「幼稚園や保育園に通わなかった私は畑で害虫駆除」=「ファンタ」

幼稚園や保育園に私は通わなかった。
友人もいなければ先生もいない、いや正確には1人だけいた。

母だ。

私には歳の近い兄と姉が合わせて3人いた。彼らも同じくそれらに通っていなかった。

では小学生に入学するまでのおよそ6年間は暇だったのかと言うとそれは違う。
それは今までで一番密度の濃い時間だった。

まあ人生四半世紀しか生きていないが。

害虫を集めた6年間

私がこの地に生まれてからずっと、両親は農業を営んでいる。それも極上の野菜たちを、有機栽培でだ。

無農薬の野菜たちにはどうしても害虫が集う。両親2人だけではどうにも全て駆除できない、できたとしても時間がかかってしまい、その他の農作業には手が回らないのだ。

そこで駆り出されたのが4人の精鋭、子供たちだ。とりわけ末っ子の私は収集のスペシャリスト。

じゃがいもの葉を美味しそうに食べるそいつを捕らえては、家から持ってきた空きペッドボトル500mlの中にいれるという単純作業。ただそれだけ。

親から提示されるその日のノルマ。毎日大体同じで120匹、種類は問わない、葉を食べる虫ならなんでも良い。

ここで二つの疑問がある。
Q.そんなに虫がいるもんですか?
A.いる。畑は道路を挟んで2つ。当時、合わせて1500坪ほどの大きさがあったがその量を集めるのにかかる時間は短く、容易い。

Q.なぜ120匹なのか?
A.これにはまず我が家の「虫円相場」を説明する必要がある。当時、害虫と日本円には固定レートである1匹=1円が家族間で共有されていた。これに従って子供は労働意欲を上げるわけだ。ただでさえ炎天下の中3つ4つ小僧が歩き回るのは簡単なことではない。
ではなぜ120匹なのか、これは実は損益分岐点なのだ。
私たちは必ず喉が乾く。金の使い道など駄菓子屋でしか学んだことがないのだから、その日稼いだお金は基本的にその日に使ってしまう。その使い道はと言うと、家と畑との間にある自動販売機でファンタグレープを買うことだ。
これが120円した。だから親は120匹を捕まえ、ジュースを買ったら残りは給料という形で我々に支給したわけだ。120円は給料がもらえるかどうかの分岐点というわけだ。
ちなみに最高でも160匹くらいしか捕まえられないので(体力と気力的に)、給料も雀の涙だった。

話を戻そう。害虫は手づかみが基本だった。そのおかげか25を数える今の私も、思えば毛虫に耐性があり、素手で掴むことができる。刺されることなく。

大量の害虫を捕らえて満足げな私は帰途にファンタグレープを飲んで、家に帰るわけだ。紛れもなく、このファンタは最高にうまかった。幼い私にとっては毎日働く意義というのは見えていなかったし、やりがいなんて言葉なぞ知らなかったが、このファンタを飲むためなら、友達の遊びを断ってでも畑に行った。


あれから20年、害虫駆除の手伝いはもうしなくなった。農業はもちろん続けているが、力を使う作業がメインになり、代わりに与えられる仕事は主に木の伐採と薪割りだ。作業着を着て手拭いを巻き、炎天下でも豪雪でもオノを振り下ろす。風呂を沸かすために。

成長した私はやる仕事は違えど、切り株の上に座って一休み、ファンタを飲むときに見上げる空は、どこか懐かしかった。

一匹のてんとう虫が、私の腕に止まった。

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