マガジンのカバー画像

全国最中図鑑

74
日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

「全国最中図鑑」74 狸最中(東京都北区)

東京の王子といえば、江戸時代から狐の町として知られている。東国三十三カ国稲荷総社の格式を持つ王子稲荷神社には、毎年大晦日になると、稲荷のお使いの狐が、近くの榎の木の下で装束を整えてから初詣をしたという言い伝えが残っている。人間国宝になった五代目柳家小さん師匠が十八番にしていた落語「王子の狐」も有名だ。 そんな狐の町・王子で、なぜか狸の最中を売り出したのが、創業100年以上の老舗和菓子店「狸家」。なんでも先々代の当主が最中を考案するにあたって「王子は狐で有名だが、狐はズルがしこ

「全国最中図鑑」73 関あじ・関さば最中(大分県大分市)

瀬戸内海と太平洋の水塊がぶつかりあう豊後水道の佐賀関で、一本釣りにより獲れるマアジ、マサバのことを「関あじ」「関さば」と呼ぶ。よく肥えているがきゅっとした身で、ぷりぷりとした食感ととろけるような味わいが身上。味も姿も別格で、高級魚として重宝されている。関あじは7月〜8月、関さばは12月〜3月が旬だ。 その、大分県が全国に誇る関あじ関さばを最中に仕立てたのが、佐賀関で明治39年に創業した老舗「高橋水月堂」。「佐賀関ブランドとして、関あじ関さばの名を広めたい」という地域を挙げての

「全国最中図鑑」72 二十二代 庄之助最中(東京都)

香川県出身の泉林八が二十二代 立行司「木村庄之助」を襲名したのは、昭和26年夏場所のことである。時はまさに大相撲黄金時代、栃錦と若乃花の両横綱が人気を二分し、毎日土俵は大盛り上がりだった。その人気絶頂の栃若戦を裁いた庄之助は、34年九州場所の千秋楽で引退。結びの一番も栃若戦だった。満69歳、21年間の立行司生活だった。 引退に際し庄之助は、記念に何か後世に残したいと考え、長男がやっていた須田町の菓子店で、行司の軍配団扇を形どった最中を「庄之助最中」という名で売り出すことを思い

「全国最中図鑑」71 出世葵(静岡県浜松市)

浜松の歴史に魅了され、ほとんどの商品に地元の歴史に関わる名前をつけているという「お菓子司あおい」。 浜松の歴史といえばやはり戦国時代。特に、徳川家康によって現在の浜松の原型が作られたことから、ここには家康にまつわる歴史エピソードが数多く残っている。家康はこの地に浜松城を建てて天下統一を成し遂げ、その後の徳川300年の礎を築いたことから、浜松城は別称「出世城」とも呼ばれる。 もなか「出世葵」は、その家康の出世にちなんだ縁起物のもなか。皮は石川県の厳選されたもち米を使用。あんは北

「全国最中図鑑」 1 忍者最中(三重県伊賀市上野)

忍者の里として知られる三重県伊賀市。伊賀忍者発祥の地とあって、市内には忍者関連のグッズやおみやげを扱う店が数多く軒を連ねています。そんな伊賀市を訪ねて見つけたのが、なんとその名もズバリ『忍者最中』! 売っていたのは、近鉄伊賀線・上野市駅から歩いて5分ほどのところにある老舗和菓子店「おおにし」。忍者の最中ですから、食べている途中にドロンと消えてしまう、なんて仕掛けがあったりして……なんてバカなことを思いながらいそいそ店の中に入ると、ありました! 一目でわかる忍者の形をした最中が

「全国最中図鑑」 2 松江城最中(島根県松江市)

松江城は、全国に12城しか残っていない現存天守の一つ。慶長16年に完成し、ほとんど壊れることなく天守の建物が残る貴重な城で、国宝に指定されている。 松江城最中は、松江開府の祖・堀尾吉晴公が、豊臣秀吉からその功績を称えられて下賎された「分銅紋」をあしらい、特製のつぶあんがぎっしりと詰まっている最中だ。 ちなみに「分銅紋」は、立身出世・運気上昇を表すとても縁起の良い紋とされている。 桂月堂本店 島根県松江市天神町97 「全国最中図鑑」をまとめて読みたい方はこちら↓ 日本を代

「全国最中図鑑」 3 鬼もなか(鳥取県米子市)

鳥取県の三大河川・日野川が流れる溝口町には、日本最古の鬼伝説が残っている。 太古の昔、鬼住山(きずみやま)には鬼が住んでいて、時々村に降りては人々を苦しめていた。ある日、第七代孝霊天皇がここを訪れてその話を聞き、見事鬼を退治した。 鬼もなかはこの伝説を基にしたもの。北海小豆の風味とローストしたくるみが調和した餡と、奥日野のもち米を原料にした最中種が、まさに「鬼に金棒!」と人気のご当地最中だ。 (株)いけがみ 鳥取県米子市錦町2-205 「全国最中図鑑」をまとめて読みたい方

