知識がないと楽しめない?

 自分も、生まれていきなり「DD54が」とか言っていた訳ではない。

 そして、ある程度の年齢になって、最初に図鑑のページをめくる時にしても先行する「知識」は無い。

 あるのは「興味」、「好奇心」である。

「ブラタモリ」を観て、「タモリは予備知識があるから楽しめるのだ」という人がいるが、それはおそらく違う。

 これは「ブラタモリ」をちゃんと観ていれば気付く事であり、タモリ自身が度々同じような意味の言葉を言っている。

「前に来た時は全然興味なかったけどね」

 修学旅行などで教えられるのだろうが、全然興味ない時に来ても面白さは感じない。

「ブラタモリ」を観ていると、早足で見ると全く意味不明なものが、時間をかけて見ると非常に興味深く見えてくる事がある。前提とする知識はさほど必要ない。

 そして「興味」と「予備知識」はまるで違うものだと思う。

「◯◯の事を知りたいけれど知識はない」、「◯◯の事は知っているけれど興味はない」というのは、生きていて時折経験する事である。

「全く興味なかったものに心を打たれる」

 というのも、(本当にたまにだが)無いこともない。

「秘境駅」なんかは本当にその成り立ちが理解できないと、面白みも全く感じないものなのであるが、ベストなのは「何なのか分からないが興味を持っていて、現地で自分で調査するなり、説明を受けるなりして腑に落ちる」というパターンだろう。

 子供に何かを体験させて、感想を求め、「模範回答」がかえってくるのをテレビのニュース番組で観ることがあるが、「ああ、この子には興味なかったんだ」と思うものである。でもそれは仕方ない。好奇心が別のもので満たされてしまうと、体験なんかどうでもいいからだ。

「ゲームは良くない」論者の言う事で、1つだけ納得できるのは、ゲームがあまりにオールマイティー過ぎて、他の暇潰しの方法や好奇心を満たす方法が浮かばなくなってしまう事である。

 そして、百も承知の事を今更解説されると腹が立つ事もある。

 昭和天皇が熊本に行った時の話である。どうも本当の事らしい。
 特徴的で見間違うはずもない山地が見える。

「あの山が熊本を代表する山でございます」

 昭和天皇は答える。

「あっそ」

 昭和天皇は、ひょっとしたらウィットのおつもりでおっしゃったのかもしれない。

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