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サン・マロ日記 ② : バカンス列車の悲劇

旅の移動には日本の新幹線にあたる、高速鉄道のTGVを利用した。
電車に乗るのはいつだって旅の楽しみだ。フランスでTGVや地方の在来線を運行する国鉄のSNCFは、大規模ストやダイヤの乱れなど、一糸乱れぬような日本の鉄道事情とは異なり評判が悪い。私は幸運なことに大きな災難に見舞われたことがないためか、SNCFでの旅を気に入っている。

まず、列車のレイアウトが楽しい。TGVは二列・三列がけの席が延々と伸びる新幹線と違い、二列ずつに並んだ席の他、コンパートメント席、二階建て車両やバー車両、荷物を置くためのスペースなど、バリエーションがある。在来線も地方によって様々で、数人がけの長椅子だけでなく、同じ車内に段差があって半個室やコンパートメント席になっていたり、自転車置き場があったりと、デザインや空間の使い方に遊びや自由さが見られ、いつもどの席へつこうか目移りしてしまう。

またTGVはインターネットでチケットを購入できる。
仕組みは飛行機のチケット予約に似ていて、約半年前から販売が始まり、早い段階では路線にもよるが、相場の一割から三割の価格でスタートするものもある。また曜日や時間帯でも値段が異なり、色々と比較するのも醍醐味の一つ。

今回も事前に全ての列車を予約しておいたが、フランス出発前に購入先から一通のメールが。サン・マロ発パリ行きの列車が車両編成を変更した関係で、座席指定を取り直さないといけない、というような内容だった。
サン・マロに着いたその足で、駅の窓口に行って調べてもらうと、「あなたの席はこのままで大丈夫ですよ」とのことだった。一泊の滞在を終えた後、そのまま予約された列車の車両を目指して長いプラットフォームを進んでいった。

その日はちょうど土曜日で、空もすっきり晴渡った気持ちのよい夏日。本格的なバカンスシーズンはまだ先とはいえ、大きな荷物を持った人々がにこにこ顔で列車から降り立ってくる。これから各地へ向けて発とうする人の姿も多く見られた。私の席は二階建て車両の窓側で、ルンルンと車両に乗り込んだ。

始発駅のサン・マロを出発した列車はパリへ向かってゆっくりと走りだした。始め、座席はそこそこ空いていたが、途中の駅で停車するごと埋まっていった。そして次第に乗り込んできた乗客が「ここ僕の席ですよ」と既に席についていた誰かに声をかけ、相手は荷物をまとめてあわてて別の車両へ移っていく、という光景が目につき始めた。一時間ほど走ると車両内は満席になった。

TGVは原則全席指定のはずだが、それでも停車駅ごとに多くの乗客が車両に入り込んできた。驚いたのがその時々の人々のやりとり。席を元の予約主に空け渡すために去っていく人もいれば、もとの予約主が「気にしなくていいよ。僕は別のところを探すから、あなたはそこにいてください」とあっさり通りすぎていくこともある。その際、席を譲ってもらった人の反応も様々で、「もし席が見つからなかったから遠慮なく戻ってきてください」という妥当なものから「ありがと!」と一言、当然のように言い放った若い女の図太い返しまで。
席のない人が平然として座っていることにも、あるべきはずの席が他人にとられていても全くイライラしていないことにも驚きだ。

そのうち車内にアナウンスが流れ始めた。
夏に向け車両への冷房取り付け工事をしているが、おいついておらず少ない車両での運行となった、という旨のものであった。もともと工事が遅いのか、本来なら涼しい六月に早くも猛暑日が襲ってきて、全国的にもたついているのか、あるいは両方かもしれない。
しばらくして、トイレへ行こうと車両の外に出るとぎょっとした。

廊下には、足の踏み場もないくらい多くの人が座り込んでいる。一階へ降りる階段にも。そしておそらく下階の廊下でも。おまけに廊下には冷房が入っておらず、窓も開かず、蒸し風呂状態。暑さに慣れない人々は完全にへばっている。車掌もこれはまずいと判断したのか、反対側の戸口から、ペットボトルの水を一人に一本ずつ、リレー形式で手渡している。

始発から乗っていてよかった。
自分の席があってよかった。
心からそう思った。

今回のことは鉄道会社の不手際なのに、なぜ誰も文句を言わないのだろう?
暑いし、長旅だから、誰だってゆっくり座りたいはずなのに、あっさり自分の席を他人に譲ることができるのは何でだろう?
みんな暑さと混んだ車内のためにで弱っていたけれど、車内にイライラした空気が充満していないことが不思議でならなかった。
多くの人を詰め込んだ重みか、それともこれが従来のスピードなのか、ガタンゴトン、列車は田舎の平野を、そこに点在する村や町をゆっくりと通過していった。

夕方パリにつき、事のあらましを友人に話したところ、近年こういったトラブルが多発しているという。今回は車両編成の変更が分かっており事前に通知があったが、キャンセルを事前に見越して実際の席数よりも多くの切符を販売する傾向が強まっているらしい。少しでも乗車率を上げて利益を出そうというのは航空会社も同じで、空港に行ったら予約した飛行機に乗れない…ということも決してあり得ないことではないそうだ。その際、大して悪びれもせず別のフライトを案内されるそうで、係のしれっとした様子が目に浮かんでくる。旅程がタイトな海外でそれに当たってしまうなんて、想像しただけでも目の前が真っ暗になる。

私はあまりバカンス真っ最中にバカンス地へ移動したことがないのだけれど、フランスでバカンス時期の移動といえば日本の帰省ラッシュみたいなもの。もみくちゃの片鱗は見たことがある。彼らのなかにはトラブルや混雑に対する免疫がそこそこ出来上がっているのだろうか?

楽しい季節の移動に、混乱と疲労はつきものなのかもしれない。

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