【全国最中図鑑】 4 ぴーなっつ最中(千葉県成田市)

ピーナッツの原産地は、アルゼンチン北西部のアンデス山脈。紀元前850年頃の遺跡からピーナッツの種子が発見されたそうだ。 このピーナッツを世界に広めたのは、コロンブス。1492年に西インド諸島を発見した時、現地でピーナッツが食べられているのを知り、航海中の食料として利用したのが始まりだとか。 日本に伝わったのは幕末で、千葉県では明治9年に栽培が始まった。現在、国内の流通量は全体の9割が外国産で、国内産はわずか1割だが、その国内産の約8割が千葉県で生産されている。 というわけで

「全国最中図鑑」 5 雪舟もなか(岡山県総社市)

総社市は平安時代、僧であり水墨画家として活躍した雪舟の生誕地である。市の郊外に宝福寺という古刹があり、雪舟は幼い頃そこで修行していた。 ある日、修行をサボって絵ばかり描いている雪舟に住職が腹を立て、お仕置きとして柱に縛りつけた。しばらくして住職が戻ってみると、今まさにネズミが雪舟に噛みつこうとしていた。驚いて駆け寄って見ると、それは雪舟が自分の涙で床に実物そっくりに描いたネズミの絵だったーーー。 雪舟もなかは、この伝承から生まれた、可愛らしいネズミの形をしたもなか。岡山県産

「全国最中図鑑」 6 芭蕉最中 (山形県山形市)

松風屋は大正10年創業、100年の歴史を持つ老舗和菓子店。 初代社長が松尾芭蕉を敬愛していたことから、芭蕉最中を考案したという。 芭蕉は元禄2(1689)年5月7日(旧暦)、尾花沢から新庄へ向かう途中、寄り道して山形市の立石寺(りっしゃくじ)に立ち寄った。そこで有名な  閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 の句を詠んだ。立石寺は東北を代表する古刹で、通称「山寺」と呼ばれている。門を入って大仏殿のある奥の院まで1015段の石段があり、「一段一段踏みしめて上がっていくうち、一つず

「全国最中図鑑」 7 纏 〈まとい〉 最中(東京都北区)

纏とは、江戸の町火消が用いた旗印である。町火消は8代将軍吉宗の時代に始まった町人による火消で、身体能力の高い鳶職が中心となって構成されていた。江戸の町内約20町ごとを一組として、隅田川から西を担当するいろは47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられていた。 各組の目印としてそれぞれ纏(まとい)と幟(のぼり)を作ったが、それが次第に各組を象徴するものになっていった。 梶野園の纏最中は、この各組の纏をかたどった手焼きの種(皮)に、北海道産の大粒一等小豆をさぬき和三

「全国最中図鑑」 8 白ふくろう最中(栃木県那須郡)

栃木県と茨城県の県境にある鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)は、別名「フクロウの神社」。もともとフクロウは不苦労と書き表わせることから、昔から縁起のいい鳥とされてきたが、この辺りでは特に、古代からフクロウが神様の使い、幸福を呼ぶ神の鳥として崇められてきた。境内には日本最大級の大フクロウ(地上7メートル)をはじめ、数多くのフクロウの像があり、運気を上昇させてくれるパワースポットとして人気を集めている。 その、幸運を呼ぶ白いふくろうをかたどったのが、那須湯本にある扇屋の「

「全国最中図鑑」 9 翁最中(長野県松本市)

松本の老舗和菓子店・翁堂の看板菓子「翁最中」。能面をかたどった最中は全国にあるが、この翁の面はともかく柔和で優しい顔をしているのが特徴。ほっぺた、額、あごがすべてぷっくりと膨らんで、深く刻まれたシワもユーモラス。手にすると思わず微笑んでしまう最中だ。 あんこは粒あんかこしあんか? と思いつつ皮を割ってみると、意外や意外、深―い緑色の抹茶あんが飛び出してくる。さすがのサプライズ! なかなか風流な最中である。 翁堂 長野県松本市大手4-3-13 「全国最中図鑑」をまとめて読み

「全国最中図鑑」10 奥州二本松 拾万石(福島県二本松市)

奥州二本松藩は、織田信長家臣の猛将・丹羽長秀の孫、光重が10万石で入府して以来、明治維新まで11代続き、丹羽家は今でも「にわ様」と呼ばれ愛されている。 二本松藩が歴史上もっとも知られているのは「二本松少年隊」の悲劇だろう。戊辰戦争で二本松藩は新政府軍と戦ったが、この時、12〜17歳の少年兵部隊が、二本松城落城の際、戦いの最前線で取り残され、戦いに巻き込まれて殉死した。この悲劇は会津の白虎隊と並び称せられ、彼らの最期はNHKの大河ドラマ「八重の桜」でも描かれた。 「奥州二本松