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心理学で人生が救われた本当の物語。「黄昏に咲く虚ろな青春。」

俺の日常は基本的には変わらない。
むしろ悪化したのではないだろうか。
友達?まだほとんど会話したことのない人たちばかりだ。
合宿中は勿論、帰ってきてから何日経っても、友達ができる気配はなかった。
周知の通り、新しい環境での人間関係は最初が大切だ。
それを逃せば永遠に訪れることのない高校デビュー。
これは俺の言い訳だが、俺は人見知りだ。
自他共に認めるほど、自分から人に話しかけることはない。
受け身の姿勢を貫いてきた15年間はどうやらかなり恵まれていたらしい。
今回ばかりは勝手が違った。むしろこれが日本だ。
輪に入ってこない人間、暗そうな人間、興味がそそられない人間。
こんな人間を誰が仲間に引き入れるだろうか。
俺なら絶対に引き入れない。しかし日本人にはいい文化がある。
気を遣う。素晴らしい習慣だ。
クラスメートの何人かはプリント配布などの業務連絡に伴って
ついでに俺に話しかけてくれることもあった。
本当に俺は酷い人間だ。
「竹田くんはどこの中学だったの?部活は?」
「あいつと同じ。バスケ部。」
俺は本当に酷い人間だ。
質問には辛うじて答えるものの、会話が弾むことはない。
これが俺の最大の問題点だった。
受け身のくせして、初対面の相手に興味がないのだ。
中学まではそんな対応していても、ひつこく絡んでくれるやつが多かったから
徐々に興味を持ち始め、少なかったけれど友達はできた。
しかし、街が変わるとこんなにも人間性は変わるのか。
相手は自分に対して誠意を持って義務的に興味を示したのに、
対する俺は相応の対応を返さない。
確かにそんな人間と関わりたいと思う人はいないだろう。
いるとすればよっぽどのお人好しか、空気が読めない奴だけだ。
当初は同じ中学だったメンツも気を遣って
昼ごはんに誘ってくれてはいたが、
彼らも友達が増えるにつれて、俺の相手はしなくなっていった。
そんな俺でも唯一、声を発する機会がある。部活だ。
中学時代を共にした仲間、特に仲の良かった仲間だったから、
変わらぬ空気で過ごせることに満足していた。この時間があればいいや。
いくら経験者とはいえ、1年生は基礎体力作りがメインになる。
やはり高校生というのは大人に近いからか。
練習メニューがかなり厳しい。
中学時代に何度も怪我や病気をしていて練習量が乏しかった俺は
体力面でも、メンタル面でも、ついていけていたかというとかなり怪しい。
高校は隣町だったため、バスでの通学をしていた。
部活が終わり、仲間と同じ道を帰る。それが楽しかった。
尋常ではない体の疲れと痛み。俺に反する心の高ぶり。
どれだけ人に飢えているのだろうか。
自分で拒絶しておきながら身勝手なものだ。
この時の俺はそんなことも考えず、楽な方へ思考回路が変わっていた。
それがのちに自分を苦しめることになるとは知らずに。

家族というのものはどうしてこんなにも煩わしいのだろうか。
父親と母親というのは本来好意を寄せ合い
人生を共にする決断を下したのではないだろうか。
ここ最近そんなことばかり感じている。
そんな思考の現場はいつも俺の部屋。
この家族には調子の波があって、
昨日はテレビを見ながら食卓を共にしていたと思いきや
翌日にはその場にいられないほどの怒号が飛び交うということは珍しくはない。
時には父親と俺自身の怒鳴り合いも繰り広げられた。
親友である番犬二匹もつられて吠えているから、それは少し面白い。
俺は基本的に、誰かに直接怒りをぶつけるタイプではなかったはずなのだが、
14、15、16歳と年を重ねるごとに、父親に対する憤りが増していた。
「笑うなや、うるさいのぉ。」
「は?知らんし。俺の勝手だろうが。」
---バンっ!誰かに向けて銃弾を撃ち込むかのように、扉を閉めて自室に戻る。
