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第七話 小布施(前編)|ドリアン助川「寂しさから290円儲ける方法」

ドリアン助川さんによる、一風変わった「旅」の短編小説連載。
日本中(あるいは世界中?)の孤独な人、苦悩している人に会いに行き、何か一品料理を作ってあげながら人生相談に乗る男の物語。290円は何を意味するのか……? ちょっと不思議な感覚の、旅する「おたすけ料理」小説。
月1回更新予定です。


 春の筆先がそっと撫でていったのでしょう。遠くの山々はまだ粉糖のような雪をかぶっていましたが、千曲川の河川敷では菜の花たちが黄色い歓声をあげていました。風はそよ吹き、植物の目覚めの香りを運びます。
「蕎麦はたしかに美味かったけど」
 児童文学作家の南吉コンキチさんはハンカチで眼鏡を拭くと、河原に目をやりながら腿や腰を拳で叩きました。
「てっきり、善光寺に詣でるものだと思っていたなあ。残念だよ」
 今日は長い距離を歩くと決めていたので、まず腹ごしらえが必要でした。長野駅を出たあと、私たちは善光寺に向かう旧北國街道の緩い上り坂を進み、「十割」と看板のある蕎麦店に入ったのです。つるつると喉越しのいい十割蕎麦と、くるみやとろろを盛ったつけ汁が旅の気分を盛り上げました。コンキチさんも、「やはり蕎麦は信州だな」と顔を緩ませました。ただ、そのあとが問題でした。国民的名刹を訪れずにここまで来てしまったことが、彼には不満だったのです。



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\書籍化決定!/
2023年5月23日(火)発売
寂しさから290円儲ける方法』ドリアン助川/著



ドリアン助川
1962年東京生まれ。
明治学院大学国際学部教授。作家・歌手。
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。
放送作家等を経て、1990年バンド「叫ぶ詩人の会」を結成。ラジオ深夜放送のパーソナリティとしても活躍。同バンド解散後、2000年からニューヨークに3年間滞在し、日米混成バンドでライブを繰り広げる。帰国後は明川哲也の第二筆名も交え、本格的に執筆を開始。著書多数。小説『あん』は河瀬直美監督により映画化され、2015年カンヌ国際映画祭のオープニングフィルムとなる。また小説はフランス、イギリス、ドイツ、イタリアなど22言語に翻訳されている。2017年、小説『あん』がフランスの「DOMITYS文学賞」と「読者による文庫本大賞」の二冠を得る。2019年、『線量計と奥の細道』が「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞。2023年、フランス語版『あん』がリヨン大学より「翻訳作品賞」を授与される。