子育てで一番必要なもの

武術研究家のモノノフです。武術研究をしているとヒトという動物のあり方なども考えることが多く、子育て記事を書いたりもしています。その生物学的な観点や、解剖学的な観点、武術で得た理論などを鑑みて子育てで一番必要なものそれは、

肉体的にも精神的にも子供と向き合うこと

です。このことは以前にも書いたことがあるのですが、それはなぜかという話をしていきたいと思います。僕は

『子育ては研究』

だと思っています。多くのひとはそのことに気がつくことなく失敗していますし、そのことに気がついても研究とはなかなかうまくいくものではありません。研究の基本的な流れがあります。

観察→仮説→実験→考察

です。基本的にはこれです。 しかも一般的な実験と違うポイントがあります。
N数が1で、その個体で結果を出さないといけないということです。
何を言っているかわからないひともおられると思うのでお話すると、実験する数が一つで、それを使って結果を出すことしかできず、しかも時間は流れていって原則やり直しはできないという点です。

一般的な実験は個体数が10とか100とか1000あってそれを対照群と実験群に分けます。そして対照群と実験群の結果を精査して統計学的な処理をして有意差が出れば、それは「効果があった」と言っていいのです。統計学的な処理をしていない、もしくは有意差が出なかったけどなんとなくそれっぽいというときは「そう言った傾向があった」としか言えません。

子育てはN数が1しかないので、対照群と実験群に分けれないのです。よく『〇〇ママの子供○人東大に行かせた』みたいな本がありますが、それに意味はないのです。他人の体験談でそれを自分の子供に当てはめようなんてチャンチャラおかしい話というのがお分かりになるだろうか。ただ、誤解ないようにしていただきたいのはここで出たような〇〇ママは偉いと思っています。自分の子供を東大に入れたらあとは自分で考える力がついているだろうからあとは好きにしたらいいというスタンスのようだ。それはそれでありだと思う。しかも結果を出している。

このN数と言われる数が少ない実験や、報告が非常に大事なことがある。それは何かというと『珍しい症例』だ。『1例報告』と言われたりするが、珍しいがこういうこともあるので、皆さん注意しましょうなという報告だ。科学的に意味があるものではなく、注意を促す意味のあるものだ。〇〇ママの話はこの部類に入る。科学的に意味はないがこういう方法もありますよぐらいのことだ。

そもそも『観察』をしないと自分の子供の適正などわかるはずもないのだ。子供を『観察』していないのに、どこかで育児本を読んできて、うちの子供はこうするんだと他人の子供のメソッドを持ってきて自分の子供に当てはめるなど愚の骨頂と言っても過言ではない。

この実験の最初の『観察』に肉体的にも精神的にも子供と向き合うことというものが入っているのだ。

自分の子供の適正を『観察』してそこからそれに沿った『仮説』を立てて『実験』していく。そうすると結果が出るので成功したにしても失敗したにしても『考察』を立てる。その『考察』からまた『仮説』を立てて『実験』する。もしくは『観察』からやり直して違う『仮説』を立て『実験』するという流れになる。

男のひとは特にこういう風に理系的に考えた方が、楽しく子育てができる。うちの子供はこういうことに興味を持っているなこうしようという方が現実的で、あの本に書いていたからこうしようというのはその本が余程科学的でないと成立しない。

もっと言うと科学的であったとしても自分の子供に合うとは限らない。そう思って取り入れていかなければいけないのだ。

科学的にAという方法をしたら80%うまくいきますということがあったとしよう。実験結果として100%ということはまずない。80%でも御の字だ。そしてその80%という数字は有意差があって有効な数字だったとしよう。このAという方法は自分の子供に有効かということだ。

有効の可能性は高いが、残りの20%の側に自分の子供が入っていたらやる意味はなくなる。そのためにも『観察』を続けないといけないということだ。科学的根拠は大事だが、それに完全に盲目してしまってもいけないのだ。

僕の例を1つ紹介しよう。
自分の子供が2歳過ぎた頃だろうか。何に興味を持つかずっと『観察』していた。この頃の子育てのポイントは興味のあるものに没頭させることだ。そうすると子供が興味を持ったのは『文字』だったのだ。虫とか恐竜とか電車、車ではなく『文字』だったのだ。

これに僕は逡巡した。本来言葉を覚えてからその音にあたる文字を覚えるというのが言葉を覚える順番だからだ。うちの言葉は一人っ子で妻が専業主婦ということもあり、保育園にも行っていないし兄弟もいないので言葉は遅い方だった。そんなろくに喋れてもいない子供が『文字』に興味を持っているのだ。順番があまりにも違いすぎる。絵本が好きだった(ほとんどの子供がそう)ので妻と絵本奴隷になろうと言って読みまくっていた結果だろう。

妻と相談した。
僕「普通は『言葉』が入ってから、『文字』だと思う。」
妻「最近『文字』に興味ありそうよね。」
僕「オレもそう思う。そこで順番無視して『文字』を教えてしまわないか?」
妻「いいんじゃない?多分今『文字』を教えるのががこの子のタイミングでしょ。」
僕「では、定石無視でいこう。」
といった感じで『文字』を教えることになった。

興味を持っているのでみるみる覚えていく。「しゃ」、「しゅ」、「しょ」とかに少し苦戦はしたものの、ひらがなカタカタアルファベットまで2歳児にして読めるようになったのだ。書かれている単語の意味がわかることなく。

うちの子供はものの名前を文字から教えることになった。こう書いてこう読むものがこれです。と言った感じだ。普通はこれの名前はこれでそれはこう書くというのが順番だ。
しかし、その結果、本の情報を見た情報とつなげやすくなったといういい点もあった。

この話の内容は『うちの子供2歳でいろんな文字読めて天才でしょ!』みたいなことではない。親が興味を持つものに気づいてあげてそれを与えたら成功したという例だ。ここで大事なのは両親ともに子供を『観察』して、意見をすり合わせ協議し、結論を出した点だ。父が母に子育てを丸投げしているでもなく、母も意見を出し、父も尊重しているみたいな関係性も良かったと思っている。

各々の家庭事情があるので誰でもできるとは思っていないが、こういった話し合いができているというのが非常に大事なのだ。

ちなみに、毎晩夫婦で10分以上会話がある満足感は妻側から見ると月収で旦那の収入が10万ぐらい増えているのと同じぐらいだそうです。そんな実験をしているひとが海外にはいるのです。

ということで、子育ては両親が揃っているなら意見のすり合わせはできた方が子供にはいい可能性が高いです。

モノノフ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?