もはや会話にもなっていない。食卓と呼べるのかも疑わしい。
味もしない。何を食べているのかもわからない。
ただ溜まっていくストレスのやり場を探すだけの時間を
なるべく記憶に残さないように、大好きな音楽でかき消す毎日だ。
思春期という脆い心を持った人間は自分に傷がついていることも
わからないまま、今日も眠りにつくのだ。
朝出発する時間は全員がバラバラだ。
自分で食パンを焼いてマーガリンを塗る。
この瞬間だけは食事をしてる気分になれていた。
程よい塩気がたまらない。
コーヒーから立ち上る蒸気を遮るように
まろやかな牛乳を注ぐ。ほのかに甘みを足して、
少しでも今日の活力へと期待して、
テレビの天気予報を横目に一日のピークを噛み締める。
父親はすでに出発しているから、いつも呑気にしてしまう。
「あんた。時間大丈夫なん?バス遅れるよ。」
期待とは裏腹に鈍い体をなんとか動かして、
親友二匹の頭を撫でてから、絶望へのルーティンを始める。
朝のバスは取り合いだ。
田舎の割に人口が多く、バスの本数と席数が割にあっていない。
始点から高校の最寄りまでは大体40分くらいかかっていたので
何としても座りたい。
そして田舎の割に人との距離感が遠い文化だったので、
二人がけの席でも一人でみんな占拠し使ってしまう。
何としても隣には人を座らせないスタイル。
都会でこんなことをしていたら苦情が来るんだろうな。
たまにそんなことを思いながら、周りに流され俺も戦場へと繰り出す。
勝率は9割くらいは誇っていた。
負けた時でもバスケ部の仲間がいれば、そこと共有する。
この40分が終われば、どうせ向かうは孤独という地獄なのに。

学校というのはなぜこんなにも憂鬱なのだろう。
なぜ授業というのはこんなにもつまらないのだろう。
退屈な時間はあまりにも長く感じる。
これを3年間続けるのか?何か変化を起こさないといけないのでは?
人見知りで内向的な俺が講じれる対策などたかが知れている。
学校が始まって1ヶ月がたった頃から俺の右腕の裾に
歪のかかった和音が響く白線を潜ませ、大好きな音楽に浸ることに決めた。
悪知恵というものは面白いくらいクリエイティブになる。
俺の持っていた電子辞書はSDカードを挿入できる。
さらにはどうやら取り込んだ画像を閲覧できるようだ。
ふむふむ。これはいい暇つぶしになりそうだ。
学びに来ているのだから、暇つぶしというのは真っ当な考え方ではないのだが。
創造主となった俺の邪神は、
電子漫画という人類の進化を享受した物語をインプットした。
誰も俺には気が付かない。
自分ですら教室内での存在感を感じられなくなっていた。
すがるものもなくただ午後からの部活のことだけを考え、
必死に死にそうな心を現世に引き止めていた。
部活は日によって活動場所が違う。
学校の体育館で行うことがメインなのだが、
同じ体育館を使う、バレー部、卓球部、バドミントン部があるから、
どうしても使えない日がある。
そんな時は市民のために作られた割と収容人数の大きいアリーナで
週一回、男女バスケ部共に練習を行っていた。
学校から少し離れた位置にあるアリーナまでの道のりは
なんだか高校生ぽい日常を過ごしている気になれた。
荷物を運びながら、仲間たちとふざけ合う。
途中にあるコンビニで軽食を買って、たわいのない会話が弾む。
家庭や教室内での俺は、全くの別人なんじゃないかと疑うくらい
この時間が楽しかった。---この時間だけが続けばいい。
高校生の体格は中学生の比ではない。
体力も違うし、プレーの正確性も違う。
さらには怖い。高いレベルでのパフォーマンスを求められる、
強豪校では半端な気持ちでは殺されてしまうと思うほどだった。
顧問も先輩も気迫が違う。
中には温度差を感じるメンバーもいたが、総じて本気だ。
1年生で入学したばかりの俺たちも、基礎練だけではなく、
