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曲の「キー」を変えたい人 vs. 変えたくない人【もにコラム moni-column】#6

ぐっもニカ〜🎹 MONICA MUSIC FACTORYです。

不定期連載「もにコラム moni-column」では、MONICA MUSIC FACTORYのアレンジ楽譜や、鍵盤ハーモニカにまつわるテーマを設定し、皆さんにより深く音楽を楽しんでもらえるようなコンテンツをお届けします!


今回は、(多分)現在販売しているアレンジ楽譜にまつわるテーマでお送りします。

↓ アレンジ楽譜の販売の詳細はこちらから。


「キー」を変えたい人 vs. 変えたくない人

 友達とカラオケに行った時のお話。

 デュエット曲を一緒に歌う流れになって、歌おうとしたんです。
 ところが、よく知っている曲のはずなのに、全然歌えない。
 友達がいつの間にか「キー」を変えていたんですよ。いつも私が聴いて、歌っているものと全然違うキーだったんですよね。

 ちなみに私がいつも歌っていたのは、「原曲キー」そのままでした。

 私「これ、(キーが)原曲と違うよね?」
 友達「でも(私は)いつもこれで歌ってるよ?」
 私「これじゃあ歌えないんだけど……」
 友達「え? 別にどのキーでも歌えるんじゃない?」 ←ポイント・その1
 私「いや、歌えないよ! (キー変えても)歌えるなら〇〇ちゃんが変えてよ」
 友達「え〜、でも(原曲キーだと)音が高すぎるんだもん……」 ←ポイント・その2

 さて。
 以上の会話に、「キー」を変えるという行いについて、ふたつ重要なポイントが含まれています。


ポイント・その1:「別にどのキーでも歌えるんじゃない?」

 キーをいくら変えても歌える人は、それはおそらく、「移動ド」という音程(ピッチ)判別能力を習得している人です。

 音程と音程の「幅」、つまり次の音がどのくらい上まで(下まで)跳躍するか、その感覚を覚えて歌っています。
 音程の幅さえわかれば歌えるわけなので、「歌い出し」の音程のポジションさえわかっていれば、残りのフレーズはどうとでもなります。

 多分、「移動ド」の人にとって重要なのはコッチ。

スクリーンショット 2021-03-09 15.46.54

 逆に、キーが変わると途端に歌えなくなる人は、おそらく「固定ド」という音程判別能力を習得している人です。

 音程同士の「幅」にはそれほどこだわりがありません。その代わり、音を発するその「瞬間」ごとの音程には異常に強い執着心があります。
 そのため、「歌い出し」の音程がどこからスタートしても歌える、なんてことはほぼありません。絶対に自分で覚えた「その音」でないと困ってしまうんです。

 多分、「固定ド」の人にとって重要なのはコッチ。

スクリーンショット 2021-03-09 15.46.54のコピー

 カラオケでは、こういう「音程バー」を表示させることができますが、「鍵盤(キーボード)」は表示できないんですよね。「固定ド」の人は音程バーだけじゃあ歌えないんですよ。
 つまり、カラオケというシステムは、おそらく「移動ド」の人の方が適正があります。


 音程判別能力……つまり、音程をどのように聴き取るか、その方法が人によって違うということですね。
 (ちなみに、「音程の幅」も「一音あたりの音程」も上手に判別できない人が、俗に言う「音痴」に該当する人です。

 ……あ、なんか、このnote記事を書いてたら、大学のソルフェージュの授業で「移動ド講座」とかやっていたのを思い出した……。
 音感って、なんとなくて習得してしまったあとに、あとから理論的に説明するのは非常に難しい。私もソルフェージュって、ヤマハのグループレッスンで大概のことは覚えてしまったからなあ。

 「固定ド」と「移動ド」が双方向に分かり合える日は、いつ訪れるのでしょうか。


ポイント・その2:「(原曲のキーだと)音が高すぎるんだもん……」

 これはつまり、歌う人の声・声帯にとって、その原曲のキーが適しているかどうかという問題です。

 もともと声が高い子が、無理矢理低い音を出そうとするのも見ていて辛いし、その逆もまた然り。
 オペラを歌うようなクラシックの歌手たちだって、それぞれの適正に合わせた、非常に細かい「音域のカテゴライズ」がなされているわけですから、「あ〜この音は私には高すぎ!(低すぎ!)」という音は無理に出さないほうが、結果的に良い歌声を人に聞かせることができるでしょう。

 今思えば、当時の友達の言っていることはごもっともだったと思います。

 ……「今思えば」? 当時は思っていなかったのか?

 全然思っていませんでした。だって私、「原曲キー」こそ絶対正義だと信じていたもの。

 2010年代はボーカロイドおよび「ボカロ曲」の流行に伴い、本来は機械に歌わせることを前提にしたはずの「(超)高音」を人間が意地でも歌い上げる、いわゆる「高音厨」と呼ばれる歌い手も非常に多く出現しました。
 大変恥ずかしながら、私もそんな「高音厨」に憧れを抱いていた時期がありまして、当時は「何がなんでも(原曲の)キーは変えねえ!」という謎のスタンスを持ってボカロ曲とか歌っていたんですよね。
 その高音が、果たして自分の声帯に適していたかどうかはまったく別問題です。

 ただ、一部のポピュラー音楽界隈では、ずっと「高音厨」の音域だったはずの高音がもはや当たり前になってきた、「"声"という楽器」の音域の変容を感じる昨今でもあります。
 ……恐ろしい世の中になったもんだぜ。ねえ、「元祖・高音厨」のぐるたみんさん?(まあ流石に「8オクターブ上で"B#"」は出さねーか。)


鍵盤ハーモニカに「キー(調)」問題はあるのか

 ……あれ?
 今回のコラムって、「アレンジ楽譜」にまつわるテーマなんでしたっけ?

 先日販売された、ドヴォルザーク作曲《ユーモレスク》は、「キー(調)」を変更してアレンジしております。

 本来はGbメジャーの曲ですが、Gbメジャーってフラット記号が「5つ」あるんですよね。
 それをたった1音上げて、Gメジャーに変更するだけで、フラット記号「5つ」の楽譜から、一気にシャープ記号「1つ」へと様変わりしてしまいます。

 カラオケで歌うときとは違って、楽譜は直接「目」で見るものです。
 それも鍵盤の、「白鍵」と「黒鍵」を押さえて演奏しなきゃいけない。

 4つも5つもフラット記号(あるいはシャープ記号)が付いている楽譜を見ただけでゲンナリする人もいれば、フラット記号が増えれば増えるほど愉悦を覚える人もいる。(変態扱い……?)
 わかりますよ、どちらのお気持ちも非常にわかりますとも。

 ですが今回は、楽譜を「見やすく」する方向性で決着しました。許せ、中学生の頃の私。

 まあ《ユーモレスク》は調を変えても、私は(「固定ド」側から聴いても)それほど違和感なかったです。皆さんはいかがですか?
 ピアノソナタとかはね……「〇〇番『嬰ハ短調』」ってがっつり調が書いてあるからね……。

 鍵ハモ愛好家の皆さん、《ユーモレスク》を演奏する際は是非、MONICA MUSIC FACTORYの「Gメジャー」のアレンジ楽譜をお試しあれ。


 ……え? 楽器学? 移調楽器?? 鍵盤ハーモニカの内部構造???
 そ、そんな「作曲」の域を超えた話はまたの機会にしませんか。(小声)
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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それでは、またお会いしましょう! ぐっばいニカ〜🎹

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