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全国最中図鑑

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日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
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「全国最中図鑑」84 元祖 牡蠣最中 (北海道厚岸町)

釧路の東にある厚岸町は、アイヌ語で「牡蠣の多いところ」という意味の「アッケケシ」が地名の由来だそうで、その名のとおり牡蠣の名産地である。 牡蠣の採れる厚岸湖は、山の養分を含んだ別寒辺牛川の淡水と厚岸湾の太平洋の海水が混ざり合う汽水湖。植物性プランクトンが豊富で、牡蠣はその栄養をたっぷり吸収して育つ。また厚岸は水温が低く通年温度変化が少ないので、牡蠣は長い時間をかけて栄養を蓄え、大きく身もふっくらとし、濃厚な旨味と甘味がある。一般的に牡蠣は水温が高くなると生食はできなくなるが、

「全国最中図鑑」83 こもちめんよう (北海道士別市)

北海道士別市はサフォークラムの飼育で名高い。サフォークラムとは顔と足が黒い食肉用の羊。味に定評のあるサウスダウン種と寒さに強いノーフォーク種を掛け合わせた羊で、フランスでは最高級ラム肉として知られている。 士別市では昭和42年にオーストラリアから100頭輸入し、市営のめん羊牧場での飼育を開始。その後昭和44年にも100頭輸入し、繁殖体制を整えた。現在では約1200頭のサフォーク種めん羊が飼養されている。 士別の菓子工房・美吉屋では、このサフォークラムを形どったもなかが人気だ。

「全国最中図鑑」82 岩村城最中 (岐阜県恵那市)

岐阜県恵那市にある岩村城という城をご存知だろうか。日本三大山城の一つに数えられ、戦国の世に翻弄されながら領民を守るために必死で生きた「女城主の城」の逸話で知られる城だ。その逸話とはーー 織田信長の叔母にあたる「おつや」は、信長の戦略により岩村城主の遠山景任(かげとう)に嫁いだ。だが景任は若くして病死し、息子はまだ幼かったため、おつやは城主となって城下をおさめ、善政を敷いた。しかしのちに、信長と敵対する信玄の配下・秋山虎繁が岩村城を攻撃してくる。おつやは自らも武装して戦ったが、

「全国最中図鑑」81 佐賀えびすもなか (佐賀県佐賀市)

七福神とは、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七人の神の総称で、七福神を参拝すると7つの災難が除かれ、7つの幸福が訪れると言われている。七福神信仰は室町時代末期に生まれ、特に農民や漁民の信仰が厚く、今もなお生き続けている。 ところでこの七福神、どこの国の神様なのかはあまり知られていない。実は殆どがインドや中国の神様で、日本の神様はただ一人、恵比寿天だけなのである。恵比寿天、通称えびす様はイザナギ・イザナミの二神の第3子といわれ、右手に釣竿、左手に鯛と

「全国最中図鑑」80 とっくり陶祖最中 (岐阜県土岐市)

大正12年創業の老舗菓子店・虎渓の代表的菓子「とっくり陶祖最中」。戦後の昭和23年に、店主が地元・土岐市下石町の地場産業「とっくり」を最中にして、町おこしにも役立てようと思いついたことから誕生した。ちなみに町名は下石と書いて「おろし」と読む。珍しい読み方の地名の一つだ。 下石町は江戸時代からと徳利の産地として知られ、今も徳利生産量日本一の町。地元の窯元の若者たちが、とっくりを擬人化したゆるキャラ「とっくりとっくん」の陶器の人形を作り、町の至る所に置いている。その数なんと160

「全国最中図鑑」79 トイレの最中(愛知県常滑市)

全国に数あるもなかの中で、ユニークさ、面白さ共に間違いなくベスト3に入るもなか。昭和26年創業の老舗餅菓子専門店「大蔵餅」と総合住生活企業「LIXIL(旧INAX)」榎戸工場のコラボにより誕生した超人気商品だ。読み方は「トイレのさいちゅう」でもいいし「トイレのもなか」でもいいそうだ。 もなかとしては意外としっかりした造りの箱を開けると、実にリアルな便器の形をしたもなかの皮が現れる。これは洋式便器「サティス」をベースに、INAXの技術チームがCADで設計し、金型を作ったのだとか

「全国最中図鑑」78 しっぺい太郎最中(静岡県磐田市)

磐田市の見付神社には「しっぺい(悉平)太郎」の伝説が昔から伝えられてきた。 その昔、毎年家の棟に白羽の矢が立った家の娘は、8月10日の見付天神の祭りに人身御供として神に捧げられる、というしきたりがあった。村人たちは祭りのたびに泣いて悲しんでいた。 ある時、村を訪れた旅の僧がこの話を聞いて不審に思い、それが神ではなく怪物の仕業であることを突き止めた。そして怪物たちが信濃国の「しっぺい太郎」という人物を恐れていることを知る。僧が信濃で調べたところ、しっぺい太郎は人ではなく、駒ヶ根

