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『ロング・ロング・トレイル』全文公開(18) 第四章 東吉流・世界の歩き方 (5/6)

2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。


※前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(17) 第四章 東吉流・世界の歩き方 (4/6)はこちら


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プーケットのプールにて

 幼い子どもを連れて海外に行く場合、まず最初に優先すべき選択肢として「プール」の存在がある。もちろん「海」も大切だが、「プール」はもっと大切だ。
 なぜ「海」より「プール」なんだ?
 海と比較して、プールの方が安全管理がラクである。海だと急に深くなったり、波に引っ張られたり、それなりの覚悟が必要だが、背の高さが確保される深さのプールだと、それらの心配はほとんど解消される。
 次に砂。海は砂があるから愉しい。砂で城を作ることもできるし、砂で子どもの身体を埋めてしまうことも愉快だ。が、その砂そのものを嫌がる子どもがいる。幸いに我が家の子どもたちも孫たちも「砂好き」ではあるが、海に入った後でもプールに入りたがるところを見ると、「海もいいけど、プールで締めたい」という内心が見え隠れする。
 だが、そもそも何故いきなり、海だプールだと言っているんだオマエは?と言われそうだが、ちょっと考えてみてほしい。子どもは歴史的な建造物になど興味を示さないし、長い歳月を掛けて創り上げられた地球の大自然の中を歩くことも、都会の中を美味しいレストランを目指して歩くことも嫌がる。そして最終的には「おんぶ、だっこ」だと愚図り始める。
 これが子ども1人なら許容範囲だが、2人以上になると、もう。「人間ジャングルジム」状態である。
 で、全身汗まみれ、髪型はホテルを出た時とは別人のようにくしゃくしゃになりながら、なんとか無事にお目当てのレストランに辿り着いても、テーブルクロスを引っ張ってグラスやお皿を割る(実際にサンフランシスコで経験済み)、食事中に椅子の上に立ち上がる、食後に兄弟喧嘩を始める等々の狼藉を働く。
 ということで、幼い子どもを連れて旅に行く時には、南の島のこじんまりしたプール付きのコテージがぴったりなのだ。
 そこでタイである。
 いや、ボクが初めて海外旅行したバリでもいい。事実、我が娘の2歳の誕生日はバリで迎えた。
 プールに腰まで浸かりながらカクテルを呑み、娘の誕生日を祝ってあげたことが、今でも素晴らしい思い出として残っている。
 が、いつの間にか、バリからタイにシフトした。
 理由はいくつか考えられるが、もっとも大きな理由は料理だ。
 我が家の子どもたちは皆、タイ料理が大好きで、ボクもよく家でタイ料理を作る。
 食事の好き嫌いは、旅の好き嫌いを左右するほど重要な要素だと考えている。ナシゴレンやガドガドなどのインドネシア料理も好きだが、より繊細でバラエティに富んだタイ料理の味わいが、家族全員の好みである。
 家族で初めて行ったタイ旅行はプーケットである。
 96年のことで、その当時のプーケットはまだまだ静かに過ごせた。(2015年にもプーケットに行ったが、その喧騒には驚かされた。特にパトンビーチには)
 いろいろと計画を立て、いよいよ出発というタイミングで、4歳の次男が溶連菌に感染してしまった。旅行出発2日前である。
 医者に連れて行き、事情を説明する。
 「今更、旅行を止めなさいなんて言っても無理でしょう」と、お医者さんは大黒サンのような優しい笑顔を浮かべる。こっちの気持ちはお見通しである。
 「だけど約束して下さい。今日から1週間は、絶対にプールや海に入れさせないで下さい」
 そう言って、いささか厳しい表情になる。そして続けた。
 「炎天下を歩くことも避けて、できればなるべく涼しい部屋の中でのんびりと過ごして下さい」 
 「じゃあ、タイに行っても大丈夫なんですね? 今日から1週間したらプールも海もいいんですね!」と、色めき立ってお医者さんに詰め寄る。こういう状況で、いつもこのような態度になる自分がいる。
 恥ずかしい。
 ということで、お医者さんとの約束を堅持する覚悟を持って、我々はプーケットに乗り込んだ。 
 バンコックでのトランジットの後、プーケットに到着したのは夜遅くのことで、我々はホテルにチェックインした後、荷物も解かずにそのまま眠ってしまった。
 朝起きて、部屋のカーテンを開けて、ボクは舌打ちをした。
 部屋の真ん前はプールである。いや部屋がプールに浮かんでいるといっても過言ではないほど、プールが接近している。
 96年当時、親しい友人が恵比寿でタイ料理のレストランを経営していた。東京で暮らしている時から頻繁に通っていたが、95年に河口湖に引っ越してからも、上京の度にそのレストランを利用した。
 家族でのプーケット旅行が決まった時に、彼に旅の相談をしたら、「じゃあボクがいい部屋を手配しておきましょう!」と張り切ってくれたが、いくらなんでも張り切りすぎである。(いや、感謝してますよ)
 ボクは慌ててカーテンを閉めて、寝ぼけた顔をしている子どもたちに告げる。
 「いいかみんな! 日本を出る時の約束は覚えているな! タイガ(次男)は今日から5日間、プールには入れない。ハナ(長女)とヨウキ(長男)はプールに入ってもいいが、朝食の後の2時間だけ。その後は部屋に戻ってシャワーを浴びて昼食。そして午後は街を散歩」
 どこかのツアーの添乗員のように、家族に向かって発表する。
 いくら目の前がプールとはいえ、4歳の次男を部屋に軟禁してプールではしゃぐ訳にはいかない。妻と相談して、どちらかが部屋で次男と一緒に過ごすことにした。
 部屋の中に居ると、時々、長女、長男の歓声が聞こえる。それでもまだ、姉、兄は弟のことを気遣って、静かに遊んでいたことは5日後の「次男プール解禁日」になって、ようやく判明した。
 3人揃って、プールで遊ぶ姿は尋常ではなかった。1分に1回の割合で3人、誰かがプールに飛び込み、その飛び込みのスタイルをあれこれ寸評しあう。その後、潜ってどこまで行けるか競い合い、潜ったままジャンケンをし、また飛び込みを披露する。なにが面白いのか、一日中、大声で笑っている。
 こんなに大好きなアソビを、この日まで4歳の次男はよく耐えてきたものだと感心する。そしてその弟の状況をより理解し、控えめに遊んできた姉や兄もエライと思う。
 この日を境に、午後からのプールも解禁したが、午後からも同じようなアソビを続ける。
 いったいどれだけプール好きなんだよ!
 
