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ずっと心に生き続けるわたしだけの金木犀

「ただいま」

金木犀の花が香るたびに、そう言いたくなる。

あの甘くてやさしい香りがすると、一日を終えて家に着いた時にホッとするような、あたたかい安心感に包まれるのだ。

その感覚はとても心地よくて、無性に懐かしい気持ちになる。けれど、どうしてそんな風に感じるのかわからなくて、ずっと不思議に思っていた。

この秋、久しぶりに亡き祖父母の家を訪ねた。
もう誰も住んでいないその家を賃貸に出すことになったので、今のうちにもう一度見ておきたかったのだ。

そこはわたしが12歳まで暮らした家でもあり、引っ越してからも毎日のように曾祖母や祖父母に会いに行った実家同然の場所だ。

曾祖父の代に建てられた古い家だけど、年々移住者が増えている故郷ではリノベーションが可能であれば十分需要があるそうだ。確かに、入居者はまだ決まっていないものの、既に県外から数組の家族が見学に来てくれた。

それでも、もし借りてくれる人が見つからなかった時は、家も庭も全て取り壊すと両親は言っていた。わたしは「借りてくれる人、早く見つかるといいねぇ」と言いながら、内心とても複雑だった。

本当は、その家を誰にも貸したくないと思っていたからだ。よその人が住むくらいなら、取り壊してほしいとさえ思う自分がいたのだ。

裏の勝手口を開け家の中に入った瞬間、懐かしい匂いに包まれた。それが嬉しくて、何度も何度も深呼吸をした。そして、もう当分ここには来られないかもしれないと思い、家の中を隈なく見て回ることにした。

既に多くの物が処分されて片付いていたけれど、まだ所々にわたしたち家族が暮らした気配が残っていた。曾祖母の箪笥、土間の壁に掛けられた祖父の帽子、壁に貼られた祖母のメモ、それにわたしたち姉妹の自由帳まで見つかった。そして毎晩家族みんなで食卓を囲んだ台所には、当時使っていた食器がまだたくさん置いてあった。

全部無くなってしまうんやなぁ。

この家で過ごした想い出も全部消えてしまいそうな気がして、言葉にならない寂しさが心に広がった。

別の部屋には、祖母のアルバムがまとめられてあった。その中には、若い頃から晩年までの祖父母の写真や、この家と曾祖父母の写真、わたしたち孫の写真がたくさん詰まっていた。それはまるで、この家と家族の歴史、祖父母の一生をダイジェストして綴られた本のようだった。

そんなアルバムを見てわたしは、時の流れの儚さ、ひとつの時代が終わる虚しさを感じずにはいられなかった。形あるものは常に変わり移ろい、いずれ無くなっていくことを改めて思い知った。

人だって、物だって、ずっと同じではいられない。この家だって、ずっとこのままではいられないんだ。

そう頭ではわかっているつもりなんだけど、ここを貸すということは、よその人の手が加えられるということだ。それはつまり、曾祖父母と祖父母が築き守り続けてきたこの家から、わたしたち家族の想い出や歴史が消えてしまうことだと、そう思えてしかたないのだ。

そうなれば、ここはもはや祖父母の家ではない。ただのよその人の家になってしまう。そんな風に変わっていくこの家を見るくらいなら、この家の終焉を見届ける方がマシだと思うのだ。

ここは最後まで、わたしたち家族だけの家であってほしかった。この家を受け継げないことが悔しくて、この家が変わってしまうことが悲しい。
そんなやるせない気持ちに蓋をするようにアルバムを閉じ、わたしは庭に出ることにした。

玄関の扉を開け外に出ると、庭は草木が伸びて荒れた状態になっていた。
ふと、足元に小さなオレンジ色の花が落ちていることに気付いた。ハッとして見上げた途端、泣きそうになった。

大きな金木犀の木の下で、洗濯物を取り込む曾祖母が、掃き掃除をしている祖母が、椅子に腰掛けてタバコを吸っている祖父が、ランドセルを背負ったわたしにこう言う。

「やよい、おかえり」

胸の奥から込み上がってくる熱い感情を抑えきれず、目の前に広がったかつての光景は涙でぼやけた。

あぁ、そうや、これや。

この香りに安心するのも、懐かしさを感じるのも、そんな毎日があったからだ。わたしの心や感覚は、そのあたたかさをちゃんと覚えていたんだ。満開の金木犀が放つ甘くてやさしい香りに包まれて、涙がこぼれた。

しばらく、その場から金木犀を眺めた。方々に伸びた枝のせいで不格好に膨らんでいるけれど、主のいなくなったこの場所に灯りをともすかのように咲き誇っていた。そんな健気な姿を見て思った。

時は流れて、色んなことが変わったけれど、あんたは変わらずここで咲いてたんやね。

取り壊した方がいいと思っていたことを申し訳なく感じた。そして、残っていてほしいという想いが、じわじわと湧いてきた。

わたしたち家族にとって大切なこの場所が、また誰かにとっての大切な場所になれば、それでいいかなと。大切な場所だからこそ、残って、また誰かの心をあたためる場所になってほしい。そう素直に思えた。

正直まだ、貸すことに悔しさや寂しさも残っている。でもきっと誰かに住んでもらった方が、この家も、金木犀も、曾祖父たちも喜んでくれるだろう。

そしてわたしは、流れ続ける時のなかで、変わり移ろうことを受け容れる強さを持たなければならないと、自分自身に言い聞かせた。

大丈夫。

どれだけ時が流れて、色んなことが変わったり無くなったりしても、想い出は絶対に無くならない。

わたしのなかで生き続ける。

来年も再来年も、ずっと先も、金木犀の花が香るたびに言うんだ。
「ただいま」と。


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