行き過ぎてはじめて「ちょうどいい」がわかる -障害受容のはなし-
こんにちは、モンブランひとみです。
自分の子供が発達障害と診断された時。
あるいは自分が発達障害の診断を受けた時。
誰であっても、必ず大きな衝撃を受けます。
ショックのあまり悲しさが募ったり、何事も手につかなくなったり、理不尽な現実に怒りを感じたり、将来を悲観したり…
たくさんの強い感情が同時にやってくることを、以前のnoteで書きました。
何段階かある障害受容のステージに、どれだけの時間をかけるかは人それぞれであること。そしてそういった段階を踏むことで少しずつ「障害受容」へ向かっていくこと。
今回は、障害を受け入れる直前に起こる心の変化について。もう少し詳しくお伝えしようと思います。
お伝えしたいのは「感情は揺り戻す」ということ。
一度行き過ぎて、でも最後はちょうどよい位置に戻ってくるという話。
・発達障害の子を持つ方
・子供の発達に不安を抱えている方
・自分自身が発達障害かもしれないと思っている方
・すでに発達障害の診断を受けている方
そんな方の参考になれば幸いです。
1.「発達障害」の診断を受けた時
発達障害の診断を受けると、ショックを受けます。
それと同時に、それまでの“困りごと”に納得します。
毎日大変な思いをしてきた理由が明確になってホッとするんです。
子供なら「育てにくいのには理由があったんだ」
本人なら「だからこんなに生きにくかったのか」と。
腑に落ちる、という感覚に近いかもしれません。
そして直後はそれまでの”困りごと”や”生きづらさ”の原因が、全て発達障害のせいだったように思えます。
発達障害だから育てにくい
発達障害だから泣き叫ぶ
発達障害だから偏食
発達障害だから仕事が続かない
発達障害だから人間関係がうまくいかない
もちろん、そういう側面も実際にあります。
発達障害の特性ゆえにあらゆる困りごとが引き起こされ、本人・家族が振り回されて疲れ果てる。
それが発達障害の困難さであり、診断の主軸です。
本人か家族が困っているから、発達障害の診断がつくんです。
2.診断がついたその後に大切なこと
発達障害の診断を受け、それに納得する気持ちになる。
全てが発達障害のせいだったように感じる。
そういう時期が必ずあります。
でも次に必要になるのは、
「発達障害の診断名」と「その人個人のパーソナリティ」を切り離していく作業です。
「発達障害」は診断を受けたその人自身を丸ごと説明する魔法の言葉ではないということ。
発達障害=その人そのもの ではない。
私は「発達障害の人」という表現は正しくないと感じています。
発達障害の診断がつくくらい発達特性を持っていて、それゆえに社会生活で困っている。だけど「発達障害の人」ではない。
発達障害はその人のひとつの側面を説明するためのもので、その人自身のアイデンティティを指すものではないから。
少し遠回りな表現だけれど…
「発達障害の特性を持っている人」という表現がしっくりくると感じています。
発達障害の特徴的な行動や思考を「特性」と呼びます。
発達障害は病気ではないので「症状」とは呼びません。
3.息子の発達障害をどう受け止めているか
3歳のASD(自閉スペクトラム症)の息子はこだわりが強く、すれ違った車のメーカーを読み上げないと次に進めないなどの行動があります。発達障害の診断は納得がいきます。
でも「発達障害」だけでは息子のことを説明できないんです。
だって同じ診断名の子供たちを並べたって、みんな違う。みんなそれぞれに性格があり、好みがあり、特性の出方も違う。
「発達障害」という診断名は、息子の行動を理解したり周囲に説明するためには役に立ちます。
だけど、発達障害を理解するだけで息子のすべてを理解できるわけじゃない。そのことは忘れたくないなと思っています。
4.発達障害の子に困らされている?
発達障害の診断を受けた時。
障害の特性について知れば知るほど、心当たりがありすぎて、今度は子供の行動すべてが「発達障害のせい」のように見えてしまう。
例えば…
何かがうまくいかず、大泣きしている子供。癇癪を起していて、声をかけても耳に届かない。それどころかより泣き叫び方が強くなる。
でもそんな時に
①発達障害だから泣いている と捉えるか
②発達障害の特性で困っている と見るか
後者の方が、親の心に余裕ができます。
①発達障害の子に困らせられている
↓
②発達障害の特性にこの子自身も困っている
視点を変えてみる。
発達障害の診断と、その子をしっかり分けることで巻き込まれ感が減るんです。問題行動と本人を切り離して考える『問題の外在化』にも共通する視点です。
5.一度行き過ぎるから「ちょうどよい」に戻ってくる
言葉でいうのは簡単ですが、すぐには発想を変えることなんてできません。
時間がかかって良いんです。
いつか「この子は発達特性があってそれで困ることもあるけれど、発達障害がこの子のすべてではない」に行きつけばいいんです。
こんなイメージをしてみてください。
振り子が左右に大きく揺れるように、
感情も思考も、大きく揺れ動く。
でも時間とともに振れ幅は小さくなる。
だんだん揺れが小さくなって、最後は真ん中で止まる。
一度行き過ぎるから「ちょうどいい」がわかる
一度振り切れるから「真ん中」がわかるんです。
6.さいごに
「障害受容」というと何があってもぶれない姿を想像しがちですが、実際の心は振り子のようにゆらゆらと揺れ続けます。
何にも傷つかないスーパーマン状態になることはたぶんなくて。ちょっとしたきっかけでふと痛みが顔を出す。
でも激しく揺れ動く時期を経験したからこそ、ちゃんと真ん中に戻ってこれる。心を揺らしていっぱい時間をかけたからこそ、たまに揺れても動揺せずに済む。
私の場合は、振り子がぶんぶん揺れた結果
「息子には発達特性があってそれで行動が左右されることもあるけれど、発達障害は息子のほんの一部ですべてではないんだな」で止まりました。
発達障害の診断との付き合い方は人それぞれです。
それぞれの親子にそれぞれの形があります。
この記事があなたの「ちょうどいい」を見つけるヒントになれば嬉しいです。
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