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犬吠埼の石ころ ー「市役所壁画」画家の仕事ー

先日投稿した「市役所壁画」、第2話「画家と弟子」に書かれていなかった物語です。
読み手と画家の距離が縮まるかもしれないエピソード。(本編を未読でも、お楽しみいただけます)

1950年 猪熊弦一郎

何もかも失った夏が、またやって来た。

さいわい、僕は生き延びていたが、戦争の傷が癒えぬまま、筆を折ってしまう諸先輩や後輩諸君がいることは、ひどく残念なことだった。しかし、生きていくには無理からぬことで、才能ある芸術家といえども未来を描くことは困難の続くときだった。

ある百貨店から青年が来た。少しずつ、お客さんが戻ってきているという。だが、商売とは難しいもので、これまで通りにはならないそうだ。

戦争を境に、我が国は変わってしまった。美徳として考えられていたことは、塗り替えられ、子どもたちは無邪気に敵国だったアメリカで作られた服を着て、食べ物を食べている。

「新しい時代に向けて、わたしたちが考えていたのは、華やかで明るいお買い物なのです。ついては、猪熊先生に包み紙、いえ、包んで装う、包装紙のデザインをお願いしたいのです」

熱っぽく青年は告げた。

持っていた鞄から、眩いほどの白い紙が出て来た。薄くて、明るい、思わず手を伸ばしてしまう。触ると、ややざらつきがあるが、それは裏面だという。表面にはワックスのような光沢があった。外国製の紙だという。薄いのに、色がよく載るのだそうだ。

「少し時間がかかるかもしれないけれど、きっといいものを考えよう」


盛夏をきわめる東京を避けて、波音が聞こえる街で過ごす。千葉の東部、犬吠埼にある友人のアトリエを訪ねる口実が、夏を待たず筆を折ってしまった彼を慰問する旅路になってしまったのは、残念だ。

朝、潮風に吹かれながら浜辺を歩く。

足元に、大小さまざまな石が転がっていた。波打ち際に、ほかとは異なる大きさの石が2つ転がっていたのを手に取った。海水を吸って、それはきらきらと表面を輝かせていた。水や風によって運ばれてきたのだろう、波に洗われて、表面が丸くなっていた。

まるくて美しい曲線は、見る人の気持ちをまるくしてくれる。この曲線は、自然が時間をかけて作り上げた美しさなのだ。

手にずしりと重く、黒々とした石の硬さに指先が喜んだ。戦争に負けてしまったと嘆いてばかりではなく、不況の大波にも負けない頑固な心の輪郭が手の中の石と重なった。

百貨店の青年の眼差しを思い出す。「包んで装うための紙」は、この石ころを使うのはどうだろう。



「先生、これは何ですか⁉︎紙を切って貼ってあるだけじゃないですか!」

夏の終わり、再び訪ねてきた百貨店の青年の頓狂な声が響く。思わず大声をあげて笑ってしまった。型紙を作って白い紙に置いたのは、色を見たかったのだと説明すると、青年はほっとしたようだった。確かに、包み紙の紙に模様が貼り付けてあったら、使いにくいだろう。

自然の美しさ、そして波に負けない頑固さ、包んで装う紙、装いは主張でもある。こう生きたい、こう見られたい。これからは包装紙も強くアピールするものでなくては駄目だと思った。

朱色のような赤みの強い、それでいて気品の感じられるレッドを使って、花びらが踊っているような、石ころが歌っているような、風を感じられるようにしたかった。

新しい風を、温かい風を。贈り物を包み込む紙に、そんな心を込めたかった。

絵ではないのに、タイトルをつけるのも変だと笑われそうだが「華ひらく」という名前にしてはどうか…

ついつい話が長くなってしまった。青年は、僕が拾ってきた石ころを手にしたまま、涙を流していた。

「先生、私たちのために…。ほんとうに…、ありがとうございます…!」

また僕は大声をあげて笑った。怒ったり泣いたり、忙しい奴だ。茶を入れにきた家内が、あなた…とつぶやいた。あぁ、そうだったそうだった。

「えぇと、柳瀬君、だったね?うちのが銀座に行った折に、あんぱんを買ったんだ。君が来ると知ってたから、いくつも買い込んできたらしい。もし、時間があったら食べていかんかね。」

「はい、いただきます!先生、僕があんぱん好きなの、よくご存知でしたね。」

「あの時代を生き延びた子どもなら、誰でも好むものだと思うがね。」


試作を重ね、その青年の手で店名が描き加えられ、その年のクリスマス用の包装紙として使われることになった。瞬く間に話題となり、翌年からはクリスマスの絵柄を除いた包装紙が、全店で使用されることになった。

百貨店の名前は「三越」、青年の名は「柳瀬崇やなせたかし」といった。


猪熊弦一郎(1902-1993)香川県生まれ。洋画家。

柳瀬崇(1919-2013)東京都生まれ。三越宣伝部社員、退職後に漫画家・絵本作家に。


このサイトから着想を得て、脚色して物語にしています。


市役所壁画の本編はこちらです(全4話、2万字程度の小説です)是非とも!



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