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【新刊試し読み】 『タバコの煙、旅の記憶』|丸山ゴンザレス

危険地帯ジャーナリストであり、裏社会に迫るYouTuberとしても大活躍中の丸山ゴンザレスさんの著書『タバコの煙、旅の記憶』が2024年1月24日(水)に発売されたことを記念して本文の一部を公開します。


本書について

危険地帯ジャーナリストであり裏社会に迫るYouTuberとしても大活躍中の丸山ゴンザレスが、旅先の路地や取材の合間にくゆらせたタバコの煙のあった風景と、その煙にまとわりついた記憶のかけらを手繰り寄せた異色の旅エッセイ15編。海外の空港に到着して一発目のタバコ、スラム街で買ったご当地銘柄、麻薬の売人宅での一服、追い詰められた夜に見つめた小さな火とただよう紫煙……。煙の向こうに垣間見たのは世界のヤバい現実と異国の人々のナマの姿だった。ウェブ連載を加筆修正し書き下ろしを加えた待望の一冊。


試し読み


長く煙たい待ち時間


 2014年の終わり頃にTBS系『クレイジージャーニー』の取材でフィリピンに行った。当時、番組はまだスタートしておらず、テレビ局側から「海外ドキュメンタリーの企画をやりませんか」とメールで打診があったのが夏ぐらい。そこから打ち合わせを重ねて「実際の取材に同行させてくれませんか」となっただけで完成形などイメージできておらず、直前になっても番組の方向性もまったくの手探り状態。それでも同行を受け入れたのはテレビ番組とは思えないほど自由度だけは異常に高かったからだ。
 普通だったら許可されないことを地上波のテレビで放送できるかもしれない。どうせ続くような番組じゃないんだから(スタッフの皆さんごめんなさい。当時はそう思っていました)インパクトとか伝説だけでも残してやろう。無茶でもダメでも別に構わないぐらいにしか考えていなかった。
 俺が狙ったのはフィリピンの「銃密造村」への潜入だった。密造銃の繫がりは古く、第二次世界大戦で日本軍がフィリピンから撤退する際に残した銃器をベースにして作られるようになったそうだ。最初は稚拙な密造銃だったが、世代を重ねるうちに密造者たちは腕ききの職人となり、現在に至るまで伝統の技術として受け継がれた。
 海外でもその精度の高さから存在を知られるようになり、日本にも密輸され裏社会で広く流通するほどだったという。そのため日本で裏社会を取材していると「現地に行けば誰でも知ってるよ」と噂話程度に耳にしていた。
 アホみたいな話だが、俺はその噂だけを頼りに密造銃を産業にしているという村を取材してみることにしたのだ。
 自分で言うのもなんだが、楽観的な性格なので「どうにかなるだろう」と、軽い気持ちでいた。別に舐めていた訳ではない。その証拠に直前までカメラを持った同行ディレクターが一人だけいたのだが、彼とはマニラのスラム街を撮影しただけ。そこから先の取材については安全面を考慮して帰国してもらった。

 今ではYouTubeを通じて俺のことを知っている人も多いので、意外に思われるかもしれないが、本格的に動画を自分で撮影したのはこの取材が初めてだった。本来の取材スタイル通り、リスクと知り得るネタとのバランスを天秤にかけて釣り合わないようだったら、安全を優先して大人しく帰ることにしていた。ところが初めての映像化のプレッシャーからだろうと思うが、徐々に「どうにかなるだろう」が「どうにかしなければ」という心情に変化していった。失敗してはいけないという不思議な感覚が心を縛っていたのだ。
 ここに追い討ちをかけるように、取材がまったく動かなかったのだ。むしろ映像化のプレッシャー以上にきつかった。どうやっても取材先となる銃密造工房にコンタクトできなかった。セブ島に入ってから工房のある地区出身の人間に連絡を入れていたが色良い返事をもらえなかった(流石に野面で現地入りはせず、聞き込みしたり現地の知人を頼ったりしてそれなりの準備はした)。連絡が入ってくるまで待ち続けたが1日、2日と経つうちに、「なんともならん!」となり、流石にこのままじゃまずいと思った。滞在日数にも限界があるのだ。見切り発車で現地入りすることにした。

