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034【教育の目的】

教育の目的は、

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

昭和22年に制定された教育基本法の第一条です。72年前から国会で議論され続けた「個人の価値」「人格の完成」とは何か。

これらに関する大体の然るべき基準、いや規準が規定されなければ。
云々

しかしながら、あらゆる徳目を記すことは必ずしも適当ではないとの理由から「人格の完成」という中に包含され続けてきた。結果として、教育の目的が個人の判断に委ねられてきています。そのことに、現在の教育者は気付いていない。見ようとしていない。ただ、語り伝えられてきている。原点に、古典に回帰すべきだ。

管理しやすい子どもの育成=管理運営
主体的に行動し自ら考える子どもの育成=一身独立

もちろん私が目指すのは後者。福澤諭吉や新渡戸稲造らは、こうした議論をとことん追究してきた。道徳の教科化、一人一台のタブレット、教育の情報化、アクティブ・ラーニング、教師の最低限の心構えとして、ブレない目的を持つこと、そして古典に学ぶこと。いまは孤高の一滴でも、いずれ大きなうねりとなって、日本中に拡がるだろう。何ものにもとらわれない日本独自の教育理論、自分も他人も傷つけない教育法、22世紀に残したい。学位や肩書はもらえても、自分でものを考えられなければ意味がない。

これはぼくの価値観だろうか。それとも、人類としての美徳だろうか。

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