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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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#全国最中図鑑

「全国最中図鑑」76 修禅寺物語(静岡県伊豆市)

ちょっとコワいお面の形をした最中だ。顔面が縦二つに割れ、目にはポッカリと穴が空き、恐怖に近い悲痛な表情をしている。 この古いお面、実は鎌倉幕府の二代将軍・源頼家の顔を模したもので、本物が修善寺の宝物殿に安置されている。頼家は頼朝と北条政子の嫡男で、18歳という若さで将軍になるが、独裁政治が過ぎるという理由で出家させられ、修善寺に幽閉される。そして修善寺で温泉に浸かっていた時、湯口から大量の漆を流し入れられ、全身がかぶれて病に伏せるようになり、結局死んでしまう。死ぬ前に頼家は、

「全国最中図鑑」75 金山石臼最中(新潟県佐渡市)

 佐渡金山は約400年の歴史を有する日本最大の金山である。1601年に3人の山師により開山され、2年後には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造なども行われて江戸幕府の財政を支え続けた。  平成元年、資源枯渇のため操業を休止し、長い歴史の幕を閉じた。  金の精製工程をざっくりと説明すると、発掘した金鉱石をまず選別し、細かく砕き、大きな石臼ですり潰し、それを水で流して金を選別し、溶かす。この時に使われていた大きな石臼を形どって作られたのが、文化5(1808)年創

「全国最中図鑑」74 狸最中(東京都北区)

東京の王子といえば、江戸時代から狐の町として知られている。東国三十三カ国稲荷総社の格式を持つ王子稲荷神社には、毎年大晦日になると、稲荷のお使いの狐が、近くの榎の木の下で装束を整えてから初詣をしたという言い伝えが残っている。人間国宝になった五代目柳家小さん師匠が十八番にしていた落語「王子の狐」も有名だ。 そんな狐の町・王子で、なぜか狸の最中を売り出したのが、創業100年以上の老舗和菓子店「狸家」。なんでも先々代の当主が最中を考案するにあたって「王子は狐で有名だが、狐はズルがしこ

「全国最中図鑑」67 御酒最中(石川県白山市)

石川県の白山市美川地区には、昔から「御酒節」という民謡が伝えられている。北前船で栄えた江戸時代、船主の家では毎年2月に仕事始めの起舟という行事が行われ、商売繁盛と安全操業を祈って全船員を集めて酒宴が催された。「御酒節」はその席で必ず唄われたという。 御酒という言葉は、「この御酒は(何某)御祝の御酒じゃもの、参れ参らにゃ御酒が無になる・・・」という歌詞からきている。 「御酒最中」は、この「御酒節」にちなんだ菓子で、地元で昭和21年に創業した和菓子の老舗・フタマサ御酒堂が考案した

「全国最中図鑑」38 甘ほたて(岩手県大船渡市)

大船渡は海と山が近く、山の雪解け水が海に流れ込んで海中のプランクトンがよく育つ。そのプランクトンを食べて育った帆立は、大粒で肉厚、帆立本来の味が濃く、甘味が強いのが特徴である。 その大船渡の帆立をモチーフにした最中が「甘ほたて」。クルンとした可愛い帆立貝の形の皮に、羽二重粉で作った求肥とつぶあんが入っているが、求肥は帆立の貝柱を表現しているんだそうである。和菓子と海の幸との組み合わせは一見ミスマッチのように思えるが、食べてみると、ぽってりとした皮と柔らかい甘みの餡がうまく溶け

「全国最中図鑑」37 大曲花火男最中(秋田県大仙市)

『大曲の花火』は、1910(明治43)年に諏訪神社の余興として開催された「奥羽六県煙火共進会」がその始まりである。100年以上の歴史を誇り、毎年70万人以上の観光客が集まる、日本最高峰の花火大会だ。 この長い名前の最中は、その花火を応援する非公認キャラクターである『大曲花火男』を、可愛らしい和菓子にしたもの。 花火男のキャラは、人気漫画『猫ピッチャー』で知られる有名な漫画家そにしけんじ氏が描いたもので、ユニークな形のその皮に、自分で餡を詰めて食べるスタイルの最中だ。 餡は北海

「全国最中図鑑」34 音頭最中(山形県最上郡真室川町)

『真室川音頭』のルーツは、明治の頃北海道で流行した『ナット節(ぶし)』だそうである。それが宮城の漁港女川の漁民に伝わり唄われていたものを、真室川出身で当時女川で奉公していた近岡カナエという人が、昭和の初めに真室川に持ち帰り、創作を加えて唄った『山水音頭』が発展したものといわれている(ちなみに山水とは、カナエが働いていた真室川の料亭の名前である)。 当時の真室川は、鉱山の開発や軍用飛行場の建設などで全国からの労働者が集い、夜の街はとてもにぎやかだった。そこで盛んに唄われたのが『