「全国最中図鑑」77 ちんとろ最中(愛知県半田市)

「ちんとろ最中」とはまた変わった名前だが、半田市で毎年春に行われる『ちんとろ祭り』からきているらしい。 『ちんとろ祭り』は、上半田地区の住吉神社境内の池に2隻の「まきわら」の舟を浮かべ、その舟の上で子供三番叟の舞を奉納する。その「まきわら」舟を「ちんとろ」と呼ぶ。「ちんとろ」の名の由来は、舟上にたくさん飾られる提灯が「珍灯籠(ちんとうろう)」であることと、奏でられるお囃子が「チントロ、チントロ・・・」と聞こえるところからきていると言われている。 丸初製菓の「ちんとろ最中」は、

「全国最中図鑑」76 修禅寺物語(静岡県伊豆市)

ちょっとコワいお面の形をした最中だ。顔面が縦二つに割れ、目にはポッカリと穴が空き、恐怖に近い悲痛な表情をしている。 この古いお面、実は鎌倉幕府の二代将軍・源頼家の顔を模したもので、本物が修善寺の宝物殿に安置されている。頼家は頼朝と北条政子の嫡男で、18歳という若さで将軍になるが、独裁政治が過ぎるという理由で出家させられ、修善寺に幽閉される。そして修善寺で温泉に浸かっていた時、湯口から大量の漆を流し入れられ、全身がかぶれて病に伏せるようになり、結局死んでしまう。死ぬ前に頼家は、

「全国最中図鑑」75 金山石臼最中(新潟県佐渡市)

 佐渡金山は約400年の歴史を有する日本最大の金山である。1601年に3人の山師により開山され、2年後には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造なども行われて江戸幕府の財政を支え続けた。  平成元年、資源枯渇のため操業を休止し、長い歴史の幕を閉じた。  金の精製工程をざっくりと説明すると、発掘した金鉱石をまず選別し、細かく砕き、大きな石臼ですり潰し、それを水で流して金を選別し、溶かす。この時に使われていた大きな石臼を形どって作られたのが、文化5(1808)年創

「全国最中図鑑」74 狸最中(東京都北区)

東京の王子といえば、江戸時代から狐の町として知られている。東国三十三カ国稲荷総社の格式を持つ王子稲荷神社には、毎年大晦日になると、稲荷のお使いの狐が、近くの榎の木の下で装束を整えてから初詣をしたという言い伝えが残っている。人間国宝になった五代目柳家小さん師匠が十八番にしていた落語「王子の狐」も有名だ。 そんな狐の町・王子で、なぜか狸の最中を売り出したのが、創業100年以上の老舗和菓子店「狸家」。なんでも先々代の当主が最中を考案するにあたって「王子は狐で有名だが、狐はズルがしこ

「全国最中図鑑」73 関あじ・関さば最中(大分県大分市)

瀬戸内海と太平洋の水塊がぶつかりあう豊後水道の佐賀関で、一本釣りにより獲れるマアジ、マサバのことを「関あじ」「関さば」と呼ぶ。よく肥えているがきゅっとした身で、ぷりぷりとした食感ととろけるような味わいが身上。味も姿も別格で、高級魚として重宝されている。関あじは7月〜8月、関さばは12月〜3月が旬だ。 その、大分県が全国に誇る関あじ関さばを最中に仕立てたのが、佐賀関で明治39年に創業した老舗「高橋水月堂」。「佐賀関ブランドとして、関あじ関さばの名を広めたい」という地域を挙げての

「全国最中図鑑」72 二十二代 庄之助最中(東京都)

香川県出身の泉林八が二十二代 立行司「木村庄之助」を襲名したのは、昭和26年夏場所のことである。時はまさに大相撲黄金時代、栃錦と若乃花の両横綱が人気を二分し、毎日土俵は大盛り上がりだった。その人気絶頂の栃若戦を裁いた庄之助は、34年九州場所の千秋楽で引退。結びの一番も栃若戦だった。満69歳、21年間の立行司生活だった。 引退に際し庄之助は、記念に何か後世に残したいと考え、長男がやっていた須田町の菓子店で、行司の軍配団扇を形どった最中を「庄之助最中」という名で売り出すことを思い

「全国最中図鑑」71 出世葵(静岡県浜松市)

浜松の歴史に魅了され、ほとんどの商品に地元の歴史に関わる名前をつけているという「お菓子司あおい」。 浜松の歴史といえばやはり戦国時代。特に、徳川家康によって現在の浜松の原型が作られたことから、ここには家康にまつわる歴史エピソードが数多く残っている。家康はこの地に浜松城を建てて天下統一を成し遂げ、その後の徳川300年の礎を築いたことから、浜松城は別称「出世城」とも呼ばれる。 もなか「出世葵」は、その家康の出世にちなんだ縁起物のもなか。皮は石川県の厳選されたもち米を使用。あんは北