母のベッドで「仏壇」を作った話(1/2)
聞く人=朝山実
写真©山本倫子
今年(2018)1月に、土佐信道さん(明和電機社長)がツイッターに載せていた、写真を見た。モダンながらもシンプルな造りの「仏壇」で、お母さんがふだん使われていたベッドで自作したというのに惹かれた。
ツイッターにはこう書かれていた。
“昨年の大晦日、母が亡くなった。同居していた姉のうちに行くと母が寝ていたベッドは廃棄するとのこと。「あ。このベッドで仏壇つくれるかも」とビーンとヒラめき、葬儀の合間にアトリエで制作。母も笑っているだろう。”
仏壇を手作りするというのも、ありなのか!?
どうして製作を思い立ったのか、話を聞きたいと思った。
インタビューさせてもらったのは2月、都内にある明和電機のアトリエだった。「明和電機」については、タモリさんのテレビ番組にときどき工員服姿で、変わった楽器をもって出演されていた二人組というくらいの知識しかなかった。音楽ユニット創立時に「社長」だった兄の正道さんは「定年退職」(2000年)され、弟の信道さんが「社長」となって活動されている。
お母さんが亡くなられたのは、昨年の大晦日。享年80歳だった。
「通夜は1月4日で、にぎやかなお通夜でした。父親のときもそうだったんですが、孫が12人いて。さらに不思議なめぐりあわせなんですが、母が亡くなったときに、ひ孫が生まれたんです。ほぼ同じ時刻に。生まれ変わりみたいなものかもしれませんね」
「にぎやかなお通夜」というのは、ふだん顔を合わすことの少ない子供たちが揃い、はしゃいでいた。さらに信道さんたちの大人の男衆も、夜を徹して麻雀をしながらお線香の番をしていた。振り返れば、父親のときもにぎやかな葬儀だったという。
「それに、正月というタイミングでもなかったら、僕も仏壇を作るということはできなかった。一年でいちばん時間がとれる期間だったものですから」
──お正月にお葬式をしたと聞くと、大変だなぁというふうに思ったりするんですが。
「そうでもなかったですね。葬儀社は、お正月でもちゃんと稼動しているんだなぁとは思いました」
──ご葬儀はご自宅で行われたんですか?
「場所をお借りして1月1日には祭壇もちゃんとつくってもらいました」
──それで、仏壇を自分で作るというのは、どこからそういう発想になったんですか?
「姉の家に行ったときに、母が使っていたベッドが空のままあったんです。棺桶が運び込まれるので、場所を空けないといけないとなって、姉に『あのベッドどうするの?』と聞いたら、廃棄するという。よく見たら、これがいい感じの木目のベッドなんですよ。
前々から僕は木工が好きで、よくIKEAに材料を買いに行くんですが、たとえばホームセンターで化粧板を揃えてタンスを組み立てるよりもIKEAでタンスを買ってきて、部屋にピッタリ合うように切ったりしたほうがはるかに安くできる。そういうふうに工業製品を自分でカスタマイズするのが好きだというのもあって、母親のベッドを見たときに、『これで仏壇が作れるぞ』と思ったんです」
──ヒラめいたんですか(笑)。
「そうです。ヒラめいたんです」
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