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ゆっくりだけど、着実に

休職生活2ヶ月を終え、有給消化だけとなった1ヶ月ももうすぐ終わろうとしている。
そんななか、ゆっくりだけど着実に変化していることってあるんだなぁ、と気が付くことも増えてきた。

前回の投稿でも書いたのだけど、私は病院についてはラッキーだったと思う。早めに対応ができたし、合わなければ変えたら良いから、というのもいってもらっていたので、それなりに合うところに通えていた。
そして、通っていた先生は、言葉にたくさんするタイプではなかったけど、私が回復していっているかどうかを、きちんとみてくれていたのだと思う。

そして、今年の3月くらいから切り替えたカウンセリングもすごく合うカウンセラーさんに出会えた。傾聴カウンセリング自体は、私が自分である程度メンテナンスできている時期には心強いものだったけれど、バランスを崩してしまってからは限界に近かったのだと思う。料金は、傾聴に比べると実は倍以上違うのだけど、それでも対面で、認知行動療法とかもできるカウンセラーさんのいる場所に切り替えられてよかったし、最初に話を聞いてくれたカウンセラーさんとの相性がよかったのもラッキーだった。

お財布はどうしても痛いけど(笑)、そのぶん前進しているなと感じられるし、元気になってきた今は毎回「こういうことに取り組みたいな」が自分ではっきりしていたり、「あなたのタイミングで良いし、やりたくなかったらやらなくてOK。でも、もしよかったら次はこうしてみない?」という提案をもらったり、「自分の好きなときに来て、ちゃんと進めるって良いな」と思えている。


そんなことをしながら、ふと自分の変化を感じたのが、重い腰を上げて就職のために職務経歴書の修正をしはじめたとき。

前よりも、すっきりと項目を整理することができた。

修正する前のものは、これでもかというくらい細かく自分がやってきた業務を書き出したもので、明らかに細々書きすぎているもの。
それが、休職直前の私の精神状況そのものというか、「自分はこれだけの業務をやっているのにまだ足りないと言われているの?」という戸惑いと、虚無感と、実感のなさがそうさせていたのだなと思う。

正直担当業務というか、項目が多岐に渡りすぎていたのは事実なのでテンプレで紹介されているような簡潔さにはなっていない。でも、修正を始める前に、小学校から就職4年目まで、自分がやってきたことや成果に近いものをマインドマッピングのように描いて認識してきたからなのか、自然と「この書類ではこれくらいざっくりで良いや」と思える部分が増えていた。書類に落とし込まなくても、まずは自分が自分のやってきたことを知っているから。それを転職活動用にどう整えるかは別物、と思えるようになったというか。


とはいえ、改めて自分史を書き始めてみたからなのか、最後に一度職場にいかなければならない日がもうすぐだからか、なんとなくまた寝つきが悪かったりはする。でも焦らないで良いかなと思えているのは大きい気がする。

そして、傷病手当金が無事に振り込まれました!万歳!
去年の給与の額面6割×2ヶ月分ちょとくらいの金額だけど、元々少なめに見積もって期待していたので多めにもらえた気分です。
会社経由ではなく、自分で最後書類はけんぽの事務所に提出に行ってから2週間。なんの連絡もなくて心配だったけど、無事に入金されて嬉しい限りの連休明けです。

追記:1日遅れでけんぽから通知書が届きました。印字の日付見る限り、支給自体は1週間で決定、その1週間後に振り込みという段取り。今までみたいに1日で郵便が届くわけじゃないのと連休も挟んだから通知書の到着が入金とずれたんだろうな笑 不支給期間は労務不能になった日からの3日間とぎりぎりお給料の出た期間(6月の締日まで)だけでした!

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