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ドミニクおじさん

自転車での長期旅を目的とする人たちにとって、ユーラシア大陸横断や、アフリカ大陸縦断など、大陸を端から端まで走り切ってみたいと思う気持ちは、万国共通のようだ。

私たちが今いる、アメリカ大陸も、そんな旅人達にとって、憧れの地の一つ。アラスカから始める大陸縦断、メキシコから始める中南米縦断、コロンビアから始める南米縦断と、大きく分けると3つの目的に別れる。北から南へ向かい、大陸最南端の町、アルゼンチンはウシュアイアを目指すのが、定番のルート。

アメリカ大陸縦断と一口に言っても、道は無数にあるが、西側アンデス山脈沿いの南下を選ぶ場合が多い。巨大なブラジルがある東側と違って、西側はより多くの国を訪れることができる。巨大な山脈がつくる景色の変化を見れることや、スペインに占領される前の伝統的な文化も残っている事も関係しているだろう。

旅の開始から一気に最南端まで到達するには、出発する時期も限られてくる。そんな理由が重なり、旅行者も行かず、地元の人も住まないような山奥の僻地で、突然自転車旅行者に出会う事がある。

同時期に自転車旅行している者同士で噂話が広がって、道で出会う前から既に存在を知っている事もある。すれ違うだけなら手を振って終わるが、進行方向が同じで気が合えば、長く共に行動することもあるし、何度も各地で再会するようなことにもなる。

道中出会って何ヶ月も一緒に旅をしてる人達もいたし、恋人同士になった人もいるし、家族で旅を始めて、途中で離婚してしまった人にも会った。気の合う自転車旅行者同士は、地元の友人や同僚のような、強制力の働く気心の知れた仲間になりやすい。



 その日は、メキシコは芸術の街オアハカ北部を出発して、Hierve del Aguaへ向かっていた。石灰岩の巨大な岩壁の上にある、小さな水流が長い時間をかけて作った、自然のプールが有名な場所だった。

そのあたりでは羊肉を使った料理を出す店が多く、羊好きな私はこの日も、クセが強くてやみつきになる羊肉スープを出すレストランで、昼食をとっていた。食べ終えたころに、どこからか、初老の白人の自転車乗りが現れた。自己紹介を終えると、行き先が同じだったことが分かる。
一緒に行ってもいい?
気の良さそうな人だったため、もちろん良いよと答える。
本当?私めちゃくちゃお喋りだけど本当に良い?よく怒られるんだ喋りすぎて。もしうるさかったら別行動で構わない。すぐに去るから、遠慮なく言ってね。
この時点で少し喋る量が多い。確かに本人も自覚してる通りだった。一緒に自転車を漕いでる時も、2列に並んで車道に大きくはみ出し、後ろから来る車も気にせずに喋りまくる、明るく楽しいおじさんだった。名をドミニクさんという。ドミニクおじさん。

昼食後しばらく走ると、コンクリートの道が終わり、未舗装の登り坂が始まった。山の上にあるプールまで、10kmほど。動いていなくても汗が止まらない気温。強烈な日差し。荷物を積んだ重い自転車。そんな状況での登り坂は、私たちには傾斜がきつすぎて、自転車を降りて、歩き始めていた。

入場料のかかる観光地であるプールには、営業時間があるため、閉業時刻前に入ってキャンプして、次の日にゆっくり水遊びをするつもりだった。しばらく歩いて登っていたが、そのままのペースで向かったら、既に間に合わない時間になっていた。傾斜のきつい山道では、テントを張る場所が見つからないため、その日中には到着しないわけにいかなかった。

ということで、ヒッチハイクまたはタクシーを拾おうという話になった。そこはプールまでの一本道。歩いていた時には、それなりに頻繁に車の往来があったため、安心していた。しかしいざ自転車を停めて車を待っていると、山道を降りていく車ばかり。そりゃそうだ。その山道の先にはプールしかなく、わざわざ閉業時間前の短時間で泳ぎに行く人なんて、いるわけがない。

