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柔道モンゴル代表チーム帯同 #2(🇩🇪グランドスラム・デュッセルドルフ編)

2020年2月、パリ遠征の続きのお話。


ドイツの田舎町

フランス・パリでの大会を終えて、バスでまずはベルギーへ行き、乗り換えてドイツのデュイスブルクへ。

車内はトイレがついているものの、欧米人独特の体臭に襲われ、なかなかキツかったです。バスに乗っているだけでも合計9時間かかり、深夜の2時に宿泊先に到着。普通のアパートの一室。ホコリだらけだし、ベッドは人数分ないし、長期間はキツイなぁという感じでした。

10人相部屋。

インターバル期間

幸いなことに、そこは一泊のみ。翌日、近くのケバブ屋で選手たちと食事をして、オーバーハウゼンに移動。

ここで泊まったホテルの写真は一つも撮っておらず、名前もわかりません。4人1部屋で、プライベートな時間が確保されていないことだけは覚えております。

ホテル裏の駐車場に毎日いた猫がとても可愛かった。

次の大会までは10日ほど。その期間は1日まるまるオフであったり、朝か夜に少し練習する程度。つい先日、パリの超過密スケジュールとは打って変わって、おかげで自分もしっかり休むことができました。

どこかのクラブチームと合同練習。

モンゴル人あるあるなのですが、計画が全く立てられておらず、いつ練習があるのか全く不明。コーチに聞いても「まだわからない」「場所が取れていない」との返答ばかり。ずっと部屋にいても暇だし勿体ない気がしたので、周辺を一人でぶらぶらしておりました。

なんでもない路地がおしゃれで感激。
憧れのテラスでコーヒー。雰囲気が最高。
見知らぬ土地であてもなくぶらぶらするのは、なんとも面白い。

物価は安く、閑静な住宅街かつどの建物も全てが美術品のように見え、とても住みたくなる街でした。

なお、ここの滞在中の食事はほぼ全て自分たちで調達。朝食はホテルで簡易的なものがありましたが、他は各自で。選手たちは自炊したり、レストランに行ったり。サッカーの代表チームでは、食事に関して必ずチームで用意されていたため、個人種目ならでは(?)の特色を感じました。

オーバーハウゼンで1週間くらいのんびりした時間を過ごし、大会が行われるデュッセルドルフへ電車で移動。

GSデュッセルドルフ

ホテル

利用したのはNikko Hotel。今回の長期遠征では、やっとまともなホテル。

ホテルのHPより引用(https://www.hotelnikkodusseldorf.de/rooms/superior-zimmer/)

とは言え、予算不足か予約し忘れか、一部の選手は部屋がなくて別のホテルへ。さすがモンゴル。

大会会場

ISS Dome

試合場はどこも同じ感じ
試合前のアップ
会場内にある待機場所
水以外にもリンゴやバナナもフリー

その他

今大会でのモンゴル勢は銅4つ。前回のパリと同様に選手たちの凄さをひしひしと感じました。

なお、大会期間中に提供されている食事はホテルの朝食のみ。サッカーの時みたいにチームが用意してくれているものだと思い込んでいたし、自分で準備する時間はなかったため、昼食は会場内にあるリンゴやバナナで飢えをしのぎ、夜は選手たちに食事に連れて行ってもらっていました。


大会を終えて

UTAGE

この時期、ちょうどモンゴルでは旧正月(ツァガーンサル)でした。そのため、大会最終日の夜はみんなで食卓を囲み、モンゴルの伝統料理をいただきました。

真ん中に鎮座しているのは旧正月定番の茹でた羊肉とお菓子たち

これらを用意してくださったのは現地に在住するモンゴル人たち。ちなみにインターバル期間中にもモンゴル料理を差し入れしてくれたり、移動手段や宿泊・練習会場等の手配もサポートしてくださっていたようです。

あまり深い繋がりがなくとも、日本の方々以上に助け合いの精神がある様を感じました。


某感染症の始まり

大会の翌日にはイスタンブールを経由して、モンゴルに帰国。この頃は、中国から発症したとされる某感染症が世界的に知れ渡り始めた時期でした。そのため、飛行機内では健康カードの記入が義務付けられ、モンゴルに到着するやいなや防護服の方々の厳しいチェックが入り、少し緊張感があったのを覚えております。

そこから数週間後には、モンゴル完全鎖国やウランバートル市ロックダウンが始めることを、この時は知る由もありませんでした…


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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