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ロシア・ウランウデ遠征

2019年5月、レスリングの大会帯同で、ロシアのウランウデに行きました。BAIKAL OPENという、誰でも参加可能な大会です。したがって、代表ではなく、クラブチームに帯同していきました。



ウランウデ

ロシアの東シベリアにあるブリヤート共和国の首都です。日本人の起源はここからではないかという説があり、ロシアっぽくないアジア系の顔立ちの方も多くいらっしゃいました。また、モンゴルから近く、モンゴル語を話せる方がほんの少し。

町並みはモンゴルとは違い、また、あまりヨーロッパらしさも強くはないと感じでした。

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また、ロシア領域ということで日本国籍の者はビザが必要です。私は在モンゴルロシア大使館で申請して、取得しました。この方法は、モンゴルの在留資格がある人しか行えません。(2019年5月時点)

モンゴルに来たついでにロシアに行こうと考える日本の方は、あらかじめ日本でロシアビザを取得しておく必要があるため、要注意です。詳しい申請方法については、調べればネット上にたくさんあるのでそちらを参考にしてください。



15時間のロングドライブ移動

事前に申請していれば、モンゴルナンバーでもロシアの公道を走れるようで、ウランバートルから数台の自家用車に人や荷物をぎゅうぎゅうに詰め込んで向かいました。

5月でしたが、この日は猛吹雪。十メートル先も見えないくらい。

そんな悪天候の道中でとんでもない光景を目の当たりにしました。
一台の車が道路の脇で横転しており、その中から一人は脱出しようともがいていて、もう一人はピクリとも動かず、別の人が引っ張り出そうとしている姿。

すでに救助を呼んでいたため、私たちはそのまま先を行くことに。それまでは悪天候お構いなしにガンガン飛ばしていた運転手ですが、さすがに安全運転をするようになりました。無事に行けてよかった...

数時間走り、ダルハンという町に着くころには空が晴れ、車内が少し暑くなるほどに。たしか、5時間くらいでロシアとの国境であるAltanbulagに到着。国境を越えるのに、手続きやら何やらで3時間くらいかかりました。

ロシア入国直後。快晴。

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モンゴルでは果てしない草原の中でボコボコの道路が続いていましたが、ロシアに入った途端、綺麗に舗装された道路に針葉樹の生い茂る景色が広がっており、国境一つ越えるだけでこんなにも変わるのかと驚きました。

そこからさらに走り続け、夜の22時頃ようやく今回の宿泊地に到着。ドライバーは変わることなく一人がずっと運転していて、きっと疲労がすごかっただろうな。



ホステル、いや、学生寮?

サッカーの方で何度かお話ししていますが、モンゴルはスポーツ業界に限りませんが、資金面がかなり厳しいです。

他のクラブチームは安めのホテルに泊まっていましたが、私の所属していたクラブチームは人数も多いためか、ベッドが置いてあるだけの学生寮みたいなところで寝泊まりしました。

特に私に関しては部屋が足りなくて、ソファーをベッド代わりに。

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シャワーはありません。トイレはオープン式。笑

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食費も支給されることなく、全て選手たちが自炊。それを分けてもらいました。サッカーがどれだけ恵まれた環境であるかを身に染みて感じました。



BAIKAL OPEN 2019

全階級合わせて15ヶ国、185名の選手が参加。

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観客はそこそこ。やはりロシアの声援は大きかったです。

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私は主にアップ会場で待機。ここでテーピングやケアを行いました。

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例のごとく、他のチームの選手から色々な依頼を受けるも、やむを得ず断らざるを得ませんでした。(それでも、うちのコーチがいない隙にこっそりとやっていましたが)

うちの選手の中で3人メダルを獲得しました。賞金の半分はコーチに渡して、残りのほとんどは食べ物やジュースを大量に購入して、チームのみんなでパーティー。減量のストレスもあるだろうけど、せっかくお金が入ってもこんな感じに消費してしまうのでは、生活が厳しくなりますね。