本格的な実践メニューにしっかり参加して、
終わった頃には虫の息で、身体中が火照っていた。
実はバスケ部に入ろうかどうかは迷っていた。
他の仲間の誰よりも入部届けを遅く出した。
体力には自信がないし、試合にもまともに出たことがない。
技術も劣っていて、怪我もした経験から、バスケに対する自信は全くなかった。
しかし、心が独りだった俺は仲間に流されることを選んだ。
寂しさと練習の辛さを比較したら、後者を選んでしまった。
思いの外、息が出来ない。
なんだよ、この練習量は。なんでみんな平然としてるんだ。
体力だけではなく、精神力も落ちぶれていた。

市民アリーナでの練習の後は仲間たちと帰宅。
練習道具は学校が閉まっているため順番に1年生が
家まで持ち帰る。これが結構な負担なのだ。
いつもとは時間も場所も違い、近くの別の高校の生徒ともすれ違う。
バス停にたどり着き、夜風に当たりながらボーッとする。
疲れすぎた肉体は会話をするほどの体力が残っていなかった。
これ、慣れるのかなー。
そんな風に思いながら、満員になっているバスが来た。
どうやらこの時間帯のバスは俺にとって奇跡だったらしい。
その時は不都合に思えたが、何かが繋がる予感もした。
乗った瞬間に見覚えのある人が座っている。
彼女は俺には気が付かない。気付かれたくない。
メールのやりとりはしていたものの、もう会うことはないんじゃないかと
思っていた俺たちは、熱気の密集した箱の中でまた惹かれるのだ。
出来るだけ身を潜め、息を殺して終点まで辿り着いて、
動揺を隠すために、全速力で家まで自電車を走らせた。
疲れすら忘れるように、鼓動が早まり、
動揺なのか運動による生理現象なのかを曖昧にしながら、
気付いた時には帰宅が完了していた。
そんなに焦ることなのか?
自問自答しながら家に入っていくと
携帯のバイブが俺に知らせる。
「今日バス一緒だったね。」
おいおい。気付いていたのかよ。
俺たちの関係は付き合う前も、付き合っている時も、別れた後も、どれも同じだ。
顔を合わせても会話もない。
恋愛とはどういうものなのか。ググってみたくなるほど、虚しくなった。
いいこととは重なるものなのだな。
今週はどうも家族内喧嘩が発生しなかった。
それもそのはず、父親の帰宅が毎日遅かったため、
全員が揃うことはなかった。
あいつがいないだけでこんなにも平和なのか。
母親とは思春期の男子にしては話がよく合い、
まるで何事も起こっていない普通の家庭と錯覚してしまう。
親友二人も落ち着いて食卓に顔を出す。待て待て、餌は別であげるから。
そんな1週間が終わろうとしていた週末。
一通のメールが現実を紡ぎ始める。
「もう一度付き合ってくれませんか?」
は?どういうこと?これはよりを戻すということ?
考えている間に俺の手は動いていた。
疑問などどうでもいいと突き返すほど俺の本能は答えを出していた。
「いいよ。俺もまだ好きだったし。」
人生悪いことばかりじゃないのかもしれない。
こんな些細なことが、生活を華やかにするパレットになるとは思いもしなかった。

問題点は山ほどある。
そもそも最初に付き合った時には何もしていない。
会話もした記憶がないほどに心が通っていなかった。
このままでは復縁した意味がない。
肩書きだけの交際とあと数ミリしかない鉛筆では
後者の方が現実感を感じてしまう。
俺は意を決して急接近を試みようとする。
「来週の水曜日さ、また同じ場所、同じ時間にバス乗るから、
隣の席空けといてよ。話したい。」
こんなことにも心臓は破裂しそうだ。
内向的な奥手には、断崖絶壁からバンジーをした方が簡単だ。
人を誘うこと自体がない人生だったし、
メールを送ってみたものの携帯を壊しそうなほど手汗をかいていた。
「わかった。会えるの楽しみにしてるね。」
俺は楽しみかどうかも認識できてはいなかった。
それからの俺はどうやら雰囲気が違ったらしい。
彼女がいる自信?
