怖いだけではオカルトではない
オカルトは怖いが、オカルトとは怖い話全てではない。
最近流行っている言葉「特級呪物」は、もともとの「呪術廻戦」的な意味からするとオカルトのように思うが、ネット上では拡大解釈が見られる
ではオカルトとは何か。
「隠された叡智」である。
いわゆる「オカルト映画」の言われ始めと言われる「エクソシスト」の意味は、「悪魔払い」である。悪魔の方ではない。
取り憑いた悪魔を払う技術はまさに「隠された叡智」である。
ゾンビは「ゾンビを作る秘術」とセットで語られる時にオカルトになる。ゾンビが自由に使役できる死体であるなら、これは「隠された叡智」の産物である。
安価な金属から金を生み出す錬金術とか、式を飛ばす陰陽師はオカルトと言えそうだ。永久機関はよく分からない。
忍者・忍術は昔はよく「怪しい話」を取り上げた本に出ていた。魔術と同一視された部分もあったのだろう。
現在ではその傾向は少ないようだ。
天狗は数々の術を使う。その術をさらった子供に教えたりする。また、密教や修験道と関わりが深いと言われる。
鬼は双六(ここではバックギャモンに似たゲーム)の勝負の末、自分の負けた相手に美女(但し死体からの合成人間)を与えたりする。
鬼の語源は「隠」であるともいう。オカルトの語源に近い。
鬼と叡智との関わりで「大工と鬼六」という話が浮かんだが、この話ははもともと日本の話ではないという。
河童と言えば懲罰だが、河童は懲罰の末に薬の作り方を教える。秘術である。
宗教的な遺物、例えば古代イスラエルでモーセが神から授かったという、十戎の書かれた石板を収めた「契約の箱」、「失われたアーク」は神との通信機であるという説が(確かインディ・ジョーンズの映画の前から)ある。
ここで大事なのは「説」だ。説が無ければ石板の入った箱にすぎない。
さてUFOだ。UFOは前に書いた「選ばれし者が見られる」説以外に、「アメリカ政府によって隠蔽されている」という説により、ただのよく分からない飛行物体から、オカルト的な存在になる。「天にあらわれたしるし」であると言う人もいる。
UFOは機械であるという話(ボルト・ナット説、ナット・ボルト説)も、UFOは地球外生命の乗り物であるという話(ET仮説、ETH)も説の1つにすぎない。
全部ここまできわめて適当に書いている訳だが、説は説である。「真実に目覚めた」という思いには気を付けたいものだ。
仮説と言えば、12月1日、文学フリマで発表される「UFO手帖」の最新号も仮説がテーマである。
今回は私も久しぶりに少しだけ書いている。今後通販等が発表されると思うので、何かの機会に入手して頂ければ幸いに思う。