 セブ島の中心地セブシティからバスで1時間ほどの漁村。のどかなフィリピンの田舎な風景しかないような場所。銃の密造とは結びつかない。余計に不安が募っていった。しかもこの時点で仲介者の紹介で次の仲介者が出てきての繰り返し。交渉が難航しているのはわかるのだが、目の前でタガログ語混じりの英語であれやこれや、俺をそっちのけで繰り広げられていく。タガログなんてまったくわからなかったので、聞き取れた英語部分の内容から推測した。
 最初に俺が答えたのは、日本から来た大学生で銃マニア。せっかく来たのだから工房を見せてほしいという感じだ。
 あとの手札は情に訴えるという作戦ぐらいしかない。もし自分が繫いだときに同じ状況だったら、マジで他に「打つ手なし!」状態である。ついでに言わせてもらえば既に30代も半ばを過ぎた見た目に大学生は確実におかしい。まあ、自分で仲介者に言ったことなので仕方ないのだ。それに今さらこの設定をいじるのも不自然である。
 時折、仲介者からの追加質問も浴びせられた。日本のどこから来たのか、いつフィリピンに来たのか、どこのホテルに泊まっているのか、そもそも誰の紹介なのか(俺が知りたいぐらいだった)、金は持っているのか、信用できるようなやつなのか……。
 答えないわけにもいかないし、噓ついてもバレそうだしと言うことで、個人情報がダダ漏れである。受け渡されていく情報が増えるたびに、自分が丸裸になっていくような感覚に襲われた。こうなると紛らわしに軽口でも叩きたいところだが、弱音が漏れそうだったので、口に蓋をするためにタバコを咥えた。
 このときに吸っていたのはアメリカンスピリット(通称アメスピ)のメンソール。日本を出るときに免税店で買った品で数に限りがある。ここまであまり吸わないようにしていた。
 生来の貧乏性以外に海外で自前のタバコを減らしたくない理由は、スラム街では日本製のタバコを通貨の代わりにして渡すことがあるからだ。ポケットから現金を取り出すことで周囲に金を持っているように見られるリスクを減らせるし、何より安上がりである(結局、貧乏性なのだ)。
 ついでなので、この取材当時はともかく現在のフィリピンの喫煙ルールを紹介しておくと、公共の場所では禁煙である。どこでも吸えたし、歩きタバコもお店でも吸えた喫煙天国だったが、2017年からドゥテルテ大統領(当時)が公共の場での喫煙を禁止する大統領令に署名したことで締め付けが厳しくなった。どうにも喫煙者には厳しいというのが、世界的な潮流である。
 話を戻そう。取材当時は2014年。フィリピンは喫煙天国であった。どこで喫煙していようとも誰に咎められることもなかった。縁石に腰掛けて連絡を待つだけの時間、緊張との持たなさもあって、とにかくチェーンスモーキングだった。本数を減らさずにいたのが噓のように吸い続けた。喉が次第に焼けてくる。水分はあまりとっていなかった。喉が乾くが、それ以上に「取材がどうなるのか」をいよいよ本気で心配していた。


目次

01 銃の密造工房に漂っていた煙【フィリピン】
02 はじまりの煙【バンコク】
03 新しい煙の流れる風景を見つめて【バンコク】
04 安宿の天井に吸い込まれた煙【ニューヨーク】
05 マンハッタン・アンダーグラウンドの吸い殻【マンハッタン】
06 決め台詞で思い出す懺悔の煙【マンハッタン】
07 裏道に消えた煙【ニューヨーク】
08 夏空を見上げて、ただ煙を見送った【カリフォルニア】
09 世界の果てで眺めた煙【ケニア】
10 坂の上の白い粉【ボリビア】
11 取り残された夜【ブラジル】
12 喉に刺さった骨と沖縄タバコ【沖縄】
13 夜に漂う自由の残り香【香港】
14 パリで思い出す地下の記憶【パリ】
15 これから見る風景
○再会する旅人たち ―あとがきに代えて


著者紹介

丸山ゴンザレス
1977年、宮城県生まれ。ジャーナリストであり編集者。國學院大學学術資料センター共同研究員。 無職、日雇い労働、出版社勤務を経て独立。危険地帯や裏社会を主に取材しており、現在はテレビ、YouTubeでも活躍中。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)『世界の危険思想 悪いやつらの頭の中』(光文社)『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)などがある。



タバコの煙、旅の記憶
【判型】B6変型判
【定価】本体1,430円(税込)
【ISBN】978-4-86311-394-7


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