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過干渉の母に育てられたけど私は母が大好きだ

私は母のために生きすぎていたと気づいた。

母が大好きだ。それは今も変わらない。
でも、少々窮屈過ぎたのだ。


◆❖◆


父は子育てに消極的で、ピアノの発表会なんかも呼んでも来てくれることはほとんど無かった。休日も趣味の遊びが第一で、正直学費を払ってくれてるだけの存在。(ありがたいことなのは分かってはいるけど。)
だから、母を大事にしなきゃと思ってた。
その思いが強すぎたのだ。
絶対に迷惑をかけてはいけないと思ってた。どんなに辛い経験も全部は話さない。ちょっと過干渉なところもあって、それが出てくるのも嫌なのもあるけど、絶対に泣かせてはいけないと思ってる。

母には感謝している
愛情をたくさん注いでくれている
私のことを心配してくれる
私の成功を喜んでくれる
毎日美味しいお弁当を作ってくれる
忙しいのに家事して娘2人の世話をしてくれて
本当にありがとう

でも、母の過干渉な部分が
きっとずっと、私を苦しめていた。

遊ぶ時は「誰と、どこへ、いつ帰る」を伝え
ギリギリ早いような門限を作られて

そんなことに大学4年生になって嫌気がさした。
私はもう23歳なんだ。自分のことには責任を持てる。


大学4年生の前期、生まれて初めての反抗期をした。


母と口を聞かなくなった。
話しても理解してもらえなかったから、それがもう、どうしようも無く嫌だった。
「なんでわかってくれないの?」って。


◆❖◆


あれから3ヶ月ほど経った。
依然として反抗期は続いている気はするが、たまに話すようになった。今までなんにもなかったみたいに。

将来が決まっていないことを話したら、また母の過干渉が発動してしまうかもしれないからむやみに話せない。今は邪魔されたくない。1人で考えて決断したい。許可がもらえるかとかそんなこと気にしたくない。



そんなことを思っていて、育ててくれた母には申し訳ない気持ちでいっぱいではあるけれど、やっぱり母のことが大好きなんだ。笑顔でちゃんと話せる日を絶対絶対作るから、待っててください。大好きなママ。

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