見出し画像

『ロング・ロング・トレイル』全文公開(20) 第五章 走って歩いて、旅をする (1/7)

2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。


※前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(19) 第四章 東吉流・世界の歩き方 (6/6)はこちら


記事をまとめてご覧になりたい方はこちら↓


サンダルで神戸まで 〜ワラーチ・プロジェクト〜

 自宅のある河口湖から神戸まで、約450キロの距離をワラーチを履いて走り抜く計画を立てた。毎日、約25キロから30キロの距離を走って、約2週間ほどで神戸に辿り着く。毎日25キロから30キロというのは、自分の走力を鑑みて、この距離なら毎日続けて走ることができる、と判断したからだ。
 ワラーチというのは、メキシコに住むタラウマラというインディオたちが愛用するサンダルで、彼らは古いタイヤを足形に切って、それに革紐を通してワラーチを作る。そしてその自家製サンダルで100マイル、キロに換算して160キロもの距離を走りぬくといわれている。
 話は1995年に遡る。
 1月17日、阪神淡路大震災が発生した。その時のことは今でも鮮明に覚えている。その日の朝、ボクは河口湖の隣村である忍野(おしの)村の工務店に居た。そこで新たに建築する我が家の打ち合わせをしていたのだ。
 新居を本職の大工さんに8割ほど建ててもらう。そして残りの2割を自分たちの手で仕上げる。首都圏を離れ、河口湖の湖畔での暮らしを選んだ時に、我々が選択した方法だ。
 そんな時に神戸を震災が襲い、大きな被害が出た。
 ボクは大阪生まれで二十歳までそこで暮らした。10代のころは神戸の街でもよく遊んだ。そんな馴染み深いところが被災し、多くの犠牲者が出た。震災後に生活に不便を強いられている人たちも大勢いる。なにかしら自分もチカラにならなければと思った。だがボクは幼い3人の子どもたちを連れて河口湖に移住するところだった。結局は個人的事情を優先させ、神戸に赴くことはなかった。
 このことはボクの心の中で小さな棘として残り、暗い影を落とした。
 それから16年後、奇しくもボクがワラーチで走り始めたタイミングで、「311」が発生した。その後、すぐに神戸で暮らす片山敬済(たかずみ)氏から連絡が届いた。

 「神戸から東北までバイクに乗ってバトンを繫いで、日本を一緒に元気づけないか」
  片山氏はかつてはWGP(ロードレース世界選手権)で世界の頂点に立った伝説のライダーである。その片山氏が「BEAT」という団体を設立し、その一環として被災地を勇気づけるために、バトンを全国に繫げるというプロジェクト「OneWorld」を立ち上げた。
 かつてはボクも大型バイクに乗っていた。もちろん片山氏はそのことを知った上で、ボクにバトンリレーの参加要請をしたのだ。その時点でボクはもうバイクには乗っていなかった。バイクには乗っていないが、 今度こそ被災地のために、なにかを、何でもいい、ボクにできることがしたい、そう思った。それが自身の心の棘を取り除くことに繫がるかどうか、己の贖罪がなされるかどうかは別にしても。
 ワラーチの存在を知ったのが2010年の秋のことだ。その翌春からボクもワラーチ作りを始めたが、当時からすでに、日本で手に入る古タイヤはほとんどが「スチールラジアル」といわれ、タイヤのゴムの中にスチールのワイヤーが入ったモノ。そんな素材のモノを自在に切れるワケがない。試行錯誤を重ね、靴の補修材である「ビブラムソール」というゴムの板を足形に切り、そこにウエットスーツの素材を貼り付け、紐を通して自家製ワラーチを作った。2011年の秋には、その自家製ワラーチで、地元河口湖で開催された
「河口湖マラソン」に出場して、3時間33分という記録で完走している。ボクのこれまでのフルマラソンの最高タイムは3時間24分。ワラーチで出した記録は、これまでの歴代3番目のタイムである。この結果によって、ワラーチでも通常のランニングシューズ同様に速く走ることが可能である、ということが検証できた。
 このワラーチを履き、己の二本の脚を使って、走って神戸まで行き、被災地に向かう片山氏にバトンを繫ぎ、被災地支援の気持ちを伝えられたら……それで東北を、日本を元気づけることができれば……。
 「ワラーチ」は「裸足で走る」ことと同様に、人間本来が持つ足腰の強さを引き出すと考えられており、靴によって奪われた人間の本来の強さを取り戻すシンプルな構造のサンダルである。自分にとって、それは自然災害に立ち向かう我々の人間の強さを象徴してくれる存在とも考えられる。