それとも緊張しすぎて人見知りすることも忘れたのか。
孤立していたはずの教室内で、
なぜか話しかけられることが増えた。
「竹田くん、なんか雰囲気急に変わった?
いつも机に伏せてばっかりだったのに、なんかいいことあった?」
環境が拍車をかけて寿命を縮めてこようとする。
名前すら覚えていないクラスメートがやたら話しかけてくるのだ。
「いや、まあ。あったといえばあったかな。」
「何そのどっちつかずの反応。」
だってどっちつかずだもの。俺も自分の現状を理解していない。
急に彼女と復縁する。クラスメートに話しかけられる。
軽いパニックだ。
「というか、竹田くんて彼女いるの?」
は?なに?透視できるの?
「こんな感じでいると思う?」
当たり障りのない棒読みで返答するものの、
感情がこぼれ落ちそうなほど動揺していた。
「以外にいそうかなと思って。いないんならいいや。話せてよかったよ。」
俗にいう他愛のない話は俺にとっての高校デビューだった。
明らかに日常が変わり始めた俺の日常は
家庭内にまで影響していたらしい。
喧嘩のない日がさらに1週間延長されていた。
父親が早く帰ってきた日も楽しい食卓とは言えないまでも、
何も起こらない異常な空間が出来上がっていた。
ただしその状況に俺は無関心だった。
次の水曜日までに何を話すかを考える方が先決だ。
親友二匹がご飯をせがんで手を舐めてこようが
俺の体温が下がることはなかった。
クラスメートから話しかけられる割合は増え、
人見知り特有の、自分の趣味を話し始めると止まらない性質が本領を発揮する。
「へえ!ロックが好きなんだ!RADとか超いいよね!」
「ああ、おしゃかしゃまね。めちゃくちゃかっこいいよね。」
斬新なロックとして大流行中のRADWIMPSなどの話で盛り上がった。
なんだ。俺って話せるじゃんか。
当初抱いていた地獄への未来予想図は杞憂に終わるのかな。
そんな淡い期待も抱きながら、水曜日当日を迎える。

今日は間違いなくそわそわしている。
多分周りも感じ取っている。
人見知りのくせして、周りの目を機にする性格だったから
明らかに挙動不審の状態でアリーナでの練習に向かっていた。
「今日様子変じゃない?」
「…」
なぜ黙っている。そう俺に言いたい。
実を言うとバスケ部の仲間には中学の時さえ
彼女のことを話したことがなかった。
「彼女でもできたん?」
なぜ分かる。こいつはサイキックか。
「え?なんでそう思うん?」
「否定はしないんだね。」
良くも悪くも隠し事は苦手だ。
苦手というか挙動に出るからバレバレなのだ。
だいたい高校生にもなって彼女なんて普通のことだ。
「実は彼女できたんだ。というか一回別れてたけど、より戻した。」
「なにそれ聞いてねぇぞ!ヒューヒュー!」
「へぇー。そうなんだ。よかったね。」
「これは先輩にも報告だわ。誰なん?」
なぜか一人異常に冷静だったが、気のせいか。
俺が超奥手だったことを知っている中学からの仲間含め、
バスケ部全体でいじりが始まった。青春って切ない。
先輩とはあまり話したことがなかったのだが、
こんなことをきっかけにコミュニケーションが生まれるなんて。
「どんな子?写メ見せろ。」
「お前に彼女できんのかよ、ふざけんな。」
「どこの女の子だよ。うちの学校か?」
「いえ、I高の同級生です。」
「他校の女子と付き合うなんて、意外とませてんだな。」
田舎の高校生からしたら恋愛というのは一大イベントだ。
後輩いじりにももってこいで、不本意な形で話に花が咲いた。
どんなに楽しい時間でも練習が始まれば別だ。
過酷なトレーニングが待っている。
しかし、気持ちが違うからか、別のことへ思考が言っているからか、
