私たちは死に守られている

高校の生物の時間だった。

「生物が体内への異物の侵入を防ぐ方法として、物理的・化学的防御がある。一番わかりやすいのは皮膚を角質層で覆うことだ。角質層の細胞は全部死んでいるから、細菌やウイルスは体表の細胞に寄生したり細胞をくぐり抜けて体内に入っていくことが出来ない」

おおむねそんな内容だったと思う。早い話、私たちの皮膚は死んだ細胞に覆われているのだ。生きている細胞なら細菌やウイルスにつけ込まれ、乗っ取られる隙もあるのだが、死者と交渉することが出来ないように、死細胞にそんな余地はない。生物は自分の死骸すら精一杯使って自身を守っている。

私たちはびっしりと死に覆われているのだとそのとき思った。感染症予防に手洗いが効くのもそのおかげだ。病原体の皮膚からの侵入を許してしまっては、多少の手洗いなど無に帰する。私たちは死に守られている。

気づいたことはもう一つある。

生物を無生物と区別している条件の一つとして、「自己境界性」がある。自分と、自分でないものの境目がはっきりしていること。人間ならその境目のほとんどは皮膚で、皮膚の一番外側は死細胞の層だ。

誰かの肌に触れるときは、基本的にその人の死細胞に触れることを意味する。皮膚を使う限り、私たちは自分の細胞の死骸ごしでしかものに触れられない。

くらくらした。当時の私は死をひどく恐れ、同時にどこかで惹かれ、1日おきに「自分が今死んだら何が起きるだろう?」と考えていたから。そんな日々の中で、死が思っていた以上に身近にあることを知ってしまったから。

人体の表皮組織の構造ぐらいで大げさかもしれないし、普通は体温があるから生きている誰かの肌に触れても死なんか感じない。でも、死細胞まで織り込んで生物の体が構成されているっていうのは、結構新鮮な驚きだった。

#私の不思議体験

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