見出し画像

【日本全国写真紀行】 32 宮城県塩釜市浦戸寒風沢

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。


宮城県塩釜市浦戸寒風沢


仙台藩の海運を支えた浦戸諸島の島々

 江戸時代、東北を旅した松尾芭蕉が奥州行脚の最大の目的地としていたといわれる松島。海に浮かぶ三百近くの島影による絶景は、今もなお多くの人々の心を魅了している。この数多くの島々の中で有人島はわずか四島。その四島をふくめた松島湾の湾口部の島嶼群は浦戸諸島と呼ばれている。ほとんどの島が塩釜市になっているが、一部の島々は宮城郡の七ヶ浜町に属している。浦戸という地名は、「松島浦の門戸」の地であることに由来したもので、かつては浦戸村がおかれていた。
 JR本塩釜駅から徒歩10分ほどのところにある「マリンゲート塩釜」。そこから市営汽船に乗り込めば、約20分で桂島に着き、野々島、寒風沢、朴島とめぐることができる。
 浦戸諸島の中で一番大きな有人島、寒風沢島で船を降りてみた。思いのほか、大きな港があることに驚く。漁船も数多く停留している。それもそのはず、歴史をひもといてみれば、寒風沢島は仙台藩の江戸廻米の港があった。年貢米をここで千石船に積み替え、江戸の品川まで運んだ。船乗りを相手にした遊郭もいくつかあったという。また、幕末に伊達藩が日本初の鋼鉄製西洋型軍艦を建造したのもこの島だった。戊辰戦争の際には、江戸を脱出した榎本武揚、土方歳三ら旧幕府海軍が、函館五稜郭に向かう途中、艦や兵を休めるために寒風沢島をはじめとする浦戸諸島に寄港したともい
われている。江戸時代には軍事的にも重要視されていた島なのである。
 いまの寒風沢島は、そんな歴史の面影はまったくなく、のどかな漁村の風景が広がり、湾を見渡せば、カキの養殖棚が見え隠れする。港にある大量のホタテの貝殻は、カキの種ガキをとるためのもの。漁師には欠かせない道具なのだ。また、道を歩くと民家の敷地に独特な石造りの建築物があることに気づく。これは、かつてこの小屋の中でストーブをたき、養殖ノリ加工の仕上げの乾燥をした「のりの乾燥小屋」の名残らしい。今ではその役割を終え、倉庫や荷物置き場として使われているそうだ。島の奥の方には、浦戸諸島で唯一の水田が広がっている。
 小一時間も歩いただろうか。再び港に戻り、塩釜行きの船に乗り込んだ。
 船がつくる白波を追ってくるかのように、多くのカモメがこちらに近寄ってくる。
 地図で見れば塩釜市の端に位置する浦戸諸島。しかし、鉄道も車もない時代、船が輸送の中心だった時代には、まぎれもなくこの島々がこの地域の中心だったに違いないーーそんなことをふと考えながら、風に揺れるカモメにしばらく見入っていた。

※『ふるさと再発見の旅 東北』産業編集センター/編より抜粋



他の写真はこちら↓でご覧いただけます。


宮城県塩釜市浦戸寒風沢をはじめ、宮城、秋田、青森、岩手、山形、福島に残る懐かしい風景が多数掲載されている『ふるさと再発見の旅 東北』のご購入はお近くの書店、もしくはこちらから↓


この記事が参加している募集