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「死んじゃったらどうしよう」と思っていた話

今朝の朝ドラをみて、適応障害のときにあった「死んじゃったらどうしよう」の感覚の、私にとっての背景が少しクリアになったので書いてみます。
※ちょっとだけ後半に朝ドラのネタバレを含むので、3月14日の放送をまだみてない人はみてからで・・・笑

はじめに

「希死念慮」というのは、最近知られるようになってきているとは思うし、メンタル不調のなかでその言葉を知る人も、支える立場としてその言葉に直面する人もいるんじゃないかな、と思います。
端的にいえば、「寝よっかな」と同じようなテンションで死を考えてしまうこと。
※念の為、解説されているウェブサイトと、厚労省が出してる電話相談窓口のページはります。少しでもどうしよう、と思う人は、電話相談でもLINE相談でもたくさんあるので、まずはつながってください。

私の場合、うつ状態はあっても適応障害でぎりぎり立ち止まっていたこともあるのか、その願望はなかったのですが、逆に

「死んじゃったらどうしよう」
「些細なことで死んじゃうのでは」

という、死への恐怖感がありました。

私の場合の背景

当時認識していた恐怖としては、そもそも注意力が散漫になっていたことがあります。
仕事中は、文字通り全集中で取り組まなければ締め切りに間に合わないとか、締め切りをずらすと全部がずれるからそれはそれで結局大変、みたいな状況でした。

そのため、通勤中とかの注意力が一気に下がっていました。
信号機は最低限ちゃんとまもって渡っているけど、なんか危なっかしいような気がするし、いつも使っているセルフレジで突然現金が使えないと思い込んで慌てて店員さん呼んだり・・・
晩御飯などのある程度ルーティンになってるようなものなら大丈夫だけど気晴らしにお菓子を作ろうとしたらいろいろ間違えるし・・・

「自分の意思以外の要因で死ぬことへの恐怖」だったからこその行動

まあ、今考えたら、注意力もそうですし「死んじゃったらどうしよう」とずっと頭をよぎってるのだって十分健康的ではない状態なんですが、希死念慮じゃないしなぁ、とかいって誤魔化していたのはよくなかったと思います。

一方で、「自分の意思以外の要因で死ぬことへの恐怖」=交通事故等の想定はもちろん、自分自身の感覚がおかしい故にもし突発的に何か行動してしまった場合、風邪をひいたりして、「タミフル」での異常行動のようなものが出てしまった場合だったからこそとった行動があります。

それは、とりあえず誰かしら友達に連絡をすること。

単純に連絡を取るでも良いし、遊びに約束をするでも良いし、率直に仕事の愚痴を聞いてもらうのでも良いけど、とにかく複数の友達に連絡をとっていました。

万が一、何かあったとき、友達との約束ややりとりの途中であれば、週末で職場からの連絡が入りづらい状況でも気がついてもらえるかもしれない。
異常行動だったけど、状況的に異常行動かどうかの判断がつかなかったとき、職場の人以外からの私の状態があったほうが絶対に良い。
そんな考えがありました。

一回、友達にそう伝えたら「その先回りをするなら休むのもう少し早くしようよ」と怒られました(当たり前)。

でもそれくらい、「怖さ」が勝っていたんだと思います。

今日気がついたもう一つの背景

そして今朝の朝ドラ。主人公の祖母が、脳梗塞で倒れて入院。
「船で倒れた」というセリフから、いつ、どうやって病院に行けたのか、というのが気になっていたのですが、
船でお客さんをおろした直後に不調を訴え、かつお客さんがそのまま釣りに出るような感じじゃなくて、島で迎えがくるようなタイプのお客さんで、迎えにきてくれた人が顔馴染みかつ、顔色をみて迅速に対応してくれた、という経緯でした。

どの要素が欠けても危なかったんだと思うんです。高齢で一人暮らし、付き合いの人がたくさんいるとはいえ、一人だけで行動している時間も一定数ある。それが、奇跡的に回避されて病院につながったという状況。

それに気がついたとき、ああ、私は万が一のときに、一人きりで誰にも気づかれない可能性があること、私が置かれていた環境を理解されていないことも怖かったんだなと改めて思いました。

私の祖母は、祖父と暮らしていたし、私たちもよく遊びに行っていたのに、その日はみんなが集まる日だったのに、たまたま祖母が倒れたタイミングだけ、周りに人がいなかった日に亡くなりました。

そして、同級生を自死で亡くした経験もあります。

どんな形での「死」であれ、周囲の人に与える影響は大きい。
相手に「どうして!?」と聞くことができないから。「何があったの」と聞くことも、「言ってくれたらよかったのに!」と泣きつくこともできない。
もっと早く気がついていれば・・・と思わずにいられない。

だから、私が連絡を取り続けたのは、いろんな感覚が健康な状態から逸脱しそうになっているなかで、健康的・建設的な判断を話のなかでリマインドしてもらうこと、交通事故なら警察から連絡行くだろうけど、もし突発的に体調が悪くなったときに気づいてもらえる環境を作ることが優先だったんだと思います。

まあ、そんなことをしながらも結局心療内科で診断書をもらうまで自分で休むという判断ができなかったのは、当時の記事が物語っている通りなんですが・・・^^;

すでに希死念慮の自覚があって、扱いに困っている人もいると思います。
一方で、もしかしたら私みたいに「なんかの拍子に死んじゃったらどうしよう」みたいに思っているパターンの人もいるかもしれないなと思い立ち書きました。

冒頭にも書きましたが、どうしようと思っている場合にはどこかにつながってください。
友達や家族にいうのは難しい、という人は、公共機関や民間の相談センターがあります。
SNSでの相談ができるところもあります。だから、頼ってみてください。甘えてみてください。


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