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デマの拡散による鎌倉時代の女性差別から、国際女性デーを考える

この間、日本の「女性差別」の歴史について触れる
機会がありました。

読書記録用のInstagramでもご紹介している
「日蓮の手紙」という「100分で名著」の本に、
日本に女性差別の傾向が強まった経緯や鎌倉時代の
当時、どれほど女性が差別されていたかが
書かれてあり非常に興味深かったのでそれについて 
ここでも、ご紹介したいと思います。(長文です)
また、女性差別を考えることで国際女性デーの
記事を私なりに書こうと思います。

「かつてこの国には、「女性は穢れている」という
考え方が抜きがたくありました」と本書では
紹介されています。そしてその偏見の最もたる
理由が「月経」だったそうです。

そもそもの血の穢れという思想は古代インドに
源流があるというのです。
バラモン教という宗教があります。こちらでは、
排泄物や血液を不浄とみなし、その清掃人を
付加触民として蔑視していました。

不可触民とは、インドのカースト制度という
身分差別の制度の中で、そのカーストに属さず
最も底辺とされる差別される人たちのことです。

誰もやりたがらない仕事をこういう弱い立場の人に
押し付けたということですね。

そして日本で月経が忌み嫌う傾向が強まった
きっかけは、10世紀頃【血盆経】というお経が
伝わったことだったと言います。
このお経は中国禅宗の僧が創作した偽経で、
女性は出産や月経の血で大地から神仏までも
穢すので生まれながらに大罪を犯していると
言う内容らしいのです(笑)
めちゃくちゃすぎて、ほんまに笑う(笑)

今の時代にも陰謀論者や差別主義者が
似たようなことを創作してそうですね。

またその当時日本の仏教界にあった
女性蔑視の考え方が色々紹介されていました。
たとえば「一切の河川は、必ず曲がりくねっている。
一切の女人も、必ず他人に媚び諂って心が曲がり
くねっている」と言うような呆気にとられるような
ことを信じている人がいたようなのです。
極めつけは、
「すべての三千大千世界に存在する男子のあらゆる
煩悩が集まって、一人の女人の業障となっている」
(三千大千世界とは仏教の考え方で、ここでは
長くなるので割愛しますがとにかくこの世の全てに
存在する全部の男の苦悩などが集まって一人の女の
業障(その人の人生に現れる悪業による悩みなど)に
なるというような意味です、適当でご容赦ください)

これはひどい(笑)。酷さのあまりに大爆笑でした。
その女から生まれたのは誰だよと
突っ込みたくなります(笑)

勿論、差別の原因がすべて宗教にあるとも
言えないでしょうが、つまらぬデマを拡散させた
この禅僧のせいで多くの女性が長きにわたって
苦しめられたことは事実でしょう。

聖書(旧約)では、イヴが最初にリンゴを食べ、
美味しいので実を全て食べてしまい、
残ったリンゴの芯だけをアダムにあげたと言う話を
聞いたことがあります。私からすると、
そんなイヴはたくましく、また土だけでこねられた
アダムと違って、アダムの肋骨から作られている
イヴは新しいバージョンだなと
思っちゃうのですが(笑) やはり、その中でも
生理中の女性は穢れていることが書かれています。

私はキリスト教徒ではないため、詳しいことは
不明ですが、常識的に考えて現在のキリスト教徒の
方が女性蔑視しているわけでもないだろうし、
それは仏教徒にも言える事でしょう。

ただ、何故か大昔から、女性を差別するような
考え方が存在していることが気になります。

先ほど挙げた禅僧などは好きな女性に
こっぴどい振られ方でもしたんだろうか?

インドなどでは、ふられた腹いせに、男性が、
相手の女性の顔に硫酸をかける事件などが
起きたりしていますし、日本でも時代錯誤な差別を
伝統と勘違いしているような非常に無知な傾向が
見られます。また、世界を見渡すと、多くの女性が
困難を強いられています。
パキスタンでマララさんは撃たれてしまった。
イスラム国などのテロ組織は、クルド人の女性部隊と
戦う時に女に殺されたら地獄に落ちると信じていたり
していました。大丈夫か?

本書では月経中にお経を唱えても大丈夫か
心配する女性信徒が紹介されていました。
その人に対し日蓮は「単なる生理現象であり生命の種を
継承する原理に基づいたものです」と答えており、
月経を忌み嫌うお経などは見当たらないこと、また
体調が悪ければ無理に勤めをする必要はない
と答えていました。作者の植木雅俊さんは
750年も前の鎌倉時代にこうした科学的で合理的な
考え方をしていることに驚かされるとありました。

本当今ですら殆どの場合生理痛なんて
配慮されていませんよね。
当時の女性はこのようなことですら心配しなくては
ならなかったと思うと胸が痛くなります。

女性がこれだけボロクソに蔑まれている世の中で、
日蓮は法華経は女性が成仏することを
最優先にしている経だと、法華経の法門を
紹介して説明していました。
この女性は本当にほっとしたに違いないことは
想像に難くありません。

ではなぜこんな、女性蔑視が強い傾向にあることが
常識だったときに日蓮が差別をしなかったのかと
考えると、やはりそれは仏教の教えを実践して
いたからだと思います。当時あった差別を
正当化する仏教ではなく本来の仏教をです。
もともとはブッダの弟子にも女性の凄い信者は
沢山いたそうですし(いなかったことにされたらしい)
ブッダは、人間と人間の間に違いを作っているのは
自分達だというような趣旨の事を言っています。
そもそも、「差別」する時点で、
それは「仏教」ではないでしょう。
だって「差別」があるような宗教など
誰一人救えないからです。

仏教や宗教の話だけでなく、この世界に
「差別」があることは結局誰一人
本当の意味で幸せにはならないと思います。

違いとはなんだろう。
人間の脳は偏る傾向がある造りになっていますが、
それに任せず理性的に生きるシステムも
備わっています。偏らないように気を付けるのは
勿論ですが、無知であればあるほど、
偏見は強まってしまうでしょうから
世界中で起きている、色々な事を知っていくことが
重要ではないかなと思います。
知ることで考えられるし、あらゆる考えを
知ることによって自分が今いる場所で
何が出来るかを考えられるようになり
行動に繋がっていくと思います。

#国際女性デーによせて

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