「全国最中図鑑」33 古里もなか(佐賀県小城市)

「九州の小京都」と呼ばれる佐賀県の小城町はまた、羊羹の町でもある。 佐賀では昔から良質の小豆が採れ、長崎街道もほど近いため、貴重品だった砂糖も比較的手に入りやすかったことから、明治初期に「小城羊羹」が誕生。戦後間もない最盛期には、町は50軒を超える羊羹店がひしめき、大層賑わったそうだ。現在も小城町には19軒の羊羹店が営業している。 側が砂糖で硬くなり、中は柔らかい昔ながらの手作り羊羹は、口に入れるとシャリシャリとした懐かしい歯ざわりで、今も全国にファンのいる名物羊羹である。

「全国最中図鑑」32 虎朱印最中(神奈川県小田原市)

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、源頼朝を陰で支えて鎌倉幕府の創立に大きく貢献し、頼朝の死後は幕府の実権を握って執権政治を行った北条義時の物語である。 その北条氏の名跡を継承した小田原北条氏(後北条)は、家印(公印)として「禄寿応隠」という文字の上に虎を置いた「虎朱印」を使用していた。なぜ虎だったのかは定かではないが、戦国大名は印章に虎や馬・象・獅子などの動物を描き、それに各々の印文を刻して個性を主張することが多かった。北条氏はその先駆けだったと言われている。 「禄

「全国最中図鑑」31 軍艦島もなか(長崎県)

中が空洞になった不思議なおまんじゅう『一○香』で知られる茂木一まる香本家には、『軍艦島もなか』というユニークな最中がある。 軍艦島は小さな海底炭鉱の島で、2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」で世界遺産に登録された。正式名は「端島」。岩壁が島全体を囲い、鉄筋コンクリートの高層建築が建ち並ぶ外観が軍艦「土佐」によく似ていたところから、「軍艦島」と呼ばれるようになった。 その軍艦島をかたどったこの最中、見かけはちょっとハードな感じだが、外は

「全国最中図鑑」30 王将もなか(山形県天童市)

山形県天童市は、将棋の町として有名である。その天童市には当然、将棋関連の最中があるに違いないと調べてみると、やはりあった。大正10年創業の老舗菓子店・盛寿庵の「王将もなか」だ。 全国の将棋駒の生産量の9割を占める天童市が将棋の町になったのには、こんないわれがある。 織田信長の子孫・織田信学は、江戸末期の天保7年に家督を相続して天童藩の2台目藩主となるが、当時の天童藩は財政の悪化が著しかった。そこで信学は、先祖より代々継承されてきた将棋の駒の製法を家臣一同に教え、家庭内の内職と

「全国最中図鑑」28 和銅最中(埼玉県秩父市)

和銅開珎は、和銅元(708)年に鋳造・発行された銭貨で、我が国で最初の公的な流通貨幣といわれている。 埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から和銅(純度の高い自然銅)が産出したことを記念して、年号を「和銅」に改名するとともに和銅開珎が作られたと伝えられている。デザインは唐の「開元通宝」を見本にしているらしい。 これはその日本最古の流通古銭「和銅開珎」を形どった最中。明治39(1902)年に秩父神社前に創業し、一世紀余り和菓子を作り続けている八幡屋本店が売り出したもので、秩父の銘菓と

「全国最中図鑑」 23 急須もなか(静岡県島田市)

静岡県は全国の茶園面積の約40パーセントを占める日本一の茶どころ。その静岡県にあって、わずか数千人が暮らす小さな山里・川根町が生み出す川根茶は、日本茶初の天皇杯を受賞するなど、各種品評会で幾多の栄誉に輝き、全国のお茶屋さんで高級茶として別格の扱いを受けている名品である。 その川根町で和菓子店を営む三浦製菓が、川根茶とともに味わってもらおうと考案したのが、この「急須もなか」。ぽってりとした可愛らしい急須の形をした皮は、店主が形にこだわったというオリジナルデザイン。あんは「お茶あ

「全国最中図鑑」 22 貝合わせ最中(京都府京都市)

京都三大祭りのひとつ「葵祭り」が行われる下鴨神社と上賀茂神社の中間あたりに本店を構える京橘総本店の名物最中、宮中古来の雅な遊び「貝合わせ」をモチーフにした優雅なお菓子である。 本来、貝合わせは、貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競いあったりする貴族の遊びだった。 また貝合わせは、夫婦和合の象徴として、また結婚や夫婦円満などの良縁を表すものともされている。 ハマグリ型の小さな二枚貝を型どった外観は、つい手に取ってみたくなる可愛らし