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全ては自分がつくっている。とは思えない時

スピリチュアルにおいてはよく「全ては自分がつくっている」といわれますが。これ「納得いかない」と感じることも多いんですよね。

「納得いかない」という場合はどのようなことが起きているかといいますと。自分と他人との境界線が曖昧になっている場合が多いんです。

まぁ本来の「全ては自分がつくっている」という意味は最終的に自分と他人の境界線を呑み込む(違いを違いのまま含み無効化していく)次元を目指しているのですが。そのためにはまず、自分と他人の違いを認識する必要があるのです。

自分と他人の境界線がハッキリしていない場合スタート地点で責任の所在が曖昧になり。納得がいかない場合が多いため。どうもスッキリしないわけです。

自分と他人の境界線がハッキリしていないときに起きやすいことは、他人が自分の方にはみ出すか。自分が他人の方にはみ出すか。という2種類です。この2つは正反対のことではありますが、案外混同されていることも多いです。

「全ては自分です」といわれた時。

他人から何かを押し付けられている(と感じていれば)そんなことまで自分のせいだなんて!と思いますし。自分から他人の何かを背負っている(と感じていれば)そもそも自分のことがおろそかになりやすいです。

「全ては自分です」というのは、自分は自分、他人は他人という認識がある中で。自分と他人の違いを違いのままに同じ宇宙の人間として統合していくための初めの一歩です。

そのためには自分が自分以外をどのようにみているのか?ということが非常に重要です。様々な問題は自分の感じ方からきているのか?それともそもそも「その問題」は自分の問題ではないのか?

「全ては自分がつくっている」ということに抵抗があるときは、まず自分と他人の境界線について。しっかりと認識するところからスタートすることをオススメします。

いつも ありがとうございます!(╹◡╹)

monika


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