 また50歳を超えた男が、己の二本の脚で震災から立ち直った神戸の街を目指し、東北支援のバトンを繫げるためだけに500キロを走る。その過程をブログやツイッターで紹介することで、一人でも被災地の方や、被災地を支援している人たちの励みになれば。
 そんな思いから「ワラーチ・プロジェクト」を発案した。と同時に、毎日30キロの距離を走って54歳になる己の肉体がどのような反応を起こすのか?また累積500キロに及ぶ距離を走った結果、自家製ワラーチにどのような劣化が見られるのか? そんな興味もあった。
 普段、仕事でボクのアシスタントをしているカホがクルマで伴走する。もちろん毎日、野宿だ。ホテルや民宿に泊まっていたらかなり経費が掛かる。支援のために走ることが、余計な経費を使って支援金を募るようでは本末転倒だ。
 そんな計画を立てていたら、友人のケイが「私も一緒に走って神戸まで付いて行きます!」と手を挙げた。
 ケイはアドベンチャーレーサーで、南米のパタゴニアで行われた過酷なアドベンチャーレースなどに参加している。日頃からトレーニングを欠かさず、国内のトレイルランのレースなどにも参戦して、いつも上位に入賞している実力者だ。健康的に日焼けして、目がくりっとして愛らしく、笑うと顔の半分くらい占める大きい口の持ち主だ。顔付きも性格も、ラテン系の女子である。
 「ケイ、オレたちに付いて来るのはいいが、毎日、野宿だぞ。それでもいいのか?」と訊ねると、案の定、「なに言ってんスか! 私はアドベンチャーレーサーですよ」と必要以上に元気に答えた。
 
 こうして我々3人は2012年の10月30日、「OneWorld」のステッカーを伴走車に大きく貼り付け、元気よく河口湖を出発した。
 
 出発の10月30日、朝9時に自宅近くであるスタート地点の勝山「道の駅」に行くと、驚いたことに事前に取材をお願いしていた雑誌『ターザン』の編集部のメンバー、それに地元テレビ山梨のテレビ局クルー以外にも、多くの友人、知人が集まっていた。

 実はこういう状況で友人たちが集まるのは苦手だ。何故なら、平日に朝早くから河口湖まで来て頂き、お茶の一杯も提供できないからだ。来て頂いた感謝以上に、申し訳ない気持ちが先立つ。
 そんな気持ちを抱え、皆に見守られて出発した。
 こうして我々の、走って神戸を目指す旅が始まった。
 さきほども言ったが、神戸までの18日間、ずっと野宿である。キャンプ場できちんとキャンプできれば、それほど野宿は苦にならないが、都合よく、我々が走るルートにキャンプ場があるとは限らない。いや、事前のコースを確認する限り、キャンプ場どころか、道の駅や駐車場を探すことさえ困難に思われた。
 愛車のFJクルーザーは、大人2人が車中泊できる設備があり、さらにルーフトップテントに1人が宿泊可能な準備をした。カホとケイが車中泊をして、ボクがルーフトップのテントで寝るという計画である。
 一日につき30キロを走るということは、日頃のトレーニングからしてそれほど高いハードルではなかったが、毎晩の宿泊場所を見つけることは、結構、大変なことであった。
 次に実際に走るコース。
 歩道が整備されていない箇所、車がなんとかすれ違うことのできる箇所などを走りながら「日本は、確かに車道の整備はある程度は整っているかもしれないが、歩行者や、ましてやランナーにとっての道が整備されていない」ことに改めて気付かされる。
 以前、冬にスイスのサンモリッツ湖の周囲を走った時、周辺には雪がたっぷりと積もっていたのにもかかわらず、ランニングコースは除雪がしっかりとなされ、雪用のブーツではなく、通常のランニングシューズで走ることができた。
 ところが我が地元の河口湖では、雪が降ると、車道の除雪された雪で歩道が覆われ、雪が降って一週間ほどは歩道がまったく失くなってしまう。確かに流通などの確保のために車道の除雪を優先させることは理解できる。が、歩くことでしか生活の基盤を保持できない者もいるのだ。それを塞いでしまったら、どうやって生活を維持するのか?
 車道と歩道が安全に区別され、尚且、どのような状況であろうと、その双方の道が機能していること。これが行政の最優先させるべき事柄ではないか? と、今回、河口湖から神戸まで走って何度も考えさせられた。
 生活のための道、遊びのための道、その道が安全にどこまでも続くことが、その国、地方自治体の民度の高さではないか。
 
