「誕生日を祝われることが苦手」って話。
皆さん、こんにちは。
今日は、「誕生日おめでとう」の言葉が
嬉しいのか嬉しくないのかよくわからないって話をしようと思う。
一般的に、人は誕生日になると「おめでとう」と言われたり、
親しい中だとプレゼントを渡し合ったり、
いつもより高いお店でご飯をご馳走されたりすることが
多いだろうと思う。
お祝いされると人はとても嬉しい気持ちになり、
純粋な感謝の気持ちが湧いて、
時には感極まって涙することもある。
しかし、僕はこれがよくわかっていない。
「誕生日おめでとう」の言葉とかプレゼントを貰うと、
感謝よりも先に、
「気を使わせてごめん」
って思ってしまう。
「相手にとってはただの普通の日なのに、自分が誕生日であるせいで不必要なことにわざわざ気を使わせてしまった。」
こう考えるからだ。
プレゼントをもらったとしても、
「数千円、数万円のものを買わせてしまった。」
「選ぶ時間を費やさせてしまった。」
嬉しいよりも先に、申し訳ないが生まれてしまうのだ。
このせいで純粋な感謝ができなくて、
いつも喉につっかかった感じの「ありがとう」が
口から出てきてしまう。
なぜそんなことになってしまうのか。
その原因は、
"自己肯定感の低さ"
にあると思う。
自己肯定感の低い人間は、常に
「こんな自分なんて」という思いがある。
人に何をしてもらっても、
「ありがとう」より先に、
「こんなゴミみたいな自分の為にわざわざ迷惑かけて申し訳ない」
という考えが反射的に思い浮かんでしまうのだ。
そもそもこの思いを持つこと自体が、
「相手の気持ちを純粋に受け取れない自分なんて...」
という思いに行き着いてしまうものなのだが、
なかなか治らない。
"自分を祝ってくれる心優しい相手を信じられてない"
というとても悲しい話であることは
僕自身がいちばん理解してるつもりだ。
では、相手を祝う側になった時はどうなのか。
これが不思議なもので、
相手を祝うときはめちゃくちゃノリノリで祝っている。
純粋に「おめでとう」と思っているし、
相手が喜ぶ顔を想像してプレゼントだって選ぶことが出来る。
相手が嬉しそうな顔をしてると自分のことのように嬉しい。
あくまで、自分が祝われることが苦手なだけなのだ。
1年に1回、絶対にやってくる誕生日。
人とつながりを持つ上で絶対に欠かせないものであるが、
自己紹介で誕生日を言うのには
少し抵抗がある。
おそらく長らく変わらないのであろう。
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