 さてタイのビーチといえば、レオナルド・ディカプリオ主演の、その名も『ザ・ビーチ』という映画が有名だ。
 ディカプリオ演じる若者が、理想のビーチを求めて旅をする。バンコックのカオサン通りの安宿で謎めいた男と知り合いになり、一枚の地図を手に入れ、ある美しい島に辿り着く。その島では、小さなコミューンが形成され、そのコミューンは主人公にとって楽園のように感じるが……。この映画のロケが行われたのは、プーケットの沖合に浮かぶ島、ピーピー諸島である。この映画が公開されたのは2000年のことだから、我々はそれより4年前に、このピーピー諸島を訪れている。
 プーケットから船に乗って、約2時間でピーピー諸島の中心の島である「ピーピードン」に到着するが、その映画以前からツアーはすごい人気だった。
 我々が乗った、ピーピー諸島行きの船は明らかに乗船定員を超えており、船上で人が移動する度に、そっちの方に傾く。ツアーガイドが「みんなが左側に行くと船が沈没するから、右に移動して!」みたいなことを必死に叫んでいるのを見て、「我々は無事にプーケットに帰ることができるのか?」と不安になったものである。
 その後、映画が公開されて、より観光客が訪れるようになり、環境破壊を危惧したタイ国立観光局が、あらゆる規制をしていると聞いたが、もうあのころのピーピー諸島の美しさは、きっとなくなってしまったに違いない。
 
 美しいビーチ、美味しい料理。
 タイの愉しみはそれだけではない。
 例えば自分のお気に入りのシャツがあったとする。そのシャツをテーラーに持ち込んで、生地を指定すれば、生地代金も含めて3000円から5000円ほどで、そのシャツとまったく同じデザインのシャツが、翌日には出来上がる。
 実は2017年の冬に、娘家族(旦那、孫娘二人)と、次男を連れて、タイのクラビに行った。で、アオナンの街のテーラーで娘婿と次男がそれぞれスーツをオーダーした。まずはサンプルの写真を見て、そのスタイルを決める。そして採寸して、生地(この時は二人ともウールで作った)を選択する。翌日には仮縫いが仕上がり、そこで問題がなければ、その翌日、つまり2日後にはオーダーメイドのスーツが仕上がっている。料金の方は一着2万円ほどだ。
 水着の上から巻きつけたり、寒い日にマフラー代わりにするサロンなどは、街で1000円ほどで売られ、孫娘たちのサマードレスは800円ほどだ。
 クラビといえば、ボクの友人も間違えたので、蛇足ながら説明しておくが、クラビの街自体には海はなくて川しか流れていない。
 クラビのビーチリゾートは、クラビの街から西にクルマで1時間ほどのところに位置する「アオナン」と「ノッパラッタ」である。
 だが実はこの「アオナン」と「ノッパラッタ」のビーチも、それほど美しくはない。
 アオナンから「ロングテール・ボート」と呼ばれている船に乗り、約20分で「ライレイビーチ」というところに到着するが、そのビーチは、未だに本当に美しい。
 今のピーピー諸島が、どのように変わってしまったのか確かではないが、ライレイビーチの美しさはボクが保証する。
 このところ、2年に一回の割合でタイを訪れているが、当分の間、このクラビに通いそうなのだ。

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クラビのライレイビーチにて


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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


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