学び直し2年めに向けて
看護する側からされる側へ
高校は、3年過程の看護科だったわたし。
看護師になりたかったという訳ではなく
「看護っておもしろそう」ということと
当時の公立校は学区制だったこと
いじめからの不登校だったので
学区内の高校には行きたくない、という思いがあり。
当時は職業科なら全県一学区だったので
新潟市にある高校の看護科を受験。
ご縁があって、進路が開かれて
そこで学ぶことになりまして。
いきなり普通に登校ができるはずもなく。
1年めは出席日数が足りず、1年生を2回経験することになったけれど。
看護の勉強が楽しいと感じて
4年かけて卒業することに。
そして
授業でハンセン病回復者さん達のことや
附属看護学校の存在を知って。
この学校で学びたい、と受験して。
ご縁があって、進路が開かれて。
1学年20人で全寮制の学校だったので
いろいろ心配されたけれど。
幅広い年齢層と様々な背景を持つ同級生達だったこともあり
社会的なリハビリ期間のような感じで
2年間を過ごさせてもらって。
「ここはいろんな考え方を学ぶ場所」
「技術は就職先でも身につけることができる。
でも、看護について考える基本となるものは
学生のうちじゃないと身につけることは難しい。」
という教育方針だったので
「うちの学生さんは、注射の練習してねぇからな。」
「うちの学生さんは、考え方の勉強に来てるんだもんな。」と
回復者さん達は
採血や点滴がうまくできなくても
「仕方ねぇよな」と笑ってくれていた、と聞く。
同級生達は、看護が大好きで
普通に暑苦しく語れるひとたちで。
本当にもう、大好き過ぎるし
リスペクトしまくりなのだけど。
「その人がその人らしくあるように」という
わたしの中にある看護観はこの学校で生まれて。
生活を支える看護がしたい、と
慢性期看護の道に進むことを選んだのも
この学校での学びの中で生まれた。
そして、わたしは前勤務先に就職して
神経内科の病棟を3ヶ所経験して。
2006年1月30日、事故に遭った。
その事故をきっかけに
難治性慢性疼痛とカテゴライズされる
複合性局所疼痛症候群(CRPS)を発症。
看護する側から、される側になった。
看護ってすごい!
長い長い経過があって
様々な問題が複雑に絡み合うことにもなって。
どんどん難治化していくことになり。
どうすることもできなくなっていた。
心身共に衰弱して
いのちに関わる状態にもなった。
そこからいのちをつないでもらうことができて。
今受けている治療につながった。
いのちをつないでもらう過程で
絶望しかなく、生きることをあきらめていたわたしが
「もう少し生きていても良いのかな?」と
思えるようになれたのは
看護師さん達の「本気の看護」のおかげだと思っていて。
やっぱ看護ってすごい!と実感することになった。
大学での治療は
身体的なリハビリはほぼ完了して
社会的なリハビリもまた、始まったけれど。
抱えている傷と苦悩の深さと大きさには
気づかれぬまま、だったし。
フォローの必要性を感じていても
適切なフォローにつながらずにいたので
あきらめていて。
でも、傷と苦悩のケアなしには
どうすることもできなくなっていたので
慢性疼痛チームの精神科医に入ってもらうことになり。
傷と苦悩へのケアが始まった。
大学での治療を地元病院でフォローしているので
看護師さん達も治療の経過を知っていて。
看護師さん達のフォローがあるから
治療が円滑に進んでいるところもあって。
ここでもまた、看護の持つ力で
救われて、支えられているのだと強く感じて。
もう一度、看護について学びたい。
と思った。
学び直したい!
さて、では学び直すにはどうするか?
すでに看護師の資格はあるので
どういう形で学び直すことになるのか?
わたしの母校は
大学2年次に編入することができる単位数なのだけど。
保管期間が20年のため、その証明ができない。
体力的に、通学制の学校は難しい。
受験勉強も、ほぼ中学生からやり直す必要がある。
なので、通信制の学校で学ぶのがベストかな…と。
通信制の学校でも
スクーリングで遠方に行くことは
体力的にどうだろう…ということもあり。
大学病院の敷地内に学習センターのある
放送大学で学ぶことにして。
地元病院、大学病院、それぞれの主治医に相談。
1人で大学受診ができていたので、OKが出て。
1年次入学の全科履修生として
4月から学び直しが始まって。
学習センターの勉強会で、看護があるので
看護の勉強会に参加して。
やっぱり看護が好きだし、楽しい!って感じたり。
自分自身の経過を通して
なぜ、難治化することになったのか?を考える時に
ベースにある考え方が看護、ということもあって。
もっと慢性期看護について学びたい。
という想いがあったり。
コミュニケーションエラーから
医療職者への警戒心、猜疑心、不信感を募らせることになったり。
伝わっていない、と不安を感じることで
なんとしてもわかってもらわなくては!と
症状に意識が向くことになったり
症状を再現しようとしてしまう
という傾向がわたしにはある、とわかったので。
コミュニケーションについて学びたいと思ったり。
「病気はあるけど、元気だよ」と言えるって
どういうことだろう?と
健康について学びたいと思ったり。
喪失へのケアや、疾病受容について学びたいと思ったり。
自分自身の経験を伝えたい、と思ったり。
やりたいこと、やってみたいことについて。
放送大学で学ぶことで、知識を得て。
しっかりと「自分の言葉」で話せるくらいまで
理解して。
自分の言葉で、自分の経験を伝えたい。
…と思っていて。
今はその準備中。
最終的には…
先生達からは「論文書けば?書けるんじゃない?」
と言われているけれど。
放送大学を卒業する時に書きたい、と思っていて。
それこそ、10年後くらいの目標になるけれど。
わたし自身、なぜ難治化したのか?
なぜ、ここまで良くなることができたのか?
という「謎」を解いているところなので。
今は、所属している教会や教団関連の刊行物に
依頼されて自分の経験について書いたり。
こうして note を書いたり。
放送大学つながりで、生きづらさ支援をしている方につながったので
トークイベントの時に、フロアから発言したりしているけれど。
もっと学びたいという想いを持っていて。
看護師として、お給金がいただけるような働きは
身体機能、身体能力的に難しい。
なので
看護の知識を持つおばちゃん、として
地域に溶け込むことで
誰かの何かのお役に立てたらな…と。
その為にも
学びたいし、学び続けていたい
と、思っています。
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