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【日本全国写真紀行】45 長崎県佐世保市三川内町三川内皿山

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。


長崎県佐世保市三川内町三川内皿山


庶民には手の届かなかった高級品、
今は誰にも広く愛される器に

 16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」は、日本、朝鮮、明の三つ巴の戦いとなったが、決着がつかぬまま秀吉の死によって終息。この戦争は侵略した側もされた側も甚大な被害を被ったのみで、何の成果ももたらさなかった。だが、戦いに加わった大名、特に九州の大名たちは、朝鮮の進んだ文化技術を取り入れようと、半島から多くの陶工たちを連れ帰った。そして九州各地にはさまざまな窯場が誕生した。
 平戸藩では、領主の松浦鎮信まつらしげのぶ巨関こせきら約100名の陶工を連れ帰った。彼らが中野(現・平戸市)に窯を開いたのが三川内焼の始まりだといわれている。当初は主に陶器が作られていたが、寛永17(1640)年頃、巨関の子・今村三之丞が佐世保で白磁鉱を発見、山水の美しい地・三川内を窯場に選び、白磁器の生産を始めた。慶安3(1650)年、平戸藩が御用窯の制度を確立、中野の陶工たちは皆、三川内に移り、朝廷や幕府、藩主や諸大名への献上品、贈答品といった高級な器を採算度外視で作ることができるようになった。こうして技術の粋を集めて作られた器は、その質の高さと精巧さを海外でも認められ、17世紀後半からは中国やヨーロッパにも輸出されるほどになる。ーと、この頃までの三川内焼は、まるで庶民の生活とはかけ離れた高級品だったのだが、明治以降は徐々に庶民にも行き渡るようになる。繊細で優美な芸術品のような仕上がりは今も変わらないが、今では我々にも十分購入できる商品が増えている。
 三川内焼は呉須ごすという顔料を使った白磁への青い染付けが特徴的で、シンプルだがパッと目につく鮮やかな青が魅力である。代表的な絵柄唐子からこ絵といわれるもので、男児を描いていることから、繁栄や幸福を意味する縁起物として喜ばれた。柔らかく丸みを帯びた筆さばきが、何とも言えない温かみを感じさせる。この唐子絵も、明治以降は伝統的な絵だけでなく、個性的な絵柄のものもよく描かれるようになったという。また、「透かし彫り」や「手捻り」といった技法を用いた繊細で躍動感のある器も人気だ。これらは今も、ひとつひとつ手作業で丁寧に細工が施されている。
 三川内の中心である皿山地区は、小さなエリアにぎっしりと窯元や見どころが集まっている楽しい場所だ。小さな谷あいの集落には、多くの窯元と、昔の旅館を再生した古民家などもあり、懐かしい風景が広がっている。ここは一子相伝の技を貫く窯元が多く、他では絶対に見られない独自の作品が見られるのも嬉しい。少々無理しても、どうしても手に入れたくなる器に必ずや出会えると思う。

※『ふるさと再発見の旅 九州1』産業編集センター/編 より抜粋




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