すごくいいなと思えた。
私が親の目を気にすることも分かってた。 「親の目を気にするな」と言われても、やっぱりその決断をする勇気は私には無かった。フリーターってやっぱり良くない気がする。
ただ、まだ彼と付き合って2ヶ月も経っていない。それなのに、こんなにわたしを分かられてしまっている。彼の人を見る、その目の凄さを改めて感じ、そんな人を見る目のあるひとが、私という人間のしあわせを願ってくれる。そんな人に出会えて本当に嬉しい思いでいっぱいになった。
◇
そうして届いた 大学院の合格通知。
彼と電話した翌々日のこと。
私はまだ悩むだろうと思いつつも、合格通知を持ってきた母に「要らない」と言った。私は「大学院の進学はやめる」という選択を取った。
ただ、「やっぱりまだ悩みたい。いざとなれば勉強する」と母に付け加えた。これは安心させるための言葉だろう。
◇
きっと私の心はすでに決まっている。
でもそれを言葉にする勇気はまだない。
ただ、行動ははじめた。
卒業のための研究はまだまだ長い。
それをしながらも、本当にやってみたいことを自分のものにするべく、行動するエネルギーも今はあるんだ。
だから、わたしは敷かれたレールから降りて、自分の道を耕し始めることにする。そんな方向へ進む気がする。
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