いつもより体は軽かった。---シュートはいつもより外れたのだが。
メニューの待機時間や休憩中には容赦ない、いじり責めが入る。
明らかにみんながにやけているのがわかる。
先輩の中には彼女がいる人も数人はいたのだが、そんなに盛り上がることなのか。
全員との距離が完全に縮まった頃に練習は終わった。
「I高なら、バスで会うんじゃねぇの?」
図星すぎる。この人たちはサイキックなのか。
「実は今日、会う約束をしてるんです。多分時間が被っているので。」
「お前、じゃあしっかり汗拭いて良い匂いさせとかないと嫌われるぞ。」
ああ、この人たち根は優しい人たちなのかもしれない。
一つのきっかけが、今まで見えてこなかった真実に近づけてくれたことに
感謝しながら、制汗剤をふんだんにかけまくった。
何を話そうか。学校のこととか聞いた方がいいのかな。
いや、それはメールで聞いてるし。付き合うってなんなんだろうか。
頭がパンクしそうになりながら、
いよいよ俺の情けない戦いが幕開けようとしていた。

バス停までの俺の注意力は全てが彼女に注がれていた。
仲間からのいじりは帰りながらも続くわけだが、
軽くあしらえる程、思考が傾いていた。
大丈夫かな。汗臭くないかな。ちゃんと話せるかな。
奥手の代名詞とも呼べる、ある意味クリエイティブなネガティブは
バスのくる合図とともに終焉を迎えるはずだった。
目の前には友達と一緒に彼女がいた。その友達は見覚えがある同級生。
明らかに陣取ってくれている。ニヤニヤするな。
他校の生徒が溢れかえるほどいる中、
隣どうぞと言わんばかりにスッと立ちに転じてくれる。
持つべきものは友なのか。
人生でそんな青臭いことを考える機会はそんなにない。
隣の席は空いている。隣のやつらは笑っている。
俺は沢山シミュレーションしたはずの言葉を
どこかに捨ててきたかのようになんの言葉も発せなくなった。
---嘘だろ、おい。こんなに考えてたのに何も出ないのかよ。
---というか君も何か言ってくれ。なぜ俯く。
自分から会おうと誘った情けない男と
よりを戻そうと言ったウブな彼女は
物の見事に終点まで会話をすることなく時間を持て余すのだ。
実を言うと一度、他の仲間たちの様子を伺った。ニヤついている。
人生で一番長い1時間弱だったかもしれない。
どんな緊張よりも深く息ができなかった。
お互いにバスから降り、本当に言葉を交わさぬままに
悔しさと不甲斐なさを噛み締めながら、自転車を全力で漕いで帰った。
内向的な人間には優れた特性がある。
メールの文章は饒舌なことだ。きっと理解者はいるはずだ。
「ごめん。緊張しすぎて何も話せなかった。悔しい!」
「私もだよ…何を言っていいかわからなかった。ごめんね。
君が謝ることではない。誘ったのは俺だ。
どうにか挽回しないと確実に分かれる。
悟りというものはこんな偶発的に訪れるものなのかと自分を疑った。
「えっと…そのお詫びになんだけど、今度どっちかの家で勉強会しない?」
もし俺がもう一人いたら、一発拳を入れてやりたいところだった。
まともに会話をしたことがないカップルが選ぶ手段ではない。
「いいよ。誰もいない方が話せるかもしれないし。」
俺の心配は杞憂に終わった。あっさりと歓迎する彼女のことがわからない。
「そうだね。じゃあ次の週末はどうかな?」
「日曜日なら部活が休みだよ。じゃあ、午後からで。楽しみ。」
俺の家に来ることも決め、段取りだけはいつも簡単に済むのだ。
これが功を奏すとはこの時は全くもって思わなかった。

んな風に自分の思考癖を揶揄しながら、
彼女が家へ来るシミュレーションをしていた。
今週は後悔と準備に費やした1週間だった。準備というか妄想だが。