いよいよ辺りがうっすらと暗くなり始め、車通りも少なくなってきた。全員少し焦り始めていたところで、ドミニクおじさんが強硬策に出る。

観光客10人ほどを乗せて降りてきたトラックタクシーを停め、運転手に尋ねる。客を一旦ここで全員降ろして、私たち3人をプールまで乗せて上がってくれないか。

実際にはドミニクおじさんはスペイン語を喋れないため、私の相方のサブリナに、訳してくれと頼んでいた。

理屈は分かる。そこからプールまで、車なら大した距離じゃない。おそらく30分もあれば戻ってこれる。そこは治安が良くないとされる、メキシコ。私たち外国人3人が、暗闇の中で自転車を押している姿を想像すると、確かに不安にもなる。1日走って押して、体も心も疲れ切っていた。

ただそれでも、街に戻ってみんなでビールでも飲もうとしているであろう外国人観光客を、暗くなり始めた山道の道端で待たせるのは、さすがに気が引ける。しかも10人。

正気かこのおじさんは、と耳を疑った。訳してくれと言われたサブリナも、おそらく私と同じように感じ、通訳はしなかった。そりゃそうだ。彼女がそんな心臓の強さを持ち合わせていないことは知っている。というかそんなことを頼める人は、誰も想像できない。唯我独尊。

懸命な判断をして訳さなかったサブリナに、おじさんは少し憤慨していたが、すぐに別のトラックタクシーが登ってきた。無事に自転車3台と私たちを乗せてもらえて、一同一安心。


そんなドミニクおじさんは、日焼け止めクリームを盛大に使う。右手でチューブを力強く握って、左の手のひらにたっぷりと出す。それをそのまま顔につける。まんべんに塗り広げたりはしない。びちゃっと顔に貼り付けておしまい。白いかたまりが顔の上でまばらに、特に鼻のあたりに、しっかりとこびりついている。毎日あのペースで使ってたら、数日から1週間でまた日焼け止めを新しく購入しなくてはならないだろう。


またドミニクおじさんは、サイクリスト用の半袖シャツを着て行動する。自転車走行時に風力抵抗が減るようにデザインされた、伸縮性が高くて、肌に密着する、速乾素材の服。彼はそれの半袖を着ていたが、あれほど顔には日焼け止めを大量に使うのに、腕には全く関心がなかった。自転車を漕いでいる間、ずっと直射日光にさらされる。おじさんの白い腕は、1日で真っ赤になっていた。

プールで見ると、はっきりとTシャツ焼けをしているのが分かる。密着した服ゆえに、余計に目立つ半袖のライン。まるでそういう刺青のようだった。プールで写真撮影を頼んできた若い女性が、ドミニクおじさんの腕を見て、驚き、笑っている。おじさんは少し恥ずかしそうにしながら、自転車乗りとはこういうものなんだよ、とかなんとか言っていた。


おじさんは仕事が忙しくて、出国前は自転車もあまり乗れていなかったようで、相当疲れた様子だった。しかもまだその時はアイルランドから到着したばかりで、絶賛時差ボケ中。そんな中での

久しぶりのキャンプでは、一睡もできなかったよう。深夜に突然鳴き出す大量の犬やその他の動物。メキシコ名物の動物大合唱も、睡眠妨害に一役買っただろう。ロバの不思議な鳴き声には、who is that?! 誰だ?!と受け応えていたおじさんは、次の朝文句を言いながら起きてきて、相当に疲弊した顔をしていた。

それでも朝からドローンを取り出して、プール周辺の岩壁を楽しそうに撮影していたおじさん。一睡もしてない割には、子どものように元気なドミニクおじさん。自分もこうありたいものだなと思った。

60代前半位であろう、アイルランド出身で医者の彼には、6人の子供がいる。いくら医者といえども、6人の子どもの養育費は楽なものではない。ずっとお金が無かった中、どうにか時間とお金を捻出しては、オフロードでの自転車旅をしてきたとのことだった。

チタンで出来た超軽量マウンテンバイクに乗っていたおじさん。キャンプ道具等、全ての装備も考え抜かれていて、最小限で最先端のものを揃えていた。知識も豊富で、バイクパッキングの話を始めたら、元のお喋りに拍車がかかり、止まらない。いかにも自転車旅の玄人という様子。陽気で頭の回転の早い、とても知的なおじさんだが、顔についた大量のクリームと真っ赤な腕がお茶目で、親しみやすくて素敵なドミニクおじさん。

2日間だけの短い付き合いだったけど、きっとずっと忘れない。またいつか一緒に自転車旅行できたらいいな。

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