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005【破壊と創造】

人生を変えたければ8つのピースなんとかするっきゃない。

20世紀の生命科学は、あるひとつの結論に到達しました。

「生命とは自己複製を行うシステムである」

生き物は食べ物を食べ続けなければ生きていけない。食べ物を食べ、体内の物質を分解し、新たに合成し排泄する。機械の場合、浸食や風化に耐える素材を用いて、とにかく頑丈に作る。しかし、どんなに頑丈に作っても、時間には勝てない。そこで、生き物は、最初から頑丈に作るという方法をあきらめて、自らを壊して造り変える方法を選んだというわけです。
ご飯を食べたら、一部はエネルギーとして使われますが、それは30%ほど。50%近くがいまある臓器を壊して、新しく作り出すことに使われます。まだ使える臓器であっても、積極的に分解しつつ、同時に再構築していきます。排泄は20%程度。破壊と創造こそが、生命現象の本質と言える。消化管などは2~3日、血液は数か月、すべての細胞も数年もすれば、全て入れ替わる。自分を構成する分子は、水の流れのように、すべて絶え間なく食べ物由来の分子と置き換わっていく。作っては捨て、作っては捨てと、ある種の自転車操業をしている。

とすれば、私たちは、自分を自分であると構成するものは何なのか。それは関係性に他ならない。人はジグゾーパズルのように、縦横斜めの8つのピースとの形によって、入れ替わる分子の形が決まってしまう。一つ一つの細胞が独立した機能を有するのではなく、関係性によって形を形成していく。すべての要素は相補的な関係性によって決められていく。

川の流れのように、この見方は生き方にも当てはまるのではないか?自分を変えようと決意しても、周囲の関係性がそれを許さない。どんなに独立した個性を発揮しようとしても、相補的な関係性の中で、徐々に形が決められていく。人は変われるけれど、変わろうとしない。変わるってことへの不安が大きいと思っていたけれど、生命科学から考えるとあながちそうでもなさそうだ。自分の形を変えたければ、周囲8つのピースをすべて変えなければならない。付き合う人も含めたすべての環境、すべての考え方を変えるには、相当のエネルギーが必要だ。結局、破壊と創造で成り立つわけだが、いつからか、破壊のために自己批判を繰り返し、やがては自己否定をするようになってしまった。自己破壊からは、創造は生まれない。

私たちが陥りがちな罠、それはすべては流れの中で、すべてつながっているのに、個人の準備や努力に原因を求めてしまうこと。人生は、つながりの中で命を宿している。なぜそこに生まれ、なぜ生かされているのか。それは独立した物語ではなく、目に見えるもの、目には見えないつながりの中で生きている。

川の水が、留まることのないように、いまを生きる時間は、二度と同じものは存在しない。絶え間のない変化の中にいいる。つながりの中に命を宿しているのに、そのことを忘れてしまう。いまの私があるのは、父、母、友人、恋人、祖先など、これまでの数えきれない相補性の中で決められて、それらの相互作用によって、社会が形成されていく。生命科学から見た世界の見方は、努力論に囚われがちな個人を生きやすくする。困り感のある個人を切り捨てたところで、結局、新たな困り感をもった個人が生まれてくる。そのつながりは消えることはない。その困り感があることで、皆が幸せに生きていけるのかもしれない。ならべ、その困り感を認め、活かす道を考えた方が良いのではないか。それを人は優しさというのだと思う。人の憂いがわかる人を優しい人という。優しさに秀でた人を優秀という。優勝とは、最も優しい人を決めるもの。

2020年東京オリンピック&パラリンピック。さまざまな関係性の中で、進められている。平和の祭典と言われるオリンピック&パラリンピック、改めてその意義を考えたい。がんばれ!!にっぽん。

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