バスの中で黙り続けるという失態を見届けた中学からの友人たちは
俺をいじることに徹底的に注力していた。
「付き合っててあれはないだろ!おもろすぎ。」
「二人とも喋んないってどこの小学生カップルだよ。」
めちゃくちゃに笑ってきやがる。
しかし反論するすべもなく、
ただただ恥ずかしい思いに打ちひしがれるだけだった。
もう同じ轍は踏まない。しかしどうも未来予想図とは違い
あまり良い妄想ができなくなっていた。
別れていた期間も含めて2ヶ月ほどでほとんど言葉を交わしていないこの現実。
巡る妄想が歯止めが効かなくなる寸前に彼女からメールが来た。
意を決して過去から勇気ある逃避をしよう。
覚悟を決めて、彼女を迎えに行くことにした。
待ち合わせ場所は俺の母校の小学校前。家からは徒歩10分ほどの距離。
心臓は張り裂けそうだった。普通の人なら告白するときになるあれだ。
10年間通学路として使っている場所なのに新鮮な気持ちだ。
少し早めに到着して数分ほどしてから彼女は現れた。
「やあ。久しぶり?」
いきなりミスったか?そんな不安は意外と消え去る。
「そんなに久しぶりでもないでしょ?あ、話すのは久しぶりかな」
「そうだな。俺ら全然話してなかったしね。」
クスッと息を合わせたかのように緊張の糸が解けた。
「ほんとおかしいよね。付き合ってるのに話したことないって逆にレアだよ。」
「ほんとだよ。今すごい新鮮な気持ちで話せてる。」
なんてことはなかった。
コミュニケーションというのは話してしまえば勝手に弾んでくるようだ。
バスケットボールを持ったままだと弾んでくれることはない。
しかし、パスを出せば誰かがとってくれるし、
シュートを打てば仮に外したとしても、誰かが拾ってくれる。
そんな単純なことなのだ。何も難しいことはない。それにやっと気がついた二人。
俺の家までの10分間、これまでの暗闇が嘘かのように今日の太陽は眩しかった。
「あら、いらっしゃい。あんたが女の子連れてくるのなんて初めてじゃない?」
そうなのだ。今日は両親がいる日だった。
呼ぶことを伝えたら、なぜか出かける予定をキャンセルしたのだ。
最近は喧嘩も少なかったとはいえ、喧嘩の絶えない家族だというのが
俺自身でさえ感じられないほど、穏やかな表情で両親はリビングにいた。
正直言って、いて欲しくなかったが、こればっかりは仕方がない。
普通は誰もいない日に呼んだりするのだろうが、日程もこの日しかなかった。
俺の家族は表面上は仲が良く見えるらしい。
俺以外は外面がめちゃくちゃ良い。特に父親は。
「ゆっくりしていきなさい。変なことするんじゃないぞ。」
余計なお世話だ。会話する気にもなれない相手を軽く無視し、
普段とは違う笑みを浮かべているクソ親父に対するストレスは忘れよう。
彼女を俺の部屋に誘って、二人で勉強会を開始した。
どうなんだろう。世の中の高校生はどういう風に過ごすんだろう。
変にウブなカップルの家デートはなんと本当に勉強会になった。
けれど、なんだろう。この落ち着いた空間は。
話に花が咲く。お互いの学校のこと。最近あった出来事。
別れていた間の彼女の話も聞いた。
「本当は別れたくなかったの。けど、学校も違うし、付き合ったままだと
私が耐えられない気がしてた。けど反対だったね。別れた方が辛かった。」
「そっか。君のことを何もわかってあげられなかった。
会話してなかったから意思の疎通しようがなかったけど。」
和やかな笑いが風に乗って窓の外で踊っている。
何気ない日常。何気ない優しさ。久しぶりに心が軽くなっていた。

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