 河口湖から神戸までを走る間、予想以上に多くの知人、友人たちが「応援ラン」に駆けつけてくれた。
 走ること、つらいこと、そのすべてを乗り越えることができるのは、フィジカルではなくメンタル、つまりモチベーションだ。
 このプロジェクトのスタートの時、スピーチをお願いした『ターザン』編集部のウチサカ氏はこう言った。
 「人は自分のためだとそんなに長く走れないが、人のためならどこまでも走って行ける。彼らは今日、被災地の人たちのために神戸を目指して走る。きっと最後まで走ってくれるでしょう」
 その通りだ。
 自分を思う人、自分が思う人のためならいくらでも走ることができる。
 今回のプロジェクトを通じて、それを心の底から感じた。
 確かに疲れは溜まっている。が、明日も、明後日も一緒に走ってくれる友がいる。ミンナが被災地のことを忘れず、そのチャリティをしている我々をサポートしてくれる。これこそ、このプロジェクトの意義である。
 このプロジェクトの途中、伊良湖から伊勢湾フェリーに乗って鳥羽まで行く計画を組み込んだ。理由は二つ。一つは名古屋の街中を走りたくなかった、ということ。二つ目はこのプロジェクトのコースでどうしても外したくない箇所があったからだ。
 そのひとつが伊勢の「夫婦岩」だ。
 ボクには父がいない。
 祖母、母、叔母、姉の4人の女性に育てられた。
 大阪で生まれ育ったボクにとって、伊勢は海水浴など、家族でよく訪れた場所だ。実は手元に一枚の写真がある。ボクが5歳くらいのころに、母、姉、叔母とボクの4人で、この「夫婦岩」の前で撮影した写真である。今では3人とも他界して、ボクの手元に残された、4人揃った写真はそれ一葉のみである。
 生前、母と姉、それにボクの子どもたちと一緒に、家族が揃って最後に旅したのも伊勢だったし、その際に車椅子に乗った母と、幼い日の我が長男が一緒に写った写真は、ボクのベッドサイドに今でも飾られている。
 だから伊勢にはどうしても立ち寄りたかった。
 そして今回のコースを設定する上で、もう一箇所外せない場所があった。それは我が母が眠る墓である。奈良と大阪の県境に「生駒山」という山があるが、その近くの霊園に我が母の墓がある。そこには姉も叔母も、他にも多くの親戚の墓がある。
 今回のプロジェクトを発案した時、ゴール地である神戸までのルートを設定する上で、思い出の地「伊勢」と、この「生駒」の二箇所は絶対に外せなかった。
 自分の肉体を形成し、自分の精神の礎となるモノを育んでくれた母と姉、それと叔母には、このプロジェクトを成し得る可能性を与えてくれたことに、深く感謝したかったのだ。
 神戸を、東北を、日本を元気付けるために「ワラーチ・プロジェクト」を思い立ち、10月30日に河口湖をスタートしたが、結局は18日間、逆に多くの人に励まされることになった。
 数年ぶり、30年ぶり、40年ぶりの友との再会。新たに出会う人々とのラン。彼、彼女に元気をもらい、走ることの愉しさ、そこから得られる多くのギフトを嚙み締めた。
 スタート時にスピーチをお願いしたウチサカ氏はこうも言った。
 「これから18日間、もちろんつらい思いもするでしょう。が、きっと彼らはそれ以上の美しい宝を手にする」と。
 その彼の言葉通りの結果となった。
 旅はいつも「美しい宝」を与えてくれる。その旅がつらいほど、その旅が厳しいほど、ちっぽけな宝でも、己にとって貴重な宝になる。ボクがモデルの先輩に旅の相談をした時、その先輩は「旅でつらい思いをしなさい」というアドバイスをしてくれたが、その言葉に含まれる意味は、こういうことだったのかもしれない。
 神戸の震災でなにもできなかった自分を恥じ、東北復興のための「ワラーチ・プロジェクト」を思い立ち、実際に行動に移した結果、痛感したのは、人々の優しさ、思いやり、そして「自分自身もなにかの力になりたい」という博愛である。
 ボランティアにはさまざまな形が存在する。
 現地で被災者を直接、手助けすることはとても尊い行為だとは思うが、それができなくとも、被災地の存在をいつもココロのどこかに留め、自分にできる形で、支援することも大切なことだと思う。
 今回の旅では多くの人々のサポートに支えられ、自分をこの世に送り出した先祖に感謝の気持ちを捧げ、直接、被災者の方に役に立つことはなにもしていないかもしれない。が、片山敬済氏に支援金とバトン、それに走っている間に、皆さんから頂いたメッセージを書き込んだフラッグを届けて頂き、自分の中で、少しだけけじめがつけられたような気がする。
 このプロジェクト最終日、西宮を過ぎた辺りで、やはり「応援ラン」に駆けつけてくれた知人の女性が「この辺りは、阪神淡路大震災の後、すべての家がなかったんです」と教えてくれたが、今では美しい街並みとなり、震災の爪あとは一切見られなかった。
 人間のチカラってスゴイなあ……と、つくづく思った。きっといつの日か東北もまた、この神戸のように復活するのだろう。
 確かに自然の脅威は人々の生活をあっという間に破壊する。だが人々はそれを乗り越えるチカラを持っている。一人では無理だが、手を携えてチカラを合わせれば、きっと乗り越えることができる。そのことをボクはこの旅を通じて実感した。


画像1

木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


読めばきっと走り出したくなる。ランナーや旅人の心に鮮烈に響く珠玉のエッセイ集『ロング・ロング・トレイル』のご購入はお近くの書店か、こちらから↓


Kindle版(電子書籍)はこちら↓