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私たちはいつも間に合わないのか

こんばんは。いたばしです。
寒くなってきましたね、!
ベッドから離れられない怠惰な日々を送っていますが、
頑張っていきます。
今週のテーマは『後悔』。

「赤い公園」と後悔


私がこれまで読んだ記事の中で、どうしても忘れられない一本があります。
それはRockin’on.comの『音楽文』に寄稿されていたエッセイ
「僕たちはいつだって間に合わないのかもしれない」

故津野米咲さんの死後、赤い公園の音楽に出会った少年の心情が、痛切に描かれています。
若さゆえに溢れる素直で青々とした言葉の連なりが、私の心を大きく乱し、揺さぶりました。

この筆者と同じように、私も星野源ANNで流れた『KOIKI』で赤い公園の曲を知りました。
鮮烈なサウンドと透き通ったボーカルの声
バンドの名前は知っていたし、サブスクがある今、聞く機会はたくさんあったのに。
なぜこれまで聞いてこなかったのか。
「間に合わなかった」そう思いました。

「間に合わなかった」後悔

これまでにも「間に合わなかった」と後悔した記憶があります。
私には、小さい頃から一緒に住んでいた祖父がいました。
80歳を超えても毎日元気に事務所に行き、仕事をし続ける
いわゆる仕事人間でした。
同僚はもちろん、あらゆる行きかう人に声をかけるような、明るさと社交性を持っていた祖父。
平日はよく作業現場に連れて行ってくれて、
休日はたばこのにおいが充満したふとんに一緒に入り、よく『笑点』を見たり、
公園で一緒にサッカーをしたりしていました。
父がいない私にとって、本当の意味での父のような存在でした。

そんな祖父が、私が小3の頃に癌になりました。
それでも祖父は仕事をしていたし、
朝5時に起きてはホームレスに声をかけていました。
ただ、一度目の手術が失敗に終わった後からでしょうか
空気が微妙に変わりました。
相変わらず祖父はガハガハと笑っていましたが、
やはり何か変わったのです。

それから、お見舞いへ行くのが怖くなりました。
病院から電話があってから向かう夜道が怖かったし、
病室へ伸びる廊下は、延々と続くのではないかと錯覚するような恐怖がありました。
顔を出すとすぐに「早く帰れ」と言った祖父は、
そんな私の感情に気づいていたのかも知れません。

そんな日々が過ぎていき、気づけば2年が経過しました。
毎日怒られるほど食べていたお菓子も手をつけられなくなり、
快活な話し声も聞こえなくなっていました。

そしてある日、患者の家族用に用意されていたベッドで寝ていると、
「おじいちゃんが呼んでいるから来てほしい」
と声をかけられました。
嫌な予感がしました。
祖父が私の知らない終わりへ向かっているのだと、何となく察しました。
とてつもなく怖くなって、寝ているふりをしました。
「起きなきゃ、待っている」
そう思えば思うほど、体が動かなかった。
起きた時にはもう、祖父は亡くなっていました。

あの日の朝を何度も何度も思い出します。
何ですぐに起きて顔を見せなかったのか。
ドラマで見る最期みたいに、手を握ってあげなかったのか。
泣くことなんてできなかった。
「私は間に合わなかったのではなくて、間に合わせなかったんだ」
「なんで祖父が死んで薄情な私が生きているのだろう」

そう本気で後悔する夜もありました。

未来は過去を変える

それから5年ほど経った頃、小説『マチネの終わり』に出てくる一節と出会います。
「未来は過去を変える」
過去は変えられないし、戻ってこない。
でも、私がこれから作っていく未来で、過去の在り方が大きく変わるんじゃないか。
目から鱗でした。
ずっと下を向き、ネガティブのままでは過去はただの負の遺産になってしまう。
でも、過去を受け止め、今を力強く生きることができれば、
私の間に合わなかった過去は無駄にならない。
後悔を無駄にしないことが、一種償いにもなるのかもしれません。

私たちは間に合うことができる

冒頭で取り上げたエッセイの筆者は、このように締めています。

「僕は間に合わなかった。
そうだ、僕たちはいつだって間に合わないのかもしれない。
それでも僕たちは愛し続けることができる。
間に合わなかったとしても、愛することは自由だ。
僕たちは、やっぱり間に合っているのかもしれない。」

私はきっとこれからも、あの日の早朝の病室を思い出して後悔するでしょう。
「間に合わなかった」過去を背負い、苦しみ、もがいて生きている人が、
きっとたくさんいるでしょう。
でも、私たちには未来がある。
間に合わなかった私たちだからこそ、
これから先、間に合うことができるのだと思います。

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