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癸卯葉月 処暑 四国行 夏休み編その6

廿九日 午後
約5時間の列車旅を経て降り立ったのは今やすっかり秘境として有名になった「大歩危」である。
2度目、22年ぶりの訪問だ。
しかし、前回は自動車で入ったので、駅は初訪である。だが、これだけは確実に言える。トップ画像のじいさま、当時は百パーセントいなかった。
なぜ言い切れるのか。
それは、大歩危に置かれた最初の児啼爺の開幕式に出席していたから、である。

思い起こせば2001年、私は当時知り合ってさほど間もない妖怪仲間たちと、藤川谷に建立された児啼爺の像のオープニング・セレモニーに出席したのだ。この像は今で言うところのクラウド・ファウンディング、つまり全国からの寄付によって建てられたのだが、私もわずかばかり気持ちを寄せていた。
セレモニーは東雅夫さん、多田克己さん、村上健司さんのお三方がプチトークショーをするという当時では珍な豪華さ加減だったのだが、いかんせん今と違い妖怪がまだまだマイナーだった時代、外部からの参加者はほぼ私たちだけだったように記憶している。
また、像のすぐ近くで町をあげてのお祝い鶏の丸焼きピクニックが開催されており、会場付近には鶏の焼ける香りが漂いまくっていた。誰でも食べてよし、との話だったので私もひと口、と期待していたのだが(何ぶん口卑しいので)、像よりさらに奥地にある「児啼爺発祥の地」碑の見学が優先となったため、鶏はおあずけとなった。これは人生屈指の痛恨事として未だ我が心に刻み込まれている。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。しかも有名な祖谷の蔓橋なども見ないままろくに大歩危観光もできなかったので、今回再訪することにしたわけである。

児啼爺との感動の再会は翌日にとっておくこととし、まずは駅から蔓橋にバスで向かった。乗客の半数以上は海外からの旅行客だ。いよいよインバウンド再開も本格的のようだ。

蔓橋

蔓橋を渡るのは有料なのだが、そこの決済が電子マネーOKだったことに一番驚いた。ちなみに駅前の大歩危マートでも電子マネーを使えた。深山の山村であっても、世界中から客が来る観光地ともなるとことほどさように違うのである。
なお、私が渡っている最中に橋を揺らせて、私の前にいた女性の足を恐怖で止めさせ、橋上大渋滞となる原因を作った大阪弁のいちびり。今後、お前の食べるたこ焼きすべてに一欠片の蛸も入っていませんように。

渡った先すぐにある滝

蔓橋見学後はバスで駅方面に戻り、大歩危峡観光遊覧船に乗船した。これも前回できなかったことである。
切符売り場から乗船場までは落差十数メートル、階段と坂をとぼとぼ歩く。ここでも日本語はほとんど聞こえない。

乗船時間はものの30分ほどだが、渓谷美はもとより、奇岩奇景に目を奪われる。

上流だけあって水は清い

地層もたまらん。やっぱり旅を楽しくするのに必須の知識は地学と植物学であろう。ますます地学熱が高まりそうである。

手をふる人々

吉野川もまた暴れ川ということで、人と自然のせめぎあいが建物に表れている。

最大建物ギリギリまで水位が上がるそう

こんな土地で、妖怪伝承が育まれたのだ。

下船後は一旦宿に入るも、まだ日が落ちるまで時間があったので、徒歩圏内にある「道の駅大歩危」に併設された「妖怪屋敷」を見物することにした。ご当地妖怪もまた、旅には欠かせぬ要素だ。

天狗さんでぴょん(場内撮影可)
たぬきの嫁入り(場内撮影可)

手作り感あふれる展示物の数々。
こういうのがいいんだよ、こういうのが。
でも解説はしっかりしていて、隈なく読み、見て回ると思ったより時間がかかった。

なんか知ってる人がおる

久しぶりに妖怪成分をたっぷり補充して宿に戻る道すがらにも、また妖怪。

のびあがり

児啼爺の像がひとつ建ったのがきっかけで、町は妖怪の里になったのだ。
なんとも感慨深い。そして、ふと思った。建立に奔走された多喜田氏はお元気だろうか、と。あの時ともに旅した面々も年を取り、それぞれ忙しくなった。もうあんな旅はできないのかもしれない。

22年で巡れるほど妖怪像が増えた

草枕 旅にしあれば 過客をおもふ


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