武術と現代格闘技について考えてみた✊
現代格闘家は武術などまやかしだということがよくある。
YouTubeのやっちくんチャンネルで矢地祐介さんも合気道に対して限られたルールの中でやることはわかるが、相手がジャブを打つように手を引いたりすると使えるのか?という疑問を示されていた。
僕は合気道や武術を推している方だが、
これに関していうと正しい批判だと僕は思う。
ただ、間違っているところもある。MMAも限られたルールの中でやっている。MMAのルールがフェアということもないし、それぞれがそれぞれのルールの中で競っているので、お互いのルールを批判することはお門違いというものだ。
僕の感覚でいうと、
強くなるという問題がある時に、
武術は『公式』
格闘技は『とりあえずの答え』
という印象だ。
どういうことかというと、
武術だけをしている人は公式ばかり見て、実際の問題を解いていない。
公式には実際の数字を代入しないと使えないのだ。
もっというと、自分は公式しか見ていないことも気づいていない人が多くて、
何年も修行しているのに素人にも遅れをとるということになる。
格闘技の方は『とりあえずの答え』は出せている。
ただ、それだけの発想では本質にたどり着けない。
どういうことが起きるかというと、
生きのいい若い選手に遅かれ早かれ負けてしまうということだ。
50歳で現役とバリバリ闘えて、かつ勝てる選手は存在しない。
しかし、武術の世界では70代80代でも動けている人がいる。
もちろん一握りではいるが、存在している。
どちらがあっているとか間違っているではなく、目指しているものが違う。
どちらもあっているし、どちらも間違っていると考えるべきだろう。
武術家はその『公式』を実際使えるようにするにはどのような数字を代入したら、答えにいけるかを考えなくてはいけない。
つまり、他のルールでも戦えるようにしないといけないと僕は思う。
格闘家は自分がしていることは『とりあえずの答え』を出しているだけで、人間の本質をついていない。筋力勝負ばかりでは、いずれ若いものに負けて先がないことに気が付かなければならない。
つまり、どちらの要素も必要ということだ。
ルートはどちらからでもいい。
例えば、格闘技で鍛えて、とりあえずの答えを得てから理論を構築していってもいい。
逆に理論を構築してから各種格闘技に手を出して、自分の理論はあっているのか?どうすれば、それぞれの格闘技に対応できるのか、などを考えてもいいと思う。
僕は後者のルートを選択している。理論が好きで武術研究を続けているが、
実際使えないと意味はないとも思っている。
フルコン空手もしているのはそのためだ。
実際身体に染み付いていないと咄嗟に技などでない。
僕がジークンドーを評価しているのはそのためだ。
ブルース・リーは元々詠春拳を習っていたが、それだけでは勝てないものもあることに気がつき、ボクシングやフェンシングを研究してジークンドーというものを作っている。
最近人気だが、石井東吾先生はよく練れていると思う。
勝手な想像だが、おそらくジークンドーにはないようなオリジナルの技術も開発していると思う。
矢地祐介選手もMMAで身体がしっかり作られてから、武術に触れて、使えそうな技術を取り入れてというのは正しい進化だと思う。
強くなるにはどのルートを辿ってもいいが、
『公式』と『とりあえずの答え』の関係は理解しておいたほうがいい。
そこから『公式』を使えるレベルまで理解して、『正しい答え』に辿りつける人間は数えるほどしかいないであろう。
その数えるほどしかいない人間になれるように僕は研究を続けている。
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