練習場や医療サポート、資金なども含め、選手がもっと活動しやすくなる、活動したくなるような環境が整えられればいいのにとつくづく思います。



1人でイルクーツクへ

大会が終わり、チームはモンゴルに帰りますが、私はそのままタイで行われるサッカーモンゴル代表チームのキャンプに帯同することになりました。

そのため、まずは列車で空港のあるイルクーツクへ。チームのマネージャーや協会を通すと、遅くなったり、ミスが生じるので飛行機も含め全て自分でチケットを手配して、後から代金を請求しました。

憧れのシベリア鉄道。幼いころより、テレビ番組の”世界の車窓から”を見て、こういう旅をしてみたいと思っておりました。

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実際は、内モンゴル遠征で利用したモンゴルの列車と同じであったため、特に感動はありませんでした。夜の10時過ぎくらいにウランウデを出発して、翌日の朝7時くらいにイルクーツクに到着。



イルクーツク観光

タイへ向かうフライトは明日。したがって、この日はイルクーツクを堪能することにしました。駅からタクシーで市の中心部に行って、ひとまずカフェで優雅に過ごす。

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そして、今夜泊まるゲストハウスと連絡を取って、早めにチェックインさせてもらいました。利用したのは Z Hostel

写真を撮ってないので、上のリンクから見てみてください。1泊540RUB(約780円)激安だけど、かなり綺麗で設備も申し分ない。フロントスタッフもとても気さくな方で、とてもいいところでした。イルクーツクで宿泊する際はぜひこちらへ!おすすめです!

さて、大きな荷物を置いて街へ。

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まずは必ず行きたかったバイカル湖に向かいました。ネットで行き方を調べて、バスで走ること1時間。海のように広く透き通った湖の先に、雪をかぶった山並み。綺麗で壮大な自然あふれるパノラマに疲れがスパッと飛んでいきました。

せっかくだからレンタルバイクでサイクリング。少し肌寒さもありましたが、これがまた心地よかった。

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水族館にも行ってみました。バイカル湖にしか生息しない固有種たちはとても興味深かったです。


市場をぶらり。

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そしてイルクーツク名物のオームリとロシアビールで優勝。

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しばらくぼーっとして心を浄化させた後、市街地に戻って再びぶらぶら。

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ヨーロッパらしい美しい景観であるため、せっかくなのでテラスで平日の白昼堂々と一人で、これまた名物らしい生ハムとビールで優勝。

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一度宿に帰って、シャワーを浴びたり、洗濯物をしたりスッキリさせてから夜の街へ繰り出すことに。そしてフロントスタッフに聞いたおススメのレストランへ。おしゃれでリーズナブル、かつ、味も良かったです。

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これで帰るのも味気ないなと思って、宿近くのBarへ。この日は月曜日で、お客はゼロ。親切なバーテンダーさんと、つたない英語で会話を楽しみました。

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いざタイへ

さて、翌日。

ゲストハウスで一緒の部屋に泊まっていたブリヤート人が、貿易関係でモンゴルを行き来している方でした。そのため、モンゴル語での会話が弾み、親切にも空港までのタクシーを格安で手配してくれました。こういったご縁はありがたいです。

イルクーツク国際空港。英語もモンゴル語も通じず、ウロチョロしました。

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出発前に最後の一杯。

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最後に

今回はレスリングの大会後に、そのままサッカーに帯同するという変則的な遠征となりました。正直に言いますと、これが原因となり、レスリングのチームをクビになりました。

前回の記事にも少し書きましたが、このチームのコーチは独占欲が強く、自分の思い通りにならないと高圧的な態度で脅す様に当たってきます。以前より、他の仕事との兼ね合いで休まざるを得ないことが何度かあり、その度に理不尽にかなり叱られてきました。

自分自身でもそろそろ辞めることになるだろうなと思っていたし、このまま続けるのはかなりキツいと感じておりました。したがって、クビになったのは全く問題ありません。むしろ、それによりサッカー一本で活動したことにより、後に日本代表と対戦できる日を迎えることができました。

陰と陽があるように、どんな現象にも常に裏と表があると考えております。一つの面だけを見るのではなく、その逆の発想をすることで同じ出来事であってもプラスにもマイナスにもなります。その考え方を改めて気づかさせてくれるいい経験となりました。

今回の内容はごちゃごちゃしてしまいましたが、これで短くもモンゴルレスリング編は終了となります。


最期まで読んでいただき、ありがとうございました。ぜひ他の記